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イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2013年8月14日水曜日

ペロポネソス半島2 コリントス遺跡7 レカイオン界隈 


中央のアゴラの東端から延びるのは②レカイオン通り。
『ギリシア都市の歩き方』は、この大通りは、その幅が7m50㎝あり、北に向かって緩斜面を約3㎞下り、その途中で市門を越えてレカイオン港に至る。遺跡の中で発掘されている通りは、わずかに100mに過ぎない。その表面は、切り石によって舗装され、両脇には溝まで設置されている。
しかし、これは南北大通りではないので、コリントスには、東西南北の大通りは形成されていないことがわかるという。

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レカイオン通りを囲んで、③プロピュライア(前門)、㉔バシリカの屋根付き玄関、㉕北のバシリカ(後1-2世紀)、㉖市場、㉗ペイレネの泉、㉙アポロンの神域、㉚エウリクレスの浴場などがあった。
アゴラ側から見た図には、右からプロピュライア(前門)、バシリカの玄関(捕虜のファサードとも呼ばれる、後2世紀後半-3世紀初)、北西の商店街と並んでいる。
これがバシリカの玄関、或いは捕虜のファサードと呼ばれている遺構。二階建ての1階と2階の間の軒飾りの上に2階が部分的に載せられている様子。
捕虜のファサードは、2階中央の4本の柱(図の赤い部分)が、人像柱になっていたらしい(内2体は博物館内)。
『CORINTHIA-ARGOLIDA』は蛮族としているのは、当時のローマ人の服装ではないからだろうか。
背後にはコリントス式柱頭と円柱が見えているので、アテネのエレクテイオンの人像柱とは異なっている。
下図では捕虜のファサードは2、続く1:北のバシリカは残っているのかいないのか、通りからは見えない。
通りに面して商店が並んでいた。
『ギリシア都市の歩き方』は、16の店舗を擁する柱廊があるという。
比較的狭い店舗の隔壁が残っている。
4:市場 商店街の遺構に隠れて、半円形になっている部分は見えなかった。
 
レカイオン通りの東側
7:ペイレネの泉水場
『ギリシア都市の歩き方』は、この泉水場の水は、太古の時代から自然に湧出するもので、決して別の場所からもたらされたものではないという。
ギリシア時代には、湧水地点から引きだされた水は、床面に切られた4つの水槽に蓄えられ、そこから外の広場の水盤に導かれるようになっていた。
後1世紀には、4水槽の前に二階建ての建築正面をもつ壁が建てられ、その1階は、現在も見られるような6つの穹窿より形成されたという。
4つの水槽というのはわからない。1つに見える。
二階建ての1階部分には、6つの穹窿が今も残っていて、奥が柱で仕切られているのが見える。
円柱も2本残っている。
復原想像図
後2世紀にはヘロデス・アッティコスによって行われた華美な劇場的付加がある。まず泉水場の北と東西に半円形のアプシス壁を築き、その上に半球面穹窿(半ドーム)を架ける壮大なもので、それぞれ三ヵ所に設けられた壁龕には、自らの彫像を含む家族の彫像が収められた。もちろん、その全面は大理石板によって被われていたという。
確かに泉の前には三つ葉形の建物跡が残っていたが、うまくカメラで捉えることができなかった。
8:アポロンの神域 列柱廊の白い柱が等間隔で残っている。
9:A神殿 前5-4世紀
アポロンの神域の通りに近い場所に基壇のようなものが四角く露出している。
10:エウリクレスの浴場
ローマ時代の浴場のはずだが、よくわからなかった。
奥に公衆トイレがあるのが確認できた。
『ギリシア都市の歩き方』は、それは20人が一度に利用できる規模で、その便座の保存状態は良好であるので、一度は腰掛けてみるのも一興であるとのことだが、現在ではロープが張られていて、中に入れない。
その大半は、現代の道路と村の下に埋没しているので、ローマの浴場を構成する更衣室、冷浴室、温浴室、そして熱浴室(発汗用)の4室は見られないという。
浴場に見えなくても仕方がないのか。
浴場跡から階段を上って出口へ。
レカイオン通りの北側から振り返る。現在は向こうの階段の所で発掘は終わっている。
5:プロピュライア(門) 突き当たりにはアゴラの入口となる門があった。
レカイオン通りの南端には、凱旋門のような単廊式の「フォールム門」が立っていた。パウサニアスによると、その上にはヘリオス神とその息子のファエトンが搭乗する2台の戦車の青銅像が置かれていたとある。
しかし、現在では青銅像はもちろん、門の面影さえない。
これは門の西側の残骸。
そして東側。
しかし、レカイオン通りからは、このコリントス遺跡で最も行きたかったアポロン神殿は、ちらちらと見えるのだが、どこからも繋がっていないので、広大なアゴラの向こうから回り込むこととなった。
下の写真は、見学後遺跡の外側を歩いて出口まで来た時に撮ったもの。
現在の古代コリントス遺跡の入口は、駐車場のすぐ傍にあるが、このように見ていくと、出口として使われている所から入って、まずレカイオン通りと両側の遺構を見学し、門を想像できないが、プロピュライアからアゴラに入って、E神殿、博物館、グラウケの泉と進み、最後にアポロン神殿を見るというコースの方が、この遺跡を捉えやすいのではないだろうか。

おまけ
ローマ浴場跡にあった公衆トイレの前にある水路を見て、なんで上水道がトイレの前にあるのかと不思議だった。
これについて、BS朝日の『BBC地球伝説 地中海6つの旅 第5回 水と文明』で、地質学者イアン・スチュアートが、用を足した後、前の溝を流れる水で手を洗ったと言っていた。
なるほど。
ついでにエフェソスにあった公衆トイレの写真を見直してみた。
 すると、ここにもちゃんと手洗い用の上水道が設置されていたのだった。


コリントス遺跡6 中央アゴラ← →コリントス遺跡8 アポロン神殿

関連項目

コリントス遺跡5 E神殿(オクタビアヌスの神殿)
コリントス遺跡4 博物館3
コリントス遺跡3 博物館2
コリントス遺跡2 博物館1
コリントス遺跡1 グラウケの泉と神殿址
ペロポネソス半島1 コリントス運河

※参考文献
「CORINTHIA-ARGOLIDA」 Elsi Spathari 2010年 ESPEROS EDITIONS
「ギリシア都市の歩き方」 勝又俊雄 2000年 角川書店
コリントス遺跡の説明板