お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2011年1月7日金曜日

4-1 サンクレメンテ教会(San Clemente)、地上階は12世紀のロマネスク様式

サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ通(Via San Giovanni in Laterano)の交差点を一つ越えるとそこはもうサン・クレメンテ教会の区画だった。通り沿いに小さな入口を見つけて、すぐにそこから中に入ったので、外観の写真がない。

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『イタリアの初期キリスト教聖堂』は、現在の入口は聖堂南側の側廊のほぼ中央、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ通りに面しているという。
入ったところが側廊の途中で違和感があったが、正式な入口から入っていたのだ。
どのように進めばよいのかわからなかったが、身廊に行くと、まず床の装飾に目を見張った。コスマーティ様式のモザイクだ。小さな色大理石や金箔ガラスのテッセラで幾何学的な文様を構成している。その文様はそれぞれ小さな区画を埋めている。中央には丸い色大理石の周りをくるくると捻れながら祭壇へと導く道のようなものがあるが、わずかな見学者はそこへは入っていかないので、クワイヤと呼ばれる石の囲いの中は入っては行けない空間なのだろう。
床の美しいモザイクは、ローマに残る最も見事なコスマーティ様式の作品といわれているという。この舗床モザイクを見たくてサン・クレメンテを選んだ訳ではないが、いいものを最初に見ることができて良かった。
クワイヤを囲む石壁だが、白大理石のスコラカントールム(歌隊席)は、4世紀の旧聖堂から移されたものであるという。
確かに象嵌された黒石の文様が古様な雰囲気だが、そんなに古いものだとは思わなかった。
内部は三廊式バシリカである。列柱は様々な古代建築から持ってきたものである。
しかしながら、身廊上部の壁と天井には18世紀初め、バロック風の派手な改装が施されて騒がしいという。
まったく壁面や天井は見たくもないが、後陣に目が向くと、そのようなものは気にならなくなってしまった。このモザイクもサン・クレメンテに惹きつけるものの一つだった。後陣を正面に見て感じたのは、想像以上に小さく、低い位置にあるということだった。
モザイクを真ん前て見たいのに、その前にクワイヤがあるために左右どちらかからでしか見ることが出来ないし、後陣に入り込む訳にもいかない。

旧聖堂は1084年、ノルマン人の掠奪によって破壊され、現聖堂はその基礎の上に急いで建造された。したがってその平面は、ほぼ重なっており、空間構成やスケールもおおよそ保たれていると考えてよいという。
これが12世紀再建当初の壁と天井の図だ。イタリアではロマネスク様式でもヴォールト天井ではなくこのような平天井が多かった。このように木の梁をわたす場合、木はある程度の高さにしか延びないので、身廊の幅は木材の長さ以上には造れないというようなことをロマネスク様式の本のどれかで読んだことがある。
小ぢんまりした造りはそのせいだったのだ。サン・クレメンテ教会の中にいながら、自分がロマネスク様式の教会にいることを気付かなかったとは。
正面アプシスのモザイクは、中心に「生命の樹」があって、そこから十字架が立ち、左右に渦巻く葡萄のつる(あるいはアーカンサスの葉と言ってもいい)が壁面全体に伸び広がるという。
後陣のモザイクは下中央のアカンサスから延びた葉が渦巻きながら横へ縦へと広がっていくアカンサス唐草だろう。メソポタミアで表されたナツメヤシが生命の樹だと思っていた。
何時か生命の樹についてもまとめたいと思っているが、とりあえず円筒印章に表された生命の樹はこちら
「生命の樹」の根元からは四つの川(ピション・ギホン・チグリス・ユーフラテス)が流れ出て、鹿も鳥もそこから水を飲み、足を浸すという。
アカンサスの根元にも小さな鹿がいる。クエスチョンマークのような赤いリボンにもゴールドサンドイッチのテッセラが並んでいるが、鹿は聖クレメンテを表しているのだろうか。
パラティーノの丘でアカンサスの実物が青々と茂っているのを見たが、まさに生命力に溢れていた。アカンサスについては後日。
キリスト磔刑の十字架の図柄は、後に付け加えたものである。初期キリスト教徒たちは、こうしたキリストの無残な姿を形にすることには耐え得なかったのであるという。
しかし、12世紀ともなると初期キリスト教時代では最早ない。
「”ちゃおちゃお”のローマ美術案内 ローマの休日」というサイトのサン・クレメンテ教会2は、モザイク全体のモチーフは4世紀から5世紀にかけての初期キリスト教の伝統的なもので、おそらく4世紀ま最初の教会の後陣を飾っていたものの複製だと思われますが、中央部の十字架上のキリストは、明らかに12世紀の新しいモチーフですという。
おそらく『イタリアの初期キリスト教聖堂』の著者もそのつもりで途中の文が抜けているのだろう。初期キリスト教美術では、磔刑のシーンはイエス伝の一部としては表された。簡単にいうと、最初のミレニアムで世界の終末が来なかったことからキリスト教の信仰熱がたかまったものの、段々と最後の審判でキリストに裁かれることが怖くなり、キリストが十字架に磔にされた姿を拝むようになったのだ。代わりにマリアが取りなしの聖母として人々の信仰の対象となっていくのがゴシック時代で、そのためにノートル・ダムという名を冠した大聖堂があちこちに建てられた。
しかしながら、このキリストはまだ苦しみもがく姿では表されていないので、12世紀のロマネスク時代の作品と言える。昔はロマネスクも勉強していたのに、本を開かなければ、こんな文しか作れないとは。

十字架はともかく、アカンサス唐草は、アカンサスの茎ではなく、巻いた葉が渦巻いている。十字架の両側に登場するマリアとヨハネも付け加えられたものだろう。
アカンサスの中には面白いものが散りばめられている。実際には小さいのでよくわからなかったが、教会の売店で買った本『MOSAICO DI S.CLEMENTE』にはたくさんの図版があった。その中から、

鶏の餌やり 最下段左端
最下段は日々の暮らしが描かれている。餌をやる婦人の動きはぎこちないが、上から降ってくる餌を無心についばむヒナが、せいぜい十数個のテッセラで生き生きと表現されている。
アカンサスの巻いた葉も緑と黄色のグラデーションで、金色から黄色、薄緑そして緑の大地への以降と共に繧繝で表されている。葉の先も緑だけでなく、赤や水色などを差して単調さを防いでいる。
小鳥の巣 ヨハネの横のアカンサスの渦巻きの間
人間世界だけでなく、生き物や花が至る所に散りばめられている。
『MOSAICO DI S.CLEMENTE』は、小鳥の巣は4、5世紀以来の伝統的な主題である。鳥は天国に入れた者たちの魂を象徴しているという。
美しいランプ ヨハネの斜め下のアカンサスの渦巻きの中
アカンサスの先端が動物の顔になっていて、ケルト美術のようだ。しかし、全ての渦巻きの先がこのように動物の頭部になっているわけではない。
ケルト美術も好きなのだが、まとめるのはいつの事だろう。
こんなに細かいところまで見られなかった。やっぱり双眼鏡を持って行けば良かったなあ。


※参考サイト
”ちゃおちゃお”のローマ美術案内 ローマの休日はこちら

※参考文献
「建築巡礼12 イタリアの初期キリスト教聖堂」(香山壽夫・香山玲子 1999年 丸善株式会社)
「建築と都市の美学 イタリアⅡ 神聖 初期キリスト教・ビザンティン・ロマネスク」(監修陣内秀信 2000年 コンフォルト・ギャラリー)
「イラスト資料 世界の建築」(古宇田實・斉藤茂三郎 1996年 マール社)
「SAN CLEMENTE ROMA」(発行年・出版社不明)
「MOSAICO DI S.CLEMENTE」(発行年・出版社不明)