お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2011年11月25日金曜日

2-15 イエディクレ(Yedikule)1 大使たちの塔

ぼーっと行き交う車を眺めているとふいに城壁が目に飛び込んできたと思うと、Mさんは次の交差点で右折。そのまますっ飛ばすのだった。

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あっ、イエディクレだ
止まってくれるものと思っていたのに、通り過ぎた。ツアーでありがちな「車窓からの観光」で終わってしまいそう。
イエディクレ!
イエディクレ?
通り過ぎてしまったので、小さな通りを入り、もう一度海岸通に戻ってまた入り直した。
イエディクレの入口は裏側にある。正式な駐車場はなかったが、壁の前に数台の車が駐まっていて、その隙間にMさんはこともなげに縦列駐車してのけた。
出る時は前の車に当て、後ろの車に当てないと出えへんやろ
それくらいの隙間だったが、イスタンブールっ子にとっては日常茶飯事のことのようだった。
分厚い壁の狭い門を通ってイエディクレの中へ
Yedikuleとはトルコ語で七つの塔の砦という意味だ。
『イスタンブール歴史散歩』は、一部はビザンティン時代に、一部はオスマン時代に造られた興味深い建造物である。七つの塔の名は、テオドシウスの城壁に組み込まれている4本の塔と、征服王(ファティフ)メフメットⅡ世が城壁の内側に付け加えた3本の塔に由来する。7本の塔とその間の壁が造る五角形の砦であるという。
ビザンティン時代からこの形だと思っていた。
入口を入ってすぐ左手にある大使たちの塔に入って見よう。オスマン時代、外国からの使者がしばしばこの塔に投獄されたことから、この名がある。
我々も最初にこの塔に入った。最初に塔の床を見ても大してその恐ろしさはわからない。
しかし見上げるとそれが実感できる。ほとんど色のない、空もない世界だった。
アップしてやっと壁の色が見えてくる。
暗い階段を少し登った。所々明かり取りの窓がから内部が見える。
階段も結構暗い。
やがて足場がついていて、散歩できるところがあった。足場といってもものすごく華奢で、ところどころ外れていた。
もっと上にも登れる
いや今日はここまでにしときます
イスタンブールは今日しかないが・・・
城壁の見える所もあった。
今日もあちこち歩き回って疲れ気味のおっちゃんだった。
※参考文献
「イスタンブール歴史散歩」(澁澤幸子・池澤夏樹 1994年 新潮社)