お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2011年8月13日土曜日

1-16 アヤソフィア2 ナルテックス

アギア・ソフィア大聖堂を西正面の3つある入口の真ん中から入る。
ヴォールト天井には平レンガが密に並んでいるのに、両側の壁面は石も不揃いで穴のあいた箇所もあった。これが後世の補修の時に作られたものだとしたら、創建(現在建っている聖堂として。ユスティニアヌス帝が537年に献堂)当時はどんな壁面だったのだろう。それとも太い円柱が並んでいたとか。
楣石の上にあるのはやっぱり格子窓。。
外ナルテクス右側。レンガがむき出しになっているので、交差ヴォールトがどのように造られたのかがわかる。頂部ではやがて正方形が入れ子になっている。
創建時はここにも金地モザイクがあったのだろうか。
同左側。格子窓のおかげで明るい。外ナルテクスにはアギア・ソフィアの説明パネルが並んでいるが、後で見ることにしよう。
内ナルテクスへと進む。右端にはやっぱり格子窓。透明ガラスではなさそうだ。
内ナルテクスはかなり天井が高いので、明かり取りの窓のお陰で明るい。外から見ると、飛び梁の二段目の下の格子窓から光が入るのだろう。金地モザイクがよく見える。
同じく左側。花を基本とした装飾文様がちりばめられている。
真ん中は八弁花文、その周りに樹木のようなものが8個、8点星形の銀地モザイクの外向きの角にある。多数角の点星形はイスラームの文様だと思っていたが、6世紀半ばのビザンティンにすでに出現している。
その外側はなんだろう。2つに分かれているものはアカンサスの葉だろうか。横縞はアカンサスの蕾?
交差ヴォールトの対角線の文様帯にも細かいモティーフが緻密に並んでいる。
左側から入ると正面のリュネットには人物像が見える。
もう少し後方から移せば良かった。これではよくわからない。
『世界歴史の旅ビザンティン』は、ナルテクスから本堂に入る皇帝専用の扉口上には「キリストに跪く皇帝」(9世紀)が描かれるという。
アヤソフィア博物館で買った「アヤソフィア」は、中央にはイエスキリスト、彼は宝石で飾られた、玉座に坐って足元には足台がある。このモザイクは偶像禁止の時代(の直後)に作られたので、技術上は優れているとは言えない。
このモザイクは10mの高さにおかれ、10m位離れて見た時、最も美しい。小さなモザイク(テッセラ)は全て壁の上に30度の角度を持って作られている。だから、光の反射で美しく輝いて見えるのである。背景と皇帝の衣装のモザイクは、金箔されたモザイクで、他の部分は、色ガラスでできている。このパネルのまわりの金箔のモザイクは、ジュスティニアンの時代、532年に作られたという(括弧内は訂正しました)。
やっぱり内ナルテクスの金地モザイクはユスティニアヌス帝が現在の聖堂を創建した当時のものだったのだ。
「アヤソフィア」は、右手はギリシャ正教の祝福の礼拝を示し、中指と親指は合わされている。二本の高潔な指はキリストの神性と人間性を示し、他の三本は、父と子と聖霊を示している。このしぐさを強調する為に、ギリシャ正教では右手は通常左手より大きく描かれるという。
ところで、この皇帝は誰か。
『アヤソフィア』はレオⅥ世とする。
『天使が描いた』は、描かれた皇帝をレオ六世(在位886-912年)とする意見もあるが、様式的に無理がある。
皇帝はおそらくバシリオス一世(在位967-886年)であり、皇帝が自らの謙遜と神の前に喜んでひざまずくといった表現は、869年のコンスタンティノープルの公会議以降間もなくの制作と考えられるという。
皇帝の門の上のモザイク以外は、各リュネットにはこのように輪郭を赤く描いた十字架だけが表されている。これは創建当時のものだろうか。それともイコノクラスム(聖像禁止または聖像破壊)期(729-843年)のものだろうか。
『世界美術大全集6ビザンティン美術』は、6世紀にはドームに十字架のモザイクが施されていたらしいが現存しないという。
この写真を見る限りでは、リュネットの輪郭の赤い線の付近には壊したり修復したりした痕跡がないので、ひょっとすると6世紀のオリジナルかも。
※参考文献
「歴史の旅 ビザンティン」(益田朋幸 2004年 山川出版社)
「アヤソフィア」(A TURIZM YAYINLARI Ltd.Sri.)
「NHK名画への旅3 天使が描いた 中世Ⅱ」(1993年 講談社)
「世界美術大全集6 ビザンティン美術」(1997年 小学館)