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イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2013年9月11日水曜日

ペロポネソス半島4 ミケーネ5 メガロン


どういうわけか、メガロンは神殿か宮殿にある炉のことだと思い込んでいたのだが、今回の旅行のガイドブック作りをしていて、メガロンとは3間続きの宮殿主体部で、その一番奥の部屋に炉があるものをいうことがわかった。
ミケーネの遺跡のメガロンは8、アクロポリスの頂上近くに南面しているらしい。
7:プロピュロン(宮殿入口)を通って、
『古代ギリシア遺跡事典』は、宮殿主体部への入口(プロピュロン)は北を向いており、そこからテラス状の回廊を南へ上がっていくという。
テラスに出ると2つの通路がある。みんな左側を進んでいくのは、右側は通行止めになってるからだ。
しかし、立入禁止のぎりぎりまで行って写真を撮る。向こうに低い屋根が架かっている。きっとそこには炉があるだろう。
結局メガロンに近づくには、左側の狭い通路を通らねばならないのだった。
通路の右側の建物跡。
その続きが宮殿の中庭になっている。
同書は、東西11.5m、南北約15mの中庭に出る。ここはミケーネ時代には床が漆喰で覆われ、その上に色彩豊かな装飾が描かれていた。ここから南側の斜面をのぞき込むと、大きな階段の遺構が見える。これは宮殿主体部と祭祀センターとを結ぶ通路の一部だったのではないかと推測されているという。
今ではメガロンは元より、この中庭にさえ足を踏み入れることはできなくなっているので、その階段は見えない。
博物館にある模型で中庭の奥の階段が確認できた。
一方、宮殿の説明板には想像復元図があり、中庭の左奥から木製の階段を降り、踊り場から石段へと繋がっていたようだ。
そういえば、中庭の隣の部屋には基礎に切れ目があり、それが木製の階段へと進む出入口だったのだ。

中庭の左に三間続きのメガロンがある。前室には2つの柱礎、たぶん円柱。後のギリシア神殿のプロナオスのよう。
この円柱も、ライオン門の円柱のように下が細く、上が太かったのだろうか。
『古代ギリシア遺跡事典』は、現在見ることができるのは、ミケーネ文明が繁栄していた最後の段階の宮殿であり、南東に張り出した基壇の上に設けられたメガロンを中心に構成されている。
メガロンは長軸を東西方向におき、全体は長さ23m、幅11.5mの規模をもっていた。中庭に面した2本の柱が天井を支える前庭部から前室を経てさらに奥へ進むと、メガロンの主室にいたるという。

その一つ一つの部屋は、幅は広いが奥行がなかい。
ちょっと高いところから見下ろしたが、何故か主室が写っていない。
ひょっとして左向こうには海が見えているのかな。
たぶんこれ以上屋根の方には近づけなかったのだろう。前室には柱がないことくらいはわかった。
何とか炉はみえないかな。柱礎も一つくらい見えても良さそうなのに。
別のところに回り込むと、屋根の左側が見えた。。
同書は、主室の南東部はハヴォス渓谷に崩落してしまっていたが、現在では復元されて往時の姿を偲ぶことができるという。
曇ってはいるが、アルゴリス湾はやっぱり見えている。これが収穫かな。

『CORINTHIA-ARGOLIDA』に炉とそれを囲む4本の円柱の礎石の図版があった。
『古代ギリシア遺跡事典』は、主室の奥行は13m弱あり、他の同時代の宮殿メガロンと同様に、その中央には4本の柱で囲まれた直径3.7mの円形の炉があった。ティリンスやピュロスの例から類推すると、復元された南側の壁の中央部には玉座があったはずである。メガロンからは、アルゴス平野の西半分を一望の下に見渡すことができるという。
博物館入ってすぐのところにあったジオラマ。反対側から丘の上と共に撮ってみた。
7:プロピロン(正門)を通り、8:宮殿、そしてアクロポリスの頂部。
ミケーネ時代のアルゴス平野とアルゴリス湾。
『図説ギリシア』は、アルゴス平野は、ギリシアには数少ない肥沃な平野の一つである。古代のアルゴス平野はギリシア神話を彩る英雄たちの故郷として、その名はギリシア世界にあまねくとどろいていた。そして、平野のあちこちには、とてつもなく大きな石を累々と積み上げた、およそ人の手によるものとは思われないグロテスクな城塞が点在していたという。 
ミケーネ時代には、メガロンあるいは王宮から、支配する領域を見下ろしていたのだ。
しかし同書は、ギリシア各地に並び立っていたミケーネ文化の諸国ばかりではなく、ヒッタイト帝国、エジプト新王国などの東地中海の列強諸国は、前1200年頃に次々とカタストロフに襲われて衰亡・混乱するとともに、時代は暗黒時代をへて鉄器時代へと向かうことになる。いわゆる前1200年のカタストロフの原因は、いまだに解明されていないという。
ミケーネが繁栄を享受し続けることはなかったのだ。

    ミケーネ4 アクロポリス← →ミケーネ6 博物館1 祭祀センターのフレスコ画

関連項目
ミケーネ9 アトレウスの宝庫はトロス墓
ミケーネ8 博物館3 渦巻文は様々なものに
ミケーネ7 博物館2 土偶
ミケーネ3 円形墓域A
ミケーネ2 ライオン門
ミケーネ1 円形墓域B

※参考文献
「CORINTHIA-ARGOLIDA」 ELSI SPATHARI 2010年 HERPEROS EDITIONS
「古代ギリシア遺跡事典」 周藤芳幸・澤田典子 2004年 東京堂出版
「図説ギリシア エーゲ海文明の歴史を訪ねて」 周藤芳幸 1997年 河出書房新社