お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2013年10月31日木曜日

デルフィ5 アポロンの神域4 ハロースに埋められていたもの


アポロンの神域の参道も半ばを過ぎた。
31:スフィンクスののった円柱が、東西に長々とのびるアポロン神殿の石壁の中央部にあり、その東側には3本の円柱の立つ遺構が見えてくる。それが32:アテネ人のストアだ。

32 アテネ人のストア 前480年頃 30X4m 木の屋根
『ギリシア美術紀行』は、アポロン神殿のための多角石壁(前548年以降)の東端を背面にし、7本のイオニア一石柱のファサードをもつ建物という。
細い一石柱はペンテリコン産大理石。
イオニア式なので、渦巻形の柱頭が載っていたはず。
『DELPHI』は、ストア前にはヘレニズム時代の2つの台座がある。どちらかがデルフィの町の奉納物であるアッタロス2世の胸像が載っていたという。
主に前480年のサラミスの海戦の戦利品を展示するための建物で、ステュロバテスの蹴込みにあたる前面の銘文はこうである。「アテナイ人はこのストアと敵から奪った武器(ペルシア軍勢がヘレスポントスを渡るため橋に使った巨大なロープ)とアクロテリア(ペルシア艦隊の船首)を奉納した」という。
奥行きのない建物なので、あまり大きな奉納物はなかったのだろう。
想像復元図

33 ハロース
同書は、ハロースには前425年頃、金、銀、象牙、青銅、鉄、テラコッタなど多数の聖物が埋められたが、1939年アテナイ人のストアの南の聖道表面下20㎝のところで大小2つの埋蔵場所が発見された。牡牛は代表的なものであるという。

牡牛像 前6世紀前半 銀 ほぼ等身大
イオニア地方の打ち出し像。像の枠は木で、銀製の打ち出し板を銀メッキした青銅の棒で補強されている。木には2列の銀釘で張り付けられている。耳や角などは金メッキされているという。
等身大という通り、巨大な牛のような金属板があるなあと眺めた程度だったので、顔覆い?の様なものを着けているのには気付かなかった。

同書は、3体の象牙と金製の像(chryselephantine)の部品も最も重要なものである。肉体には木の芯に象牙を巻き、装飾品には木の芯に金を巻くという像の制作技術は、アルカイック期及びクラシック期には広く行われていた。その最もよく知られている像はパルテノンのアテナ女神像と、オリンピアのゼウス像で、どちらもフェイディアスが制作した。発見された3つの頭部の内2つは状態が良くなかったが、女性像だったという。
ディアデムが残っていたものはアルテミスと特定された。素晴らしい美術品の金の耳飾りも着けていたという。
ディアデムと耳飾り、そして首飾りか胸飾り。
それよりもこの表情が何とも言えない。
これはスカートのようなものに付けられていたのだろうか。
細い蛇行線が密に、均一につけられている。

同書は、もう1体はもっと状態が悪いがレト女神像だろう。手、指、脚、足などは部分的に残っているが復元できないという。
表情が陰鬱なのは、象嵌の眉のせいであるという。
表面の層になっているところが象牙というよりも木彫みたいだ。
11の装身具はギリシア風ゴルゴン、10の四角い黄金の板はスフィンクス。

同書は、三番目の頭部は、等身よりも大きく、アポロン像だろうという。
女神の一人だと思っていた。
前6世紀のイオニア人の仕事である。神は玉座に坐し、金メッキした銀製の浅い坏を右手に持っていた。2枚の束ねた髪の黄金の板が胸に懸かっているという。

髪のウエーブまでが細かく表現されている。そしてまつげと象嵌された目。
アルテミスとはかなり異なった容貌だ。
2枚の大きな黄金の薄板は、それぞれ8つの実在の、あるいは架空の動物の型押しで、前6世紀中葉のものであるという。
拡大
このように、黄金の板に区切られた矩形の中に型押しで動物文が並べられたものはスキタイ美術にあった。装身具ではなく矢筒覆い(前7世紀末-6世紀初)でもっとくっきりとして、しかも同じモティーフが並んでいる。おそらく似たようなものが、黒海北岸の植民都市からもたらされていたのだろう。

青銅の香炉

同書は、良い香りのする草が燃やされた。ペプロスを着た若い女性が頭上に大鍋をのせているという。
おそらくこの香炉は中空なのだろう。

背面

側面

ハロースというのはこの辺り一体を指しているらしい。
参道の谷側は説明板もなく、適当に写した。それを幾つか並べてみると(左前方の四角い警備員室のようなものを目印にすると、段々進んでいく様子がわかります)、
半円形のアプシス状のもの(実際にキリスト教時代の教会だったかも)があったり、
切石がごろごろと転がっているだけだったり、
アプシス状のものが反対側から見えたり、といった程度。一番気になったのは道脇の巨大なイオニア式柱頭。
円柱の上部には浅浮彫の控えめなアンテミオン、そして上端には卵鏃文がある。
アンテミオンとは、『唐草文様』は、パルメットとロータスの組み合わせによるギリシア式唐草連続文。古典期ギリシア世界に一般的な装飾文様という。
制作時期は、このアンテミオンの形をオリンピア遺跡の宝庫群のアンテミオンと比較して、前5世紀中葉以降で、アカンサス唐草ができる前4世紀前半以前ではないかと思う。

 円柱の上端にはあまり見かけない文様が並んでいる。何という文様だろう。

34 ドロネイア
同書は、ドロネイアと呼ばれる階段。8年毎に催されるステプテリオン祭に、ドロネイアに接する円形広場「打穀場(ハロース)」で、アポロンによるピュトン殺しを再現する演劇が上演されたが、そのアポロン役の青年がこの階段を昇ったという。
そんな階段あったかな~と思っていたら、『DELPHI』にちゃんと図版があった。

35 コリントス人の宝庫 前657-625年頃
同書は、コリントスの僭主キュプセロス(前657-625年頃)によって建立されたため、「キュプセロスの宝庫」とも呼ばれた、デルフォイの最古の宝庫。前548年のアポロン神殿の火災を免れた宝物などが保管されたという。

コリントス人の宝庫跡もわからない。それを過ぎたと思われる辺りで一段低くなっている。その下の方には5:ラケダエモン人の奉納物(前405年頃)が並んでいた跡が見える。
あ、ドロネイア発見!
かろうじてドロネイア(矢印)が写っていた。
実は何枚か上のアプシス状の遺構の下側にあるものが、この写真の矢印のもの、つまりドロネイアでした。気付かずに撮っていました。

デルフィ4 アポロンの神域3 アテネ人の宝庫

関連項目
オリンピア11 宝庫の軒飾り・棟飾り
ギリシア神殿5 軒飾りと唐草文
ギリシア神殿3 テラコッタの軒飾り
巻いた鹿の角は鳥の頭に
デルフィ11 デルフィの町とギュムナシオン 
デルフィ10 アポロンの神域9 スタディオン 
デルフィ9 アポロンの神域8 劇場
デルフィ8 アポロンの神域7 アポロン神殿
デルフィ7 アポロンの神域6 デルフィの馭者像
デルフィ6 アポロンの神域5 青銅蛇の柱に載っていたのは鼎
デルフィ3 アポロンの神域2 シフノス人の宝庫
デルフィ2 アポロンの神域1 シキュオン人の宝庫
デルフィ1 まずはアテナ・プロナイアの神域から


※参考文献
「ギリシア美術紀行」 福部信敏 1987年 時事出版社
「DELPHI」 ELENI AIMATIDOU-ARGYRIOU 2003年 SPYROS MELETZIS
「唐草文様」 立田洋司 1997年 講談社選書メチエ