お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2011年7月5日火曜日

20 スタビア浴場を見学したかった理由

フォロの浴場は意外に小さかったが、ポンペイにはもっと大きな浴場がある。それは、A:アボンダンツァ通とC:スタビア通の交差する北西の角の20:スタビア浴場だ。
『完全復元ポンペイ』は、ポンペイ最大の公共浴場であるスタビア浴場は、第7区第1インスラの南側の大半を占める複合建築である。スタビア門にちなんで「スタビア浴場」と名づけられた。
現存する建物は前2世紀に建てられたものだが、その前にも同じ敷地に運動場のついた小さめの浴場が建っていたようだという。
ポンペイでは浴場には入らなかったという人もいるので、フォロの浴場を見られただけでも運が良かったのかも知れないが、この大きなスタビア浴場を見学したかったなあ。
アボンダンツァ通りから入ると右側に男性浴場。8:入口の右手に9:待合室がある。
『完全復元ポンペイ』ではひかえ室になっている。天井は半円筒形で、複雑なスタッコの浮き彫りが施されている。写真の奥にみえるのは運動場への出入り口、その上にガラスをはめこんだ小さくて円い採光窓があるという。
どんなガラス窓だったのだろう。気になるなあ。前2世紀にすでにガラスがここに嵌め込まれていたとすると、まだ吹きガラスという技法がなかった時代なので、型に溶かしたガラスを流し込む鋳造ガラスで作られたはずだ。
ヴォールト天井や奥壁には彩色ストゥッコの装飾がある。建物は古くから造られていても、室内は度々補修されただろうから、地震前に最新流行の彩色ストゥッコに改装されていたのかも。
天井を飾るスタッコ装飾。野原に立つバッコスの巫女を、二つ編み模様の四角い枠で囲み、四隅の丸盾のなかにキューピットがえがかれているという。
大きな組紐文で菱形を形成している。彩色は赤が残るだけだが、当時は華やかだっただろう。
『ポンペイ今日と2000年前の姿』は、中庭の周りにはサムニウム-ローマ共和国時代につくられた凝灰岩の列柱が見えています。ローマ皇帝時代になるとしっくいの上塗りがほどこされましたという。
フォロの列柱と比べるとずんぐりと低い。柱頭は小さいがイオニア式でもないらしい。
『完全復元ポンペイ』は、周囲のポルティコを支えているのは、背が低くずんぐりとしたドーリス式円柱で、シンメトリーな渦巻装飾と舌状のコーニスがついているという。
渦巻があるならやっぱりイオニア式か。
続いて10:脱衣室。
『完全復元ポンペイ』は、オプス・ラテリキウム(レンガ積み)の3つのアーチで大きな半円筒右ヴォールトを支える構造になっている。天井には、六角形や円形の枠の中に絵をえがいた彩色スタッコの装飾が施されていた。壁際には長いすがあり、その上に脱いだ服を置く壁龕が並んでいる。
壁には第4様式のフレスコ画、床には大きな大理石の厚板という豪華さという。
天井の上部の漆喰がはがれているので、薄いレンガを積み重ねてヴォールトを造った様子がわかる。
そして:温浴室へ。
同書は、体をふく布と香油びんをもって温浴室に入る。そこで体を熱に慣らし、ぬるめの湯につかることもできた。
突起つきのかわら(テグラ・マンマタ)でおおわれた中空壁とレンガの支柱に支えられた高床(ススペンスラ)という構造になっており、そのすき間にボイラーから発生する熱風を循環させることによって暖房されていた。東の壁際にあるプールは大理石の板でおおわれていたという。
ローマ風呂の遺構には、この高床を支えた土台が並んでいるだけのものもある。
その後は13:熱浴室へ。熱浴室は上の画像にも一部が見えている。
サウナのように蒸気があふれる浴室内の温度は40℃前後、東端に大理石でできた長方形の浴槽があり、熱い湯が満たされていた。
向かいのアプシス(半円形のくぼみ)には大理石の水盤(ラブルム)があり、発汗をうながす冷水を飲むことができた。水盤の上の丸天井には明かりとりの窓があり、室温の上がりすぎを防ぐ空調バルブの役目も果たしていた。
サウナで汗をかいたあとは、温浴室にもどって体をふき、香油を塗ってマッサージをしていたという。
マッサージが終わると、ひかえ室を通って11:冷浴室へ。
仕上げに水風呂で汗と香油を流し、肌をひきしめた。
スタビア浴場の冷浴室は一般的な円形で、中央には大きな円い浴槽があった。環状の壁には木の柵で囲まれた庭の絵がえがかれ、四方に半円形の壁龕がある。屋根は円錐の先端を切りとった形で、中央にはガラスの天窓がはめこまれ、内側の天井には星空を思わせる濃青色のフレスコ画がえがかれていたという。
フォロの浴場と同じくドーム天井といっても円錐形に近いものだったらしい。持ち送りにレンガを積んでいけば円錐形になる。円錐形にしろ、ドームが前2世紀にあったのだ。それが見たかった。
北上空から眺めたスタビア浴場には冷浴室の円い天窓がはっきりと見える。思ったよりも大きいく、ローマのパンテオン(後118-125年)のオクルスを思わせる。
前2世紀建立というポンペイのスタビア浴場の円錐のドームから、パンテオンの正半球のドームへと繋がっていくのだろう。

※参考文献
「完全復元2000年前の古代都市 ポンペイ」(サルバトーレ・チロ・ナッポ 1999年 ニュートンプレス)
「世界美術大全集5 古代地中海とローマ」(1997年 小学館)
「ポンペイ 今日と2000年前の姿」(アルベルトC.カルピチェーチ 2002年 Bonechi Edizioni)