お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2016年8月22日月曜日

バラサグン遺跡2 石人


バラサグン遺跡の案内板によると、
1:ミナレット 2:墓 3:墓 4:墓 5:中心部の廃墟 6:石庭 7:第4墓 8:浴場 9:駐車場?
赤い数字は推測で付けたものです。

石人は散在していたものを寄せ集めて展示されているということだ。
⑤の宮殿跡を左に見て⑥の石人の野外展示場へ。
色とりどりの石人が遠くの方まで展示されている。その時代は、ビシュケクの国立博物館では7-8世紀、クルガンと呼ばれる墳丘墓の前に置かれていたものとされていた。

右手で盃を持ち、2本の刀を携える男性坐像
持ち物は同じだが立像

The Stone Carvings at Burana Tower』は、石質によって、浮彫にしたり、沈み彫にした。双方の技法を使うこともあったという。
細い指を曲げた両手で盃を持つ。刀は見えず、髭もなさそう。髭がないのは女性?
ビシュケクの国立博物館の写真パネルにも細い指で両手で盃を持つ石人のパネルがあった。それは耳飾りや首飾りをつけて、明確に女性とわかるものだったが、これは背広を着た男性にも見える。男性石人で両手で盃を持つものは他になかったので、これも女性かも。
しかし同書は、女性像でも男性像にも片手で盃を持つものもあれば、両手で持つものもあるという。やっぱり男性像かな。
大きな頭部だけを表したような石
こちらもほぼ頭部のみ。首飾りと耳飾りを付けた女性像
石の角を鼻梁に合わせて線刻されている。髭がある。
1体1体時間をかけて見ていくと面白いだろう。
本当に一つ一つ特徴がある。奥の右にある小さな石人は、お地蔵さんのよう。
もっと奥にもたくさんある。元々こんな風に立っていたのなら仕方がないが、他所から運んで来たものなので、見易く並べてほしいな。
石人以外の石材も並んでいる。
石柱を立てて柵でも造る予定だろうか。

その後は宮殿跡へ
草の生えていない道を登り詰めると、そこには人が踏んで草が生えていない通路しかなかった。
もう一つの丘の上には発掘されて露出したままの遺構があるらしいが、そこに回るとミナレットに登る時間がない。結局は宮殿跡でミナレットを眺めただけ。
ミナレットへの通路は南側についている。ということは、モスクやメドレセはミナレットの南側にあったのだろう。
ブハラのカリャン・ミナレットは、西側のモスクと連結していた。ヒヴァではたくさんのミナレットがあったが、モスクやメドレセとの位置関係は様々で、方角ではなく、ミナレットを建てる場所があるかどうかで決められていたようだ。

           バラサグン遺跡1 ブラナのミナレット

関連項目
石人とは

※参考文献
バラサグン遺跡の博物館で買った絵葉書セット
「The Stone Carvings at Burana Tower」 Kubatbek Shakievich Tabaldiev