お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2014年5月5日月曜日

アテネ、アクロポリス8 新アクロポリス美術館2


レベル1からエスカレータでレベル3(日本でいうと4階)へ。レベル3は撮影可になっている。

そこは四角く区切られた空間で、後にパルテノン神殿と等身大に造られたフリーズやメトープの展示されている壁面の内部、つまりパルテノン神殿の内部と同じ大きさの空間に入ったのだった。
中にはパルテノン神殿の想像復元模型などが置かれていた。
天井が低いのと、東側はビデオコーナーになっているので、パルテノン神殿の中にいるという感覚はなかった。
西正面
現地では修復作業の重機や足場でよく見えなかった。
『ギリシア美術紀行』は、幅28.35、中央の高さ3.46mの破風は等身以上の巨大な丸彫彫刻で構成されていたという。

彫刻展示室
パルテノン神殿の彫刻群は、東西の破風丸彫り像、外壁のメトープ浮彫、周柱廊上部のフリーズなどの大英博物館他のコピーとわずかな所蔵断片が、当初あった位置に配置されている。

フリーズは南壁西端からと、西壁南端とから始まって、四壁を巡って、神殿の東入口上部で合流している。
同書は、主題は、神殿には他に例をみないことだが、神話や伝説の世界ではなく当時の人間生活を対象としたもので、4年毎に催されるアテナイ最大の祭、大パナテナイア祭のクライマックス、アテナ・ポリアス像に神衣(ペプロス)を奉納するための行列の模様が描かれている。祭の最終日に、外国人をも含めたアテナイの老若男女が様々な役割を担って、夜明けと共にケラメイコスの「行列の建物」を出発して、アクロポリス山上に向かうのである。
フリーズでは、西面全体に行列のしんがりをつとめる青年騎馬隊の準備の様子が描かれている。南北両面は内室を隔ててほぼ同じ位置に同じ行列の構成部分が配置され、行列の流れは東へ東へと進んでいくという。
西南角より
フリーズは内側やや下方に配置され、間近で見ることができる。
『ギリシア美術紀行』によると、西面は現在の神殿に残り、2面は大英博物館にあるということなので、すべてコピーということになる。
西側にはメトープ及び破風の断片が並ぶ。

破風 前438-432年
同書は、アッティカ地方の領有がアテナに決定された後、それに怒ったポセイドンがこの地方を水浸しにしようとする。そしてアテナがそれを阻止すべく立ちはだかる。そういう瞬間が造形化されている。「ポセイドンとアテナ」ではなく、「アテナに挑んだポセイドン」であると、E.ヅィモンの新説を紹介している。
想像復元模型
ポセイドンの背後にあるのは、蛇の巻きついたオリーヴの樹という。
左端近く
ケクロプスとその妻アグラウロス(もしくはその娘の一人) オリジナル

メトープ 前447-442年 
西面メトープは14枚、「ギリシア人とアマゾン族との戦い(アマゾノマキア)」を表すという。
残念ながら騎馬像くらいしかわからないほど風化している。

南面フリーズ 前442-438年
東へ向かって行列が進んでいく。端に近いので、牛を連れて行く場面。
その少し後列の長老たちのデッサン(1674年、J.Carrey画)が展示されていた。

南東角より
同書は、メトープが前447-442年、フリーズが前442-438年に制作され、前438年にパルテノン神殿完成、本尊アテナ・パルテノス像完成、大パナテナイア祭奉納という。

東面へ
東面全体
ペディメントの想像復元模型 原作は前438-432年頃
『ギリシア美術紀行』は、東破風の場合、1674の「カレーの素描」にも両三角隅のそれぞれに数体しか描かれてなく、中央部がいかなるものであったか、もしパウサニアスの記録がなければ、その主題「アテナの誕生」すら判断することができないほどである。「カレーの素描」にある彫像のうち、KとMの首以外、すべてが大英博物館にそのままそっくり残っているという。
『ギリシア美術紀行』は、東破風のうち展示されている彫刻はただの一体に過ぎない。アクロポリス美術館のトルソは、カレーのとき既に地上に落ちてしまっていたもので、その素描にはなく、1840年パルテノンの東正面下で発見された。三角破風の北角で四頭立戦車を駆って大洋の西の果てに沈んでいく月神セレネと認められているという。

フリーズは赤矢印で両側からの行列がペプロス奉納の場面で終わる。

ペプロス奉納の場面 コピー
同書は、行列の先頭は乙女たちであり、すでに彼女たちは東南隅、東北隅を廻って東面の中央に向かってしずしずと歩んでいる。
東面中央のまさに扉上に位置するフリーズの要、神衣(ペプロス)奉納の場面は大英博物館にある
という。

このペプロスが、サフランで染めたもの(『世界美術大全集3エーゲ海とギリシア・アルカイック』より)だったらしい。
東面石板4の左半分 オリジナル
北面から来た行列を東面ほぼ中央で北側を向いて迎えている6柱のオリュンポスの神々のうちの3柱の神々であるという。


北側は見学したが、写真を撮るのがめんどうくさくなってしまった。

北フリーズ第2石板 オリジナル
『ギリシア美術紀行』は、逸る晴がましい祭の心を牡牛の造形に託し、同伴者の若者は、マントに身を包み込むのと全く同じように、その心を節度ある敬神の身振りに秘めて、頭を垂れ、黙々と犠牲獣に付き従う。羊や牛の犠牲獣とその同行者が先行するという。


北東角のライオン樋口
他で見たライオン樋口と違って、薄いを流す穴がない。
説明板は、穴がなく、全くの装飾であるという。

何と言っても、レベル3で一番立派だったのはこのアクロテリア。破風を飾っていたという。
詳しくはこちら

   アテネ、アクロポリス7 新アクロポリス美術館1
            →アテネ、アクロポリス9 新アクロポリス美術館で夕食



関連項目
アクロティリ遺跡の壁画5 サフラン摘みの少女
アテネ、アクロポリス1 プロピュライア
アテネ、アクロポリス2 パルテノン神殿
アテネ、アクロポリス3 エレクテイオン神殿
アテネ、アクロポリス4 周囲を眺める
アテネ、アクロポリス5 南麓のディオニシオス劇場
アテネ、アクロポリス6 ヘロデス・アッティコスの音楽堂

※参考文献
「世界美術大全集4 ギリシア・クラシックとヘレニズム」 1995年 小学館
「THE ACROPOLIS THROUGH ITS MUSEUM」 PANOS VALAVANIS 2013 KAPON EDITIONS
「ギリシア美術紀行」 福部信敏 1987年 時事通信社
「世界美術大全集3 エーゲ海とギリシア・アルカイック」 1997年 小学館