お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2013年10月2日水曜日

ペロポネソス半島5 オリンピア5 ゼウス神殿


フェイディアスの仕事場を出てメインの通路に出ると、正面にゼウス神殿がある。というよりも、ゼウス像を造るために、そのような位置に仕事場を構えたのだ。

43 ゼウス神殿 前5世紀中頃
ゼウス神殿はほとんど倒壊したままで、西の端に円柱が1本再建されているだけ。午前中に見学すると逆光になる。
想像復元図(『オリンピアとオリンピック競技会』より)
同書は、ペロポネソスで最大の神殿であるオリンピアのゼウス神殿は、エリス人がトリフィリア人の都市(前572年に、既に隣国のピサによって破壊されていた)から奪い取った戦利品を資金として、前470年に着工され、タナグラの戦いでスパルタがアテネとその同盟軍を破った前457年過ぎに完成した。この完成年代は、スパルタが戦勝記念としてゴルゴン・メデューサの顔が描かれた黄金の盾を神殿に奉納したことを根拠としている。
破風は大理石の彫像で飾られていたという。
盾と破風の彫像については後日。
ドーリス様式の周柱型の神殿で、正面と後面に各6本、側面に13本の円柱が立っていた。東西向きに建てられていて、正面に神殿の中に入るための斜路が設けられていた。3段から成る礎壇のうちの中、下段の高さは0.48m、上段の高さは0.56mで、礎壇の長さは64.12m、幅は27.68mである。ゼウス神殿の規模は、アテネのパルテノン神殿に匹敵するという。
円柱の高さは10.35m、
円柱の直径は2.25m以下。
ゼウス神殿に使われたドラムは高さのないものだが、直径はかなりある。
貝殻石灰岩で造られたドラムには、中心に四角い穴があり、青銅の部品が嵌め込まれている。
ここに棒を通してずれないように積み上げていったとガイドのアンジェロさんは説明した。


ゼウス神殿が完成したのが前457年過ぎ、フェイディアスがオリンピアにやってきて、ゼウスの巨像を制作していたのが前430年前後ということは、巨像は完成した神殿に運び込まれたことになる。
下図を見ると、ナオスの2列の円柱にはぎりぎり当たらない大きさだったようだ。完成した像をそのまま搬入したのか、幾つかに分解できるように造っておいて、内室で組み立てたのか。

『オリンピアとオリンピック競技会』は、像の本体は木でつくられていて、肌の部分は象牙、髪や髭には金箔が貼られていた。しかも高価な輝石が装飾に用いられていたという。
象牙と黄金だけで造られたものかと思っていた。

同書は、高さが20mもあったゼウス神殿の跡に、現在そのまま残っているのは、礎壇、内室の壁の切り石ブロック、円柱の低部のドラム、そして修復されているいくつかの円柱のみである。522年と551年に起きた地震によって神殿は倒壊し、壁のブロック石や円柱のドラムはばらばらになった状態で神殿の周りに放置されていたという。
そして、そのまま現在までほぼ同じ状態が続いている。また、画面左側の基壇に階段が付けられていて、以前は神殿内に入ることができたようだが、今ではロープが阻んでいる。

このあたりからヘラ神殿の正面(東面)の方に向かって行くと、途中にゼウスの大祭壇があったことになっているが、遺跡では説明板も何もなかった。ひょっとすると、気付かなかっただけかも。

25 ゼウスの大祭壇想像復元図 
『OLYMPIA』は、犠牲の動物の灰を円錐形に積み上げているという。

オリンピア4 博物館1 フェイディアスの仕事場からの出土物
                        →オリンピア6 博物館2 ゼウス神殿破風の彫刻

関連項目
オリンピア12 オリンピアのトロスはフィリペイオン
オリンピア11 宝庫の軒飾り・棟飾り
オリンピア10 スタディオンの西に並ぶもの
オリンピア9 ヘラ神殿界隈
オリンピア8 博物館4 青銅の楯
オリンピア7 博物館3 ゼウス神殿のメトープ
オリンピア3 フェイディアスの仕事場
オリンピア2 オリンピック競技のための施設
オリンピア1 遺跡の最初はローマ浴場

※参考文献
「ギリシア美術紀行」 福部信敏 1987年 時事通信社
「オリンピアとオリンピック競技会」 ISMEME TRIANTI PANOS VALAVANIS 2009年 Evangelia Chyti
「OLYMPIA THE ARCHAEOLOGICAL SITE AND THE MUSEUMS」 OLYMPIA VIKATOU 2006年 EKDOTIKE ATHENON S.A.