お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2012年1月19日木曜日

1日目8 ネムルート山頂1 東のテラス

花を写すのに時間をかけ過ぎたのか、ネムルート山に何をしにきたのか忘れてしまいそうだった。日陰で突然石像群が出現したのには驚いた。
大抵の人は東のテラスから日の出を見ようと暗い中を登ってくるのだが、我々は西のテラスで夕日を見るために、夕方登ってきた。直接西のテラスに行かずに、まずは東のテラスから見学することになった。

椅子に坐った倚像が並んでいるのだが、石像には首がない。上半身のない像もある。これはは地震によるものと言われている。
ちょっと向きが変わると、多少明るくなった。地震で転がり落ちた首は、今では固定?して手前の地面に置いてある。
左の尖り帽子を被っているのがアンティオコスⅠ、右はコンマゲネ女神。
石像の背後には石を積んだ山がある。
『コンマゲネ王国ネムルート』は、コンマゲネの王アンティオコスⅠがネムルート山(2150m)に建設したヒエロテシオン(神聖な魂の最後の休息地)は古墳とその周りの3つのテラスからなる。東西のテラスには巨大な石像が並んでいる。その石像を彫った際に出た大量のこぶし大の石片を積み重ねて、巨大な円錐形の塚を造りあげた。本来の古墳の高さは75mだった。しかし時が経つとともに人工の山は低くなった。今ではその高さは50mになっている。
古墳の直径は150m、内部まですべて小石でできているとして、試算によると約29万立方m、重量にして60万トンの石が使われているという。
積石塚墳ということだが、Kさんは内部はまだ調査されていないと言っていた。
木槨墳なのかどうか知りたいものだ。
左はゼウス-オロマスデス、右はアポロン-ミトラス。
左からワシ、アンティオコスⅠ、コンマゲネ女神の横顔。
石像はネムルート山にある石灰岩を使った。石像の表面は非常に滑らかに磨き上げられていた。像を固定させるための枘穴もいくつか確認できるという。
このように柵があるので、近づけない。昔の旅行記をみると、観光客が頭部の間に入り込んでいる写真などがあるが、近年はだめらしい。
右から、アポロン-ミトラス、ヘラクレス-アルタグネス-アレス、ワシ、ライオンの各頭部。

コンマゲネを除いた像は、それぞれ様々イラン風の被り物ティアラを頭につけていた。
テラスへ登る石段の跡も確認される。階段には自然石と共に切石も確認される。この階段は碑文を読む者のために、石像の背後にまで続いていたという。
確かに鷲の背後に階段らしきものが残っている。
写真には撮らなかったが、神々の像の反対側に祭壇があった。
このテラスにだけ祭壇が設けられていたということは、ここが大切な祭儀の場として使われていたことを示すという。
葬儀が執り行われたのか、毎年決まったある日、ここで供養が行われていたのだろう。
ということは、神々の像辺りに墓室への入口があったのだろうか。
祭壇の左側にもライオン像。
北側は浮彫の台座ではないようなものがごろごろ転がっている。
頂上には登らずに、小石の山の周りを反時計回りに歩いて行くと、右手にも浮彫の台座が並ぶところがあった。
おそらくこれが北のテラスの浮彫の台座だろう。傍を通っている時は埋納するための空間が設けられていて、その蓋が横にずれているのだろうと思っていた。
しかし、写真で見直すと、蓋と思っていた者には枘が削り出されている。これは蓋ではなく浮彫石板そのもので、埋納品を入れるための穴と思っていたのが枘穴だった。
しかし石板には浮彫は見られない。通路と反対側に浮彫があったのか、未完成だったかだろう。
ちょっと下る感じで西のテラスへ。まだまだ日は沈みそうにないけれど。
西のテラスはこちら

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ネムルート山の頂上は本当に墓か


東のテラスで見た花はこちら

※参考文献
「コンマゲネ王国ネムルート」(2010年 A Tourism Yayinlari)