お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2006年7月20日木曜日

大徳寺に来たらあぶり餅を


さて、龍源院で久しぶりに灯籠を見て、門を出ると、公開・非公開の塔頭が並んでいる。砂利道も中央の石畳を通れば歩きやすい。
大徳寺の広大な境内をどんどんと歩いていく。三門・仏殿・法堂と南北に並ぶ大徳寺の重要な建造物の横を通る。松の囲いも京都らしい。まだ紅葉には早いので、観光客も少なく静か。早道なのか自転車で通る人もいる。
途中で曲がっている石畳も趣がある。奥は芳春院だが、西へ進む。 お寺の境内というよりは松林のようだ。松のトンネルの下を学生たちが自転車に乗ってやってくる。私はこのトンネルには入らない。右折で境内の外へ出て行く。そして左折。大徳寺に来たら「あぶり餅」。あれま、今日は一和(一文字屋和助)もかざりやも定休日とは!  このあぶり餅も『だれも書かなかった京都』で知ったお菓子だった。この本にしては珍しくカラー図版がある。その写真と文の一部を引用する。
今宮神社の東門を出たところに、ちょんまげがすわっていそうなあぶり餅屋が二軒、北側が一和、南側がかざりやで、前を通ると両方から「まあおはいりやす、まあいっぷくおしやす」と、呼びこみの声がかかる。以前はこっちが参道やった。
あぶり餅は、お餅をちぎってきな粉でまぶし、竹串の先にひっつけて、炭火で両面を焦がして焼く。それに、甘う炊いた白みそをとろっとかけて、やすらい盆にのせて出す。昔を思うひなびた味で、これも疫病をのがれるといい、おまいりの帰りには、きっと食べる。あついうちがおいしい。  一和は長保二年の創業、二十三代というから、ほんまに古い。 そうそう、あぶり餅は大徳寺の門前のお菓子ではなく、今宮神社のものだった。
また、竹串は既製品ではなく、細く割ったものなので、細過ぎるとお餅の重みにしなって食べにくいこともある。持ち帰りもできるが、白みそときな粉なので、家で開くと見た目が美しくない。硬くもなるので、やっぱりお店で食べる餅だ。
散歩好きの京都 近ごろ京に流行るものにこのあぶり餅を紹介するページがある。もっときれいな写真が載っています。いつものように文も少し引用。

京都の誰もが食べ、楽しむ話題の一つ、あぶり餅。西陣地域の御神体、今宮神社の参道にある茶屋の名物である。東門前の参道に差し向かいで建つ2軒が同じ餅菓子を出す。「どちらに入るか」と問えば、もっぱら半時間は話題が膨らむところは、西陣ならではの名物として愛され続けている証拠だろう。