お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2015年10月1日木曜日

シャフリサブスからブハラへ


シャフリサブスで小さな賑わいを発見。お昼時だからか、パンを売る店に人びとが集まっている。右向こうにも何かのお店があるみたい。
学校帰りの子供たち。制服というわけではなく、上が白、下が黒なら何でもいいみたい。
お昼を食べに家に戻るのかな。それとも午前で授業は終わりかな?
民家レストランではまたもりもり食べた。これは前菜の一部。料理と共に食器も写す。
すべてのレストランというわけではないが、またこの濃い染付に細い金彩のある器だった。パフタだったかな、綿の花の文様だとか。色んな形のものがあって楽しい。

シャフリサブスを出て一路ブハラへ。サマルカンドからブハラには、ナヴォイ経由で行くと距離は短いが、ティムールの出身地シャフリサブスにも寄ったので、まだまだ長い距離を通ることになる。

町を出ると果樹園などまた農地の間を走ることになるが、ブハラに近づくほど乾燥地帯となっていく。
遠くにはまた山脈が。天山山脈の西の端がまだ残っている。

たまには小さな町を通り過ぎたり、
羊の放牧を見つけたり(男の子にピントが合わなくて残念な写真)、
ラクダを発見したりと、車窓を楽しむ。
ラクダはヒトコブとフタコブの生息地が中央アジアで分かれると聞いたことがあるが、ウズベキスタンではヒトコブだという。

発電所を前方に見かけ、後方に見えなくなるまで目で追い続ける。それくらい何もなく、また平坦だった。ということは天山山脈はさすがに終わったのだった。
その後ムバレクの町を通過。 

道端には塩の吹き出た土地が見えてきた。乾燥や塩分に強い植物しか育たないので、全体に赤っぽいタマリスクが多くなる。
そんな風に見ていたところでトイレ休憩。長いバス移動では、ガソリンスタンドがない地域では青空トイレとなる。
青空トイレの方が清潔という人もいて、肯ける言葉だったが、学生時代を送ったみやびな京都でも、公衆トイレはきれいとは言い難かった。
市民教養講座である学者に聞いた話では、京の都にトイレというものができるのは、洛中洛外図ができる頃とか。それ以前は野良犬がその役目を果たしていたのだとか。
ちょうどタマリスクのあるところでラッキーだった。
タマリスクの花は10年ほど前にキジル石窟で見かけたのだったかな。
小さな花の集合体。葉はもっと小さい、ほとんどないといっていいくらい。
もう花は終わっているみたい。どんな花だったのだろう。
まさか、こんなモジャモジャの花では・・・
モジャモジャは別の植物だった。カモミールも咲いている。
このトゲトゲに触れないように注意!

その後、相変わらず平たい大地をバスはひた走る。
左手には長々と自然保護区の柵が続く。運が良ければ珍しい動物を見ることができるらしいが、
遠くに見えてきたのは貨物列車。

やがて緑と人家が続くようになり、

カガンの町で貨物置き場の上の陸橋を通過。

モニュメントのあるロータリーを右折してブハラの街へ。
新市街の建物群を抜けてホテルへ。


          シャフリサブス7 ティムールの父の廟と子孫の廟
                                 →ブハラの城壁とタリパチ門


※参考文献
「UZBEKISTAN The Great Silk Road TOURIST MAP」 Cartographia 2009年