お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2015年6月22日月曜日

シャーヒ・ズィンダ廟群4 トグル・テキン廟


シャーヒ・ズィンダ廟群、次は13番。

13 トグル・テキン廟 TUGLU TEKIN MAUSOLEUM 1376年
同書は、アムール・チムールの支援者であるアムール・フセインは、母親のためにトグル・テキン廟を建築した。20世紀に、この廟のドームは完全に崩壊したが、現在は修復されているという。
表玄関の外装は、散水のテラコッタと壁画で平等に装飾されているという。
散水のテラコッタというのは透彫タイルのことだろうか。壁画というのは、玄関の六角形の青タイルと白い三角形のタイルの組み合わせでつくったリュネットのような装飾の上にある蔓草文のこと?
正方形や長方形を組み合わせた単純なモザイク・タイルが目立つ。入口上には五角形など複雑な形の組み合わせでイスラームっぽい幾何学文様を構成しているかに見えるが、大きめのタイルに絵付けした(ハフト・ランギーかな)と見られる。
他には、アラビア文字のある帯、3/4円柱、その外側のトルコ・ブルーとコバルト・ブルーの同じ文様の反復した文様帯などに、浮彫タイルが使われている。

被葬者への祈りあるいは礼拝を終えて出てくる人々。低い腰掛けのあるところではそれに坐って、そうでないところではしゃがんで、ホジャや先導者が小声で唱える祈祷を、膝の上で両手を上に向けて礼拝している。終わって廟から出てくる姿も、我々カメラを抱えた観光客の厚かましさとは全く異なっていた。
左端の付け柱はオリジナルではないような(判断できるほどタイルのことは分からないのだが)。
しかし、中央の八弁花のような文様を取り巻くコバルト・ブルーの蔓草文や、右の白いコーランの文章、その地になっている複雑にからみ合う蔓草などの浮彫タイルはオリジナルだろう。

中心の小道によって、この廟の軸はシリン・ベカ・アガ廟の軸に向けられているという。
側面にはタイル装飾はない。

内部は正方形、八角形、十六角形そして円形へと移行していくのがよくわかる、何の装飾もない空間だった。
しかし、正方形から八角形への移行部には水平の区画がない。四隅のスキンチが壁龕のよう。
ここでは、数人のムスリムがしゃがみ込んで、静かに礼拝をしていた。ウズベキスタンでは各地で廟の中でこのように礼拝する人々を見かけたが、短くても、静かに熱心に祈りを挙げるその雰囲気には感銘を受ける。ただ、こちらもツアー旅行のため、限られた時間に見学しないといけないので、その礼拝が終わって人々が出始めると、すかさず廟に入るこちらの急ぐ気配には、彼らは違和感を覚え、また不快に感じるだろうなとは思うのだが、致し方のないことなのだった。
白い内部で入って正面の棺に施されていたこのタイルの帯が、唯一の色彩だった。
いつか、1日かけて、この廟群を見学してみたいものだ。あっ、これを願いながら階段を登れば良かったのかな。

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関連項目
ウズベキスタンのイーワーンの変遷
イーワーンの変遷
ハフト・ランギーの起源は浮彫タイル
アラビア文字の銘文には渦巻く蔓草文がつきもの
イーワーンの上では2本の蔓が渦巻く
シャーヒ・ズィンダ廟群の浮彫タイル1
浮彫タイルは浮き出しタイルとは別物
浮彫施釉タイルの起源は漆喰装飾や浮彫焼成レンガ
シャーヒ・ズィンダ廟群1 表玄関にオリジナルの一重蔓の渦巻
シャーヒ・ズィンダ廟群14 クトゥルグ・アガ廟


※参考文献
「中央アジアの傑作 サマルカンド」 アラポフ A.V. 2008年 SMI・アジア出版社