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イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2013年10月17日木曜日

ペロポネソス半島5 オリンピア12 オリンピアのトロスはフィリペイオン


エピダウロスに次いでオリンピアでもトロス(円形の建造物)がある。

入口から歩いて来ると、左側にアルティスの境界石垣、その向こうにトロスが見えてくる。
トロスは円形の建物だけでなく、ミケーネのトロス墓のように、平面が円形で内部が円錐形のものもギリシアではトロスという言葉を使っている。
オリンピアのトロスは特に「フィリペイオン」という固有名詞で呼ばれている。
『OLYMPIA』は、その名称はマケドニア王、フィリッポスⅡに由来する。彼は前338年カネロイアでの勝利の後トロスを献納した。フィリッポスⅡの死後、その息子アレクサンドロス大王が完成したという。
アレクサンドロスⅢは前334年に東方遠征を開始し、前324年帰国途上でバビロンで没しているので、ギリシアへは戻って来ていない。ということは、前334年までにフィリペイオンを完成させたことになる。

イオニア式のエンタブラチュアと青銅のケシの実が頂部に載った大理石の尾根があったという。
イオニア式のエンタブラチュアは、図のようにデンティル(歯形装飾)が軒飾りにあるだけで、フリーズやトリグリフとメトープを交互に配置したような彫刻的な装飾がない。細身の円柱と共に、すっきりと軽快だ。
でも、ケシの実というのは他では見たことがない。
渦巻のある平たいイオニア式柱頭も、ドーリス式のエキヌスに比べると装飾的だが、コリントス式柱頭と比べると簡素である。
しかし、拡大すると結構迫力がある。2つの渦巻が何物かの目がじっと見ているようでもある。その上、渦巻の間の平たい出っ張りが口に見えてきた。
渦巻を横から見るとくるくる巻いた紙を真ん中で結わえたようになっている。でも、当時は紙はおろか、羊皮紙もなく、パピルス紙くらいしかなかったはず。パピルス紙がこんな風に束ねられるほど大きく、長いものだったのだろうか。
イオニア式柱頭については後日。

同書は、これは外側に18本のイオニア式円柱、内室に9本のコリントス式柱頭の円柱を持つ直径15.25mの建物である。
内室は、入口の反対側に5体の金と象牙の像が祀られた台座があった。像はアレクサンドロスと両親のフィリッポスⅡとオリンピアス、フィリッポスⅡの両親アミンタスⅢとエウリディケで、有名な彫刻家レオカレスの仕事であるという。


フィリペイオンはゼウスの聖域の中では唯一の円形建物で、古代の建造物で最も優美なものの一つとされている。マケドニアの王家が、ゼウスの聖域の最も開けた場所にこの建物を奉納したのは、ギリシア全土を掌握したことを示すためだったという。
その意図とは異なって、神殿などと比べると、円形で瀟洒な建物だった。
近くから写したので全体が画面に収まらなかったが、エピダウロスのトロス(直径20.45m)と比べるとかなり小さい。エピダウロスのトロスは前365-335年頃、30年も要して建てられた(『CORINTHIA-ARGOLIDA』)。フィリペイオンは前338-334年頃と、4年という短期間で完成した。小さくても早く造ることが重要だったのだろう。
上空から見た写真(説明板より)。左下に写っているのはヘラ神殿。
フィリッポスⅡが、或いはアレクサンドロスⅢがフィリペイオンを建てようとこの地に来た時、隣のヘラ神殿の円柱はどんなだったのだろう。まだ総て木柱だったのだろうか。
復元作業の写真(同上)。
同書は、復元作業は2005年に完了したという。
新しい部材で新築のように復元してしまうよりも、この程度に留めておく方が良いだろう。

オリンピアとオリンピック競技会』は、ポロス石(凝灰岩)の基礎部の上に築かれていた大理石の礎段というが、ポロス石を凝灰岩ではなく、石灰岩とする方が多い。
ポロスとはサロニコス湾に浮かぶポロス島のことで、他にもポロス石を使ったものがあった。 
その内側はこのようになっていた。
エピダウロスのトロスの地下構造の図を思い起こさせる。エピダウロスのトロスを造るのに長い年月を要したのは、円形の建物を建てる時の基礎が難しかったからだろうか。そして、オリンピアではその工夫をそのまま受け継いだので早く建てることができたのかな。
上方の枯れ枝から見下ろすギリシアのカラス(真っ黒ではない)。

博物館では内室のコリントス式柱頭が一つ、第9室に展示されていた。

コリントス式半円柱 前4世紀末
そうだった。エピダウロスのトロスと異なり、フィリペイオンの内室には独立した列柱があるのではなく、付け柱だった。
そして、時代的にはあまり変わらないこの2つのトロスなのに、下写真の洗練されたエピダウロスのコリントス式柱頭とは異なり、フィリペイオンの柱頭は蔓も花もなく、大きなアカンサスの葉が何段にも重なっている。
一番上のアバクスに接している段は、小さなアカンサスの葉が巡っていて、まるで蓮台のようだ。そういえば、どこかで下の方にこのような小さなアカンサスの葉が並んでいるものを見たような ・・・


     オリンピア11 宝庫の軒飾り・棟飾り←     →オリンピアからデルフィへ

関連項目
ギリシア建築7 円形建造物(トロス)
エピダウロスのトロス1 コリント式柱頭
エピダウロス4 トロス
オリンピア9 ヘラ神殿界隈
オリンピア8 博物館4 青銅の楯
オリンピア7 博物館3 ゼウス神殿のメトープ
オリンピア6 博物館2 ゼウス神殿破風の彫刻
オリンピア5 ゼウス神殿
オリンピア4 博物館1 フェイディアスの仕事場からの出土物
オリンピア3 フェイディアスの仕事場
オリンピア2 オリンピック競技のための施設
オリンピア1 遺跡の最初はローマ浴場

※参考文献
「OLYMPIA THE ARCHAEOLOGICAL SITE AND THE MUSEUMS」 OLYMPIA VIKATOU 2006年 EKDOTIKE ATHENON S.A.
「CORINTHIA-ARGOLIDA」 ELSI SPATHARI 2010年 HESPEROS EDITIONS