お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2015年10月8日木曜日

ウズベキスタンの真珠サーマーン廟1 美しい外観


①貯水池から公園の木々の下を歩いて行くと②サーマーン廟が見えてくる。

ここにも小さな池があった。八角形かな、水面に廟が映る絶好の撮影ポイント(普段は全くこだわらないが)。
『ウズベキスタンシルクロードのオアシス』は、モンゴル来襲による破壊をまぬかれたのは、当時、この廟は砂に埋もれていたためで、1926年に考古学者のピャトキンが掘り起こし、イスマイル親子の遺体を発見するまで暗黒の中で静かに眠っていたことになるという。

『イスラーム建築考』は、サーマーン朝の起こりは、874年アフガニスタン北部地方のバルフ附近から出系した首領イスマイル・サーマーンが、ササン朝(226-651)の流れをうけたアラブ系のカリフ支配からブハラを略奪して独立、改新の復興文化という意向の中から、貴族王国の始祖となった。
この廟も、892年のイスマイルの父ナスルⅠの死歿と同時に建立されたといわれていたが、最近になって、内部の壁の中から、イスマイルの孫、ナスルⅡ(943)の名前の書かれた木札が見つかったため、多少、建立の時期がずれていたとしても、この霊廟の建設は、サーマーン朝の892年から943年間の造営になった墓廟建築であることには変わりはない。後に、イスマイル自身もこの墓廟に葬られたのである。
縦10.8mに横10.7m、壁面の高さ10.05mという立方体に近いこの建築は、一見したところ、外形処理の焼平煉瓦によって構成されているという。
「一見したところ」というのは、実際はローマン・コンクリートと同じ技法で築かれているから。
それについてはこちら

この焼成レンガで造り上げた美しい墓廟を見たいと思ったのが、ブハラに、或いはウズベキスタンに来るきっかけだった。
この国でも「ウズベキスタンの真珠」と呼ばれている。
『シルクロード建築考』は、外観上部の四方には、1辺に対し10個のアーチ窓を造り、廟のドーム内空に吹抜けにしたギャラリー(回廊)が続いているように見える。四隅には、半円形の太い柱型を付けて大きなドームの屋根と、小さな4つの円蓋を突出させ、丁度、円柱の頂上へ接続されている構成が、四隅を安定させた美しいプロポーションであるという。
でも、四隅の付け柱は、上の4つの円蓋には繋がっていない。円蓋の方が内側にあるのは何故だろう。
『イスラーム建築の世界史』は、中央のドームの四隅に小さなドームを載せ、近くのハザラのモスクと同じく、五の目配置とするという。その図版がないのは残念だが、前例のある形のようだ。

入口は東側だが、ほぼどの面も同じような構成となっている。
『中央アジアの傑作ブハラ』は、ゾロアスター教の寺院のように、廟のアーチ型の開口部は4面で開いている。廟の装飾は古代のソグド建築の伝統を使用している。八面体の角の古風な円柱、軒と尖頭アーチギャラリーに沿った真珠のチェーン。アラブ人がブハラに侵入した時、モスクに変えられた月の寺院及び日の寺院を除いて、すべてのゾロアスター教の寺院が破壊された。そして、月の寺院が現在のマゴキ・アッタリ・モスクに、日の寺院は現在のサマニー族の廟になったという。
「真珠のチェーン」は連珠文のことだろう。
開口部の上は、四弁花文を嵌め込んだ七宝繋文のタンパン、内アーチの石畳文、浅いイーワーン頂点の上に三角形、その両側に正方形の紋のようなものがある。
これについてはこちら
ここでもそれらを囲んで連珠文が巡っている。

東壁アーチ窓南半分
斜めの刻線で何種類かの円柱となっている。
同北半分
アーチの上に一対の丸い装飾がある。これはファサードと同じではないか。
拡大してみると、
右の円柱は何本かがジグザグになっていて、左の円柱は外方向へ下降する斜線。
V字形になった円柱、アーチの中側は曲面だった。
しかも、内部のスキンチと同じ構造ではないか。

どちらがオリジナルかわからないような円柱の文様。アーチの奥には四弁花文が見えていたりと装飾的。
サーマーン廟は、細部にまで技巧を凝らした建物だった。

『ウズベキスタンシルクロードのオアシス』は、わずかに桃色がかった灰色の壁は月の光で見るのが最も美しいというという。
たまたま満月に近い日にブハラに滞在する日程となったので、それを撮るべく三脚を持って行ったというのに、ブハラの夜は曇っていた。
しかし、運良く滅多にないサーマーン廟のライトアップがあるということで、ガイドのマリカさんが連れて行ってくれた。貯水池から三脚で撮ると、手持ちより低くなるので、サーマーン廟全体が水面に映る姿は撮れなかった。
午前に見学し、午後の休憩時間にもまた訪れたので、この日3度目のサーマーン廟となった。

マリカさんによると、サーマーン廟の焼成レンガを組み合わせてつくった壁面の文様は20数種類もあるという。
それについてはこちら

          ブハラの城壁とタリパチ門
                  →ウズベキスタンの真珠サーマーン廟2 内部も美しい

関連項目
サーマーン廟1 入口周りが後の墓廟やメドレセのファサードに
サーマーン廟2 建築の起源は?
ブハラのサーマーン廟
ラッブルコア工法の起源はローマン・コンクリート
アニのセルジューク朝期の建物に石のタイル
法隆寺金堂天蓋から2 莫高窟の窟頂を探したら

参考文献
「UZBEKISTAN The Great Silk Road TOURIST MAP」 Cartographia 2009年
「中央アジアの傑作 ブハラ」 SANAT 2006年
「シルクロード建築考」 岡野忠幸 1983年 東京美術選書32
「イスラーム建築の見かた-聖なる意匠の歴史」 深見奈緒子 2003年 東京堂出版
「岩波セミナーブックスS11 イスラーム建築の世界史」 深見奈緒子 2013年 岩波書店 
「ウズベキスタン シルクロードのオアシス」 萩野矢慶記 2000年 東方出版