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イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2008年12月20日土曜日

グーグルアースで南疆鉄道を辿る2


『シルクロード絲綢之路 第5卷天山南路の旅』によると、
魚児溝を出発した列車は、ゆるやかな上り坂を進む、前方には天山に向かって広大な斜面が広がっている。線路はその斜面を、大きな3つのカーブを描きながら、S字状に登っていく。この間12km、高度にして200mほど登って、海抜1000mに達する。・略・
斜面を見下ろすと、先程出発していった列車が、ゆっくりとカーブを曲がっていくのが見える。天山を背景にした雄大な風景の中で、まるでプラモデルの汽車が走っているようだ

まさにその通りのことを我々も見たのだった。そして、玄奘三蔵が通った道でもあるらしい。

グーグルアースで見ると下の写真は2つ目のカーブだ。
高い雪山は見えず、近くのすごい色の山々に目が奪われるようになった。
 山肌がこんな色をしているなんて信じられない。目は窓の外に釘付けになった。グーグルアースで見たこのあたりの山々もすごいが、この写真ほどではない。一瞬のことなのでピントがなかなか合わない。 グーグルアースでは、線路近くは薄紫、川に近いところは濃い赤紫、ところどころにオレンジ色が見え、緑青色は近くには見えない。手前の山ほど派手な山は見当たらない。実際の山々は火焔山よりも迫力があった。たぶん、トンネルを越えたのだろうと思う。川筋に出てきた。こんな一木一草も生えることができないような山に囲まれているのに水は澄んでいる。そして向こうの山の赤色の濃いこと!日暮れ前なのでくっきりと写らなくなってきた。ところどころ木も生えている。そして、煉瓦造りの建物が並んでいた。
同書によると鉄道が通っているのは阿拉渓谷という、春秋戦国時代に開かれたシルクロードらしい。阿拉渓谷一帯で春秋時代の古墳墓が点々とあるのだそうだ。レンガ作りの建物があったと驚いている場合ではなかったのだ。
この本を買ったのは、帰国後「新シルクロード展」に行った時のことなので、南疆鉄道の天山越えは昔のシルクロードを辿っているということを知らずに列車に乗っていたのだった。ここから先は写真がないので、同書とグーグルアースを参考にみていくことにする。 
阿拉渓谷を遡っていると、途中から解像度が良くなる。山の色が薄紫一色となったのは季節が異なるからだろうか。やがてまた解像度が悪くなり、線路は谷から緑の斜面をS字状に登り、山腹をいくのだが、またすぐ先で解像度が良くなった、と思ったらトンネルに入ってしまった。
あちこち探したら、北北西に6km余りのところに長いトンネルの出口があった。付近を見ると、またトンネルがあってぐるっとほぼ一回りして出てきて弧を描いて線路は西に延びている。つまり、トンネルとその先のカーブで文字通りS字を描いているのだ。

同書によるとループ式の方は夏爾溝トンネルという名で、

列車は阿拉渓谷の谷筋を進んでいく。緑豊かだった谷は、この付近までくると、草木も見えぬ荒々しい姿に変わっている。見るからに崩れやすい岩山が、狭い谷の両側に迫る。海抜はもう1300mに達している。・略・
トンネルや橋がしだいに増えてくる。全線に掘られたトンネルの数は29、鉄橋の数は36にも達する。弱い地盤を避けて列車は狭い谷を右に左にと渡っていく。間もなく、夏爾溝トンネルが見えてきた(標高1800m)。・略・
トンネルを出ると、風景がしだいに変化してくる。山の表情がいくぶん優しくなり、山肌に薄い緑が見える。

と記されている。25年もたつと橋とトンネルの鉄道が一気に1つのトンネルで抜けられるようになったのだろうか。同書の写真(下図)にはどのトンネルを抜けたところか明記していないが、これが夏爾溝トンネルか。
同書は以下のように続く。
このあたりになると年間降水量が300mmに達し、そのため緑の牧草が成育するのだという。狭い阿拉渓谷も、幅2kmほどに広がり、川沿いに牧草地が続いている。ところどころに、馬や羊の群れが見える。遊牧民の放牧地であろう。
川の右側を走っていた列車が、突然進路を左にとり、橋を渡ると、前方に雪を頂いた天山の高い峰々が見えてきた。 ・・略・・
いよいよ天山のふところ深くに入ってきた。狭い谷をゆっくりと左にカーブすると、広々とした展望が開けてきた。雄大な緑の草原である。 ・・略・・ 列車の窓から見ると、線路は左に大きく曲がり、緑の山の中腹をまっすぐに進んでいる。そのすぐ間近まで、万年雪の雪線が迫っている。ここから流れる雪解け水が、山の麓に広がるタクラマカン砂漠のオアシスを潤し、古代シルクロードを栄えさせてきたのである。
前方にハルダハト大橋が見える。全長600m近く、全線で最も長い鉄橋である。
 


グーグルアースでは、ぼんやりとハルダハト大橋らしきものが見える。

グーグルアースでは谷間にしかみえなくても、このあたりは下図のような風景のようだ。南疆鉄道沿いに広がるトルフト族の放牧地らしい。
同書は以下のように続いている。
峠の真下に掘られた奎先トンネルは標高3000m、南疆鉄道の最高地点である。・略・トンネルの中は夏でも常に氷点下の気温である。長さ6000mのトンネルを出ると風景が一変していた。白く雪を頂いた高い峰々や荒々しい岩山は姿を消し、優しい表情の緑の谷が開けていた。
右拉斯台渓谷である。右拉斯台渓谷は天山からタクラマカン砂漠まで一気に下る緑の渓谷である。両側に山が迫り、その間を川が流れ、帯状の牧草地が続く。

奎先トンネルはこの解像度では見つけることができない。非常におおまかに見ると、東西の渓谷から南北の渓谷へ変わっていく。

翌朝目を覚ますと、列車はゴビの真只中を走っていた。最後尾から後を振り返ると、天山が屏風のようにそびえている。私たちは天山南路最大の難所を越えたのだ。
夕方近くになって、ようやく焉耆(えんぎ、イエンチー)の平原に入った。見渡す限りの緑の平原である。平原というより湿原というべきかもしれない。天山の雪解け水を集めて流れる開都河がいたるところに湿地帯を作り出している。タクラマカン砂漠の砂塵が平原をすっぽりと包み、霞のようにオアシスをとおっている。遠くの防風林や道を行く馬車がシルエットのように浮かび、蜃気楼のように揺れている。

私は夜中に目が覚め、カーテンを開いて窓の外を見た。すると天山山脈の中を通っていると思っていたのに、目の高さに無数の星が見えたのだった。それがどんなところなのか知りたい。 
グーグルアースで鉄道をたどるうちに、烏拉斯台渓谷を南に流れる開都河が突然広大な扇状地に出る。よく見ると西から別の河が流れてきている。どちらもこの焉耆平原を通り、東のボステン湖に流れ込んでいる。私が目の高さに見た星空というのはこのあたりではないだろうか。
玄奘三蔵は高昌国を出発し、鉄道とほぼ同じところを通って焉耆に着いたようだ。当時この地には阿耆尼国があり、高昌国と仲が悪く、麹文泰の紹介状は逆効果で冷遇されたので、1泊しただけて早々に出発した、と同書で陳舜臣氏は記している。

その後1980年の『シルクロード』の取材当時の終着駅だった庫爾勒(こるら)、そこから西に輪台(りんだい)駅などを通って北京時間午前6時頃、まだ暗い庫車(くちゃ)駅に到着した。
グーグルアースでは50ほどの車両をつないだ列車が停車し、長い影もよく見えるくらい解像度が良い。 

※参考文献
「シルクロード絲綢之路 第5卷天山南路の旅」(1981年 NHK出版)