お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2015年10月29日木曜日

ブハラのアルク2


③金曜モスク(ジャーメ・マスジディ)の前にある通路をいく。

⑤コシュ・ベキ(大臣)の住居エルチ・ハナのある通路を南へ。

ドームのところで左へ。

④キリニッシュ・ハナ、アミールの玉座の間
『旅行人ノート⑥』は、昔の宮廷の作法では、アミールに背中を向けるのは大変な不敬に相当した。入口のすぐそばに壁が設けられているのはそれを防ぐためで、廷臣たちは後ずさりしながら退出したという。 
入ってもこの壁のおかげで玉座は見えない。
南のアイワン
その前にライオン像があるが、左側にはなく、狛犬のように一対あるというものでもなさそう。
東側アイワン(柱廊)
その中央に玉座
4本の細い木柱に支えられた幾何学文のある天井の奥に、4本の石製の低い柱に木材を足したようなものがある。それが玉座で、かなり簡素なもの。
北のアイワン
後ずさりした廷臣たちは、この壁の裏までいくと向きを変えることができた。
門構えは、内側に向かって装飾がある。
尖頭アーチの上には一重に渦巻く蔓草文

玉座の間を出て奥へ。階段の踊り場に博物館の入口がある。

先史時代の岩絵
大角羊が描かれる。大角羊はこの地に多く生息していたようだ。現在では数が減り、ブハラ郊外に保護区がある。

サカ族の大鍋 青銅製 前4-2世紀              
中国では鍑(ふく)と呼ばれる。通常、三つ足や中央に円錐形の台があるが、この鍑にはない。
大角羊の角を模した把手が3つ、その間に逆さの鹿の角が鋳出されている。
節のある把手が特徴的。同じような節のあるの鍑がタシケントのウズベキスタン歴史博物館にあった。
ゴブレット 前2世紀 ブハラ郊外の墳丘出土
小さな足が付いている。安定は良くなかったのでは?日用品ではなく、饗宴の場、あるいは祭儀などで用いられたのかも。
ライオン像 時代不明 浮彫 テラコッタに着彩
女性の上半身の鳥断片 時代不明 漆喰?
富裕な商人の家の壁面装飾 8-11世紀 石膏 パイケンド出土
ピンボケだが、貴重な壁面装飾。スタンプで文様を線刻しているように見える。
オッスアリ 7-8世紀 パイケンド出土
ゾロアスター教徒の骨蔵器。形が様々。蓋も密閉型と上にのせただけのものがある。真ん中の壺もオッスアリ?
テラコッタの板(塼)の上に並べていたのを再現しているのだろう。
壁画 
かなり褪色しているが、ゾロアスター教の儀式を描いていて貴重。
右側 
左の人物が香炉のようなもののに道具を使って儀式めいたことをしている。右の女性は祈っているように見える。
左側
儀式を行っているものの従者だろうか、或いは王か、それとも家の主か、先ほどのと同じ形のゴブレットを左手で掲げている。

浮彫施釉タイル
サマルカンドのシャーヒ・ズィンダ廟群にあった浮彫タイルとは文様が異なるが、
シャーヒ・ズィンダ廟群の浮彫タイルでは、白い線はアラビア文字の銘文だったが、このタイル片のものは文字を表したものではなく、渦巻く蔓草のよう。
施釉タイル 16-17世紀 ブハラ
アラビア文字だけのタイル、絵付けタイル、六角形の青色タイル、市松文のクエンカ技法によるタイルなど、様々なタイルが作られ続けたことがわかる。
左下のものは、シャフリサブスのアク・サライ宮殿の門のタイルに似ていが、こちらは浮彫タイル
窓の外に、爆撃を受けてそのままのところが見えた。

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関連項目
アク・サライ宮殿の門 タイルの剥落
再び鍑 ウズベキスタン歴史博物館より
フン以前の鍑(ふく)はサルマタイとスキタイ
フン族に特徴的なものは鍑(ふく)らしい
アラビア文字の銘文には渦巻く蔓草文がつきもの

※参考文献
「旅行人ノート⑥ シルクロード 中央アジアの国々」 1999年 旅行人