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イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2013年10月10日木曜日

ペロポネソス半島5 オリンピア9 ヘラ神殿界隈


オリンピアはゼウスの聖域で、ゼウス神殿は前457年過ぎに完成した(『オリンピアとオリンピック競技会』より)。しかし、この地には、ゼウス神殿よりも古い神殿がある。

21 ヘラ神殿 前590年頃 貝殻凝灰岩 床面18.75X50.01m 
『世界美術大全集3エーゲ海とギリシア・アルカイック』は、オリュンピアの聖域の北西角には、前8世紀末頃から周柱をもたない神殿が立っていたようであるが、現在の遺構は、前6世紀初頭に建設された木造神殿の柱が石造に置き換えられたもので、ドーリス式最古の神殿の一つに数えられる。
2段の基壇の上に正面6本、側面16本の円柱が巡り、アルカイック期独特のやや細長い平面をもつ。ナオス(神室)の前後にイン・アンティス(壁端内柱)型のプロナオス(前室)とオピストドモス(後室)がつく標準的な構成をとるが、ナオスの壁際には一つ置きに控壁がつく珍しい列柱を備えている。
同書は、基壇とナオスの壁体下部約1mは創建時から切石造りで、壁体上部には日乾し煉瓦が積まれ、扉枠やアンタエ(壁端柱)には木材が使われていた。柱間が比較的大きいことや石の梁が残っていないことから、円柱が石材に置き換えられたあとも、エンタブラチュアと屋根は木造のままであったと思われるという。
ゼウス神殿から歩いていると、ヘラ神殿の横側が見えていた。
背後より
『ギリシア美術紀行』は、後2世紀にパウサニアスはオピストドモスで1本の樫の木の柱を目撃しているという。
オピストドモスには木の円柱どころか、石の円柱もなかった。
それでも切石を並べた床の一部は残っていた。現在は床石さえほとんど残っておらず、地面が露出している。
樫は文字通り堅い木だという。そのために選ばれた樹木だったのだろうか。
斜め前より。細長いので、ここからでないと全体を捉えられない。
『世界美術大全集3』は、また、隅部の柱間が狭くなっているので、トリグリフとメトープのあるフリーズが存在していたことが推察されるが、上部構造についてはテラコッタ製の瓦や美しく彩色された巨大なアクロテリオン(屋根の頂部装飾)を残すのみで、詳細は不明であるという。


アクロテリオンはオリンピアの考古博物館に展示されている。
『オリンピアとオリンピック競技会』は、幾筋かの同心円が浮き彫りにされ、全体が彩色されていた。周縁に細かい突起が放射状についているので、太陽を象徴していたと考えられているという。
ついでに、ヘラ女神とされている頭部

アルカイック期の像の頭部 前6世紀初 石灰岩 オリンピア考古博物館蔵
同書は、ヘラ神殿とパレストラの間で、等身大よりもさらに大きな女性像の頭部が見つかった。これはヘラの像の頭部であろうとみられている。黄灰色の石灰岩に彫られている。
神域で見つかった像のうちでは初期に属するもののひとつという。
象牙や金で造られた巨大な神像よりも親しみのもてる女神の顔だ。
額にかかるウエーブのある髪の表現が面白い。

プロナオスから中へは入れなかった。
入口の円柱の跡が2つ残っている。内部は土の床になっている。
平面図や説明では、ナオスの内側には、円柱と控壁が交互に並んでいるのだが、中には黒っぽい切石が置いてあるだけで、せっかく珍しいプランなのに、全く想像できなかった。
創建当初からある切石の壁体下部の側を通る。この上には日干レンガの壁が載っていたとはね。
周廊は通っても良いらしい。せっかくなので歩いてみる。ナオス同様周廊も土だった。
円柱がいろんな高さで残っている。中には円柱の位置に、ドーリス式柱頭であるエキヌスが逆さまに置いてあったりする。
エキヌスがアバクスと一体で彫り出されている。
 こちらはエキヌスだけ。

ヘラ神殿の東側に切石積みの小さな遺構があった。

24 ヘラの祭壇
造られた当初は、ヘラに犠牲の動物を捧げる儀式が執り行われた。
しかし、1936年のペルリン・オリンピックから、ここでオリンピックの採火式を行っているという。
このことを記憶に留めて、次回のリオデジャネイロ大会で採火式のニュースがあったら、この祭壇やヘラ神殿をテレビの画面でよく見てみよう。
と思っていたら、9月29日の夜のニュースで、ソチオリンピックの採火式が行われたことを短く紹介していた。
祭壇側からヘラ神殿を眺める。
この祭壇を三方から古代ギリシア風の衣装を着けた女性たちが取り囲み、この辺りから2人の女性が採火していた。ヘラ神殿も、奥のトロスも、よく見えていた。

ヘラの祭壇の左手(南側)に現在の地面より低い遺構があった。

26 先史時代(EHⅢ後期)の建物 前2150-2000年頃
説明板は、1908年にアプシス状建物が発見された。アプシス状建物は石の基礎を持つという。
U字形建物は、ギリシア神殿を遡って調べていて辿り着いた青銅器時代の建築形態そのものだった。
それについてはこちら
家屋の奥の方から撮影。入口側にも、部屋を隔てる壁の基礎もない。
人と比べるとかなりの大きさだが、一体何人くらいが生活していたのだろう。
どのような家屋だったか、時代は少し下がるがクラコウの住宅復元図(前19-17世紀)で見ると、奥の部屋が確かに半円の平面になっている。
開口部のない側を半円にすることによって、長方形のままよりも屋根の荷重を分散できて、丈夫で長持ちできたのだろうか。
ヘラ神殿・ヘラの祭壇・先史時代の建物を上空から眺めた写真(説明板より)。

  オリンピア8 博物館4 青銅の楯← →オリンピア10 スタディオンの西に並ぶもの

関連項目
オリンピア12 オリンピアのトロスはフィリペイオン
オリンピア11 宝庫の軒飾り・棟飾り
オリンピア7 博物館3 ゼウス神殿のメトープ
オリンピア6 博物館2 ゼウス神殿破風の彫刻
オリンピア5 ゼウス神殿
オリンピア4 博物館1 フェイディアスの仕事場からの出土物
オリンピア3 フェイディアスの仕事場
ギリシア神殿2 石の柱へ
ギリシア神殿1 最初は木の柱だった

オリンピア2 オリンピック競技のための施設オリンピア1 遺跡の最初はローマ浴場

※参考文献
「オリンピアとオリンピック競技会」 ISTEMENE TRIANTI,PANOS VALAVANIS 2009年 EVANGELIA CHYTI
「世界美術大全集3 エーゲ海とギリシア・アルカイック」 1997年 小学館