お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2013年8月21日水曜日

ペロポネソス半島2 コリントス遺跡10 アクロコリントス2


道が続くままに登っていくと、城壁に突き当たった。
左側には城壁が折れ曲がって続いている。
城壁の途切れた箇所から見下ろすと、向こうに低い岩山、手前にオリーブ畑。
右へと急ぐ。人の声が段々と大きくなってきた。頂上はもうすぐ。
あれがアフロディテ神殿?
頂上の神殿にしては外観がおかしい。やっと気づいた。これは頂上ではなく、第3城門に入ってから行く手に度々立ちはだかった、あのドンジョンではないか。

④ ドンジョン
ミシュラングリーンガイドは、ドンジョンは13、14世紀のモレアの王族、ヴィルアルドゥアン家所有のフランク族の城跡を見下ろしている。1305年、イザベル・ド・ヴィルアルドゥアンとその夫フィリップ・ド・サヴォワに召集されたモレアとアッティカのフランク族諸侯たちが、その城に集まり、1000人以上の騎士を競わせる馬上槍試合に参加したという。
それだけで、ドンジョンそのものの説明はなかった。
さっきから聞こえていた声は、頂上に着いて景色を眺めている人達の声ではなく、修復作業を行っている人達の話し声だったのだ。
頂上は右向こうの山だったことは分かっていたはずなのに、どこで間違えてしまったのだろう。
すでに11時6分。駐車場には11時20分には着かないといけないというのに。
14分で頂上まで登って景色を眺め、そして下るということは不可能だった。せめてドンジョンから頂上の写真でも撮っておこう。
頂上にはアフロディテ神殿の石材と、2人の人物が見えた。

⑩ アフロディテ神殿
『ミシュラン・グリーンガイドギリシア』は、アクロコリントス(標高574m)の頂には、有名なアフロディテ神殿があり、1本の円柱が立っていて人目をひく。そこからは素晴らしいパノラマが広がっている。北は、コリントス地峡の先パルナッソス山まで、東はアッティカを、南はペロポネソス半島の山々を望むという。
東の海の彼方にアイギナ(現エギナ)島が浮かんでいること、その頂上にアファイア神殿が立っていることが見えたらいいなと期待していたのに。
アイギナ島のアファイア神殿については忘れへんうちににて。
急いで戻って行くと、その頂上が正面に見えるのだった。
⑪トルコ軍の兵舎や⑫ペイレーネの泉は、右向こうの城壁間際にあるのだろう。
再度頂上を撮る。先ほどの2人は石材に腰掛けている。遠くの景色を眺めているのかな?
日刊ギリシャ檸檬の森 古代都市をゆくタイムトラベラーというサイトのアクロコリントスの遺跡にこのアフロディテ神殿の写真があります。
Google  Earth にはこの程度に見えます。

大きな地図で見る
小走り(でもないか)で坂を下っていく。
途中で右手に分かれ道があった。そこに折れていたら頂上まで行けていたのだった。何とも我々らしい間違いをしてしまったものだ。 
左前に倉庫跡。
右向こうにはパルナッソス山は見えていたかな?あせっていたので、遠くの山を眺めることもできなかった。
遅れたついでに、⑥モスクも見ていこう。
天井は落ちているが、前室があったらしい。
『THE ACROCORINTH』は、ベイサデまたはアフメド・パシャ・モスク。正方形の建物が半ドームで覆われている。前(北)に柱廊、北西角にミナレットがある という。
ミナレットは気づかなかった。
祈りの間にミフラーブがある。最初のトルコの支配期(15-17世紀)に建立された。後のヴェネツィア時代に武器庫として使われたという。
ミフラーブにはムカルナス装飾がある。
ドームの天井は抜けている。
当初は漆喰などが塗られていたのだろうが、剥がれてしまったために、返ってドームを架構していく様子がよくわかる。
正方形の平面にドームを架構するためには、スキンチかペンデンティブを用いるが、ここでは後者だった。しかも、小さな建物のため、ペンデンティブは低い位置から出ている。
続いて⑤教会へ。
『THE ACROCORINTH』は、アイヨス・ディミトリウス礼拝堂はアクロコリントスでは唯一損傷なく残っているキリスト教会で、古い建物から借用した材料で造られた円筒天井の建物。入口の上に小さな壁龕があるという。
南の窓の東枠は初期キリスト教会の彫刻(5世紀)が使われているという。
楣石にはビザンティン時代(11世紀)のアーキトレーブの部材が使われているという。
内部の南壁には聖ヤコブの壁画(17世紀)があるという。
入口から見えた内部は、遺構などというものではなく、現在も信仰の場となっているらしく、様々なもので壁まで飾られていた。中に教会の世話をしている人がいたので、写真も撮れなかった。
向こうに八角形のミナレットが見えて来たが、もう内部を見に行くことはできない。
こちら側から見ると、ミナレットは広い台の上に造られたようだが、これはビザンティン時代(9世紀後半-10世紀初頭)の貯水池で、内部は200㎡あり、9本の柱で支えられた2列の穹窿で覆われているという。
第3城門を出る。
そしてひたすら第2城門へ。
第1城門の向こうに駐車場が見えてきたが、我々の乗ってきたタクシーはここからは見えなかった、11時26分。
今回も更に時間を超過してしまったが、ジョージさんは何も言わなかった。
アクロコリントス山から下りてきたら、本土の山(パルナッソス山ではないと思うが)とコリントス湾、そしてアポロン神殿が見えてきた。
コリントス遺跡とアクロコリントスをゆっくりと見学するには半日では足りなかった。
いつの日にか、一日かけるつもりで来たいものだ。


       コリントス遺跡9 アクロコリントス1← →エピダウロス1 大劇場

関連項目

コリントス遺跡7 レカイオン界隈
コリントス遺跡6 中央アゴラ
コリントス遺跡5 神殿E(オクタビアヌスの神殿)
コリントス遺跡4 博物館3
コリントス遺跡3 博物館2
コリントス遺跡2 博物館1
コリントス遺跡1 グラウケの泉と神殿址
ペロポネソス半島1 コリントス運河

※参考サイト
日刊ギリシャ檸檬の森 古代都市をゆくタイムトラベラーアクロコリントスの遺跡

※参考文献
「ギリシア都市の歩き方」 勝又俊雄 2000年 角川書店
「ミシュラン・グリーンガイドギリシア」 1993年 実業之日本社 
「THE ACROCORINTH」 Anastasia Koumoussi 2010年