お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2014年4月19日土曜日

アテネ、アクロポリス1 プロピュライア


アテネには小さな丘が幾つかあり、その一つがアクロポリスである。写真は駐車場から見上げたもの。
『世界歴史の旅ギリシア』は、西側を除く三方を断崖で守られた要害の地である。周囲からの高さ約100mのこの丘には、すでにミケーネ時代になると、その上には宮殿が築かれ、周囲には城壁もめぐらされた。しかし歴史時代に入ると、ここは守護神アテナの神殿などがおかれ、都市アテネの中心的な聖域となったという。
緩やかに折れ曲がった参道を登っていく。当時からこのように大理石が敷きつめられていたのではないらしい。割合最近のことらしいのだが、雨の日は滑って危険という。
ある程度歩いて、ふと見上げると、アクロポリスのプロピュライア(前門)か林の向こうに立ちはだかっていた。
図の左下に駐車場。

もっと登っていくと、①ブーレの門ではなく、②アテナ・ニケ神殿が見えてきた。
② アテナ・ニケ神殿 前427-424年頃 床面8.17X5.40m高さ約8m 
(平面図は下のプロピュライアに)
『世界美術大全集4ギリシア・クラシックとヘレニズム』(以下『世界美術大全集4』)は、プロピュライアの南翼屋の西側に隣接して立つアテナ・ニケ神殿は、ペンテリコン産の良質の白大理石でつくられた高さ8mほどの美しいイオニア式小神殿で、その均整のとれた古典的なプロポーションは、勝利の女神アテナ・ニケにふさわしい落ち着きと優美さを兼ね備えている。
神殿平面は、ほぼ正方形の神室の東西両面に4本の円柱を立てた典型的な両面前柱式で、正面は3段の基壇上に長径0.52m、高さ4.05mのイオニア式円柱が立ち、梁材を支えている。柱径と柱高の比は約1対8で、この時期のイオニア柱としては比較的太く造られており、小神殿にありがちな弱々しさを克服している。フリーズの浮彫りは全周におよび、東正面には神々の姿が、その他の面にはペルシア戦争でギリシア軍がペルシア軍を破ったプラテーエの戦いの様子が彫られている。フリーズの板は全部で14枚あるが、現在までにかなり破壊され、風化が進んでいるという。
近くで見てみたい。
南フリーズ部分 前420年代 大英博物館蔵
同書は、長衣の下着の上に膝までの短い衣を重ね着し、腰に帯を締め、三日月形の盾を手にしているのが、その身繕いからみて明らかにペルシア兵で、対するギリシア兵は裸体で背にマントをはためかせ、丸い盾を持ち冑をかぶっている。
像の重なりよりも像ごとにポーズを変えることによって奥行き感を出す手法や、バックを広く残し像の背後に空気の層を感じさせる浮彫り法、そして肉体と衣文がそれぞれに自己主張し独自の動きをみせ、画面全体に流れるようなリズム感があるなどの点が、後期クラシック様式を予告させる特徴であるという。

坂道の南の端からヘロデス・アッティコスの音楽堂が見おろせた。

壁際を歩いて角を曲がったらプロピュライアだった。

⑤ プロピュライア 前437-432年 中央棟の床面23.86X19.90m 
『古代ギリシア遺跡事典』は、ペロポネソス戦争が始まる直前の前432年に工事は中断された。後ろ側の面の壁に、石材を持ち上げるための突出部が残ったままになっているのは、そのためであるという。
『ミシュラン・グリーンガイド・ギリシア』(以下『ミシュラン』)は、アクロポリスの記念碑的な入口である前門は、建築家ムネシクレースによって建てられ、ペンテリコンの大理石とエレフシスの青大理石とを組み合わせて使っているという。
経年変化のためか、その色の違いはわからなかった。
『世界美術大全集4』は、中央斜路の両側には各3本のイオニア式円柱が並び、径が太くて柱礎をもたないドーリス式円柱と隣り合っているため多少奇異な感じを受ける。南北の翼屋は、イン・アンティス(壁端内柱)式の前柱廊をもち、中央棟に対して直角に向かい合っている。
ヘレニズム時代以前では唯一現存する複合建築であり、ギリシア建築のなかで最も非凡な作品の一つに数えられるという。
三角形の切妻壁を支える柱廊というのは、下図(現地説明板より)のような三角破風の載る箇所のこと。

振り返るとブーレの門が前方にあり、意外と緑の多いアテネの街があった。

① ブーレの門 ローマ時代末期
『ミシュラン・グリーンガイド・ギリシア』は、1853年、フランスの考古学者ブーレによってトルコ軍の堡塁の下から発掘されたものである。ローマ時代末期に建てられたこの門は、その当時も正面階段の手前にあり、二つの塔にはさまれた格好になっていたという。
本来のアクロポリスとは関係のないものだった。
下に広がっているのは古代アゴラ。

プロピュライアの北翼には別の部屋が付属している。

④ ピナコテケ(絵画館)
『古代ギリシア遺跡事典』は、著名なポリュグノトスの筆になる、トロイ戦争にまつわる絵が展示されていたという。

その西側

③ アグリッパの台座 前15年頃 高さ15m
『ミシュラン』は、イミトス産の灰色大理石で造られた台座がそびえているという。
こちらもアクロポリスとは全く関係のないものだが、厚い石と薄い石が交互に積まれていて面白い。
同書は、アウグゥストゥスの娘むこであるアグリッパの四頭立て二輪馬車像が立っていた。ローマ人が来る前には、アクロポリスの入口はアテーナ・ニケー神殿の足元につくられていて、パンアテーナイア祭の大行進が通る聖道として利用された通路になっていたという。
ということは、我々が登ってきた道が正規の道だったのか。
南翼の先にはアテナ・ニケ神殿。

柱身だけの高い円柱の間を通り、中央通路からプロピュライアへ。
高い円柱の先にイオニア式柱頭がのっている。
その上には太い石材の桁が縦横に重なり、格天井になっている。
格天井の枡目一つ一つに刳りがあるような・・・
プロピュライアの奥の間は屋根が抜けているのは未完成だから?
修復されているので途中で継ぎ目があるように見えるが、桁は一本石のはず。

プロピュライアからアクロポリスに入って振り返る。

    サントリーニ11 アクロティリ遺跡5
                   →アテネ、アクロポリス2 パルテノン神殿

関連項目
ギリシア神殿11 格間天井に刳り形
アテネ、アクロポリス3 エレクテイオン神殿
アテネ、アクロポリス4 周囲を眺める
アテネ、アクロポリス5 南麓のディオニシオス劇場
アテネ、アクロポリス6 ヘロデス・アッティコスの音楽堂
アテネ、アクロポリス7 新アクロポリス美術館1
アテネ、アクロポリス8 新アクロポリス美術館2
アテネ、アクロポリス9 新アクロポリス美術館で夕食

※参考文献
「世界歴史の旅 ギリシア」 周藤芳幸 2003年 山川出版社
「ミシュラン・グリーンガイド ギリシア」 1993年 実業之日本社
「古代ギリシア遺跡事典」 周藤芳幸・澤田典子 2003年 東京堂出版