お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2024年4月16日火曜日

ミマールスィナンの建築巡り エユップ ソコルルメフメトパシャ廟とメドレセ


じつはエユップに行こうと思ったきっかけは、エユップスルタンジャーミイではなく、この辺りにもミマールスィナンが設計した墓廟やメドレセ、そしてモスクがあることを知ったからだった。

エユップスルタンジャーミイ周辺の地図 Google Earth より
エユップスルタンジャーミイ周辺の地図 Google Earth より


エユップスルタンジャーミイの門を出て広い大理石敷の広場の左手に通路があったので、ひとまず行ってみることにした。
(『THE ARCHITECT AND HIS WORKS』は古いので、以前は車が通っていた道も今では歩道になっている)
イスタンブール エユップ地区の墓廟群 THE ARCHITECT AND HIS WORKS より


通路の先には土産物屋などが並んでいて、ふと振り返ると、


この建物がソコルルメフメトパシャ廟ではないかと思い引き返した。

ソコルルメフメトパシャは昨日拝観したカドゥルガのソコルルメフメトパシャジャーミイ(1571年)だけでなく、あちこちにメドレセやモスクを建設している。

この墓廟とメドレセは1569年建造なので、カドゥルガのモスクよりも早かった。設計はもちろんミマールスィナン。
その平面図は『THE ARCHITECT AND HIS WORKS』より
①メドレセ ②講堂 ③コーラン学校 ④墓廟 ⑥トイレ
メドレセというのは集団で勉強するところではなかったのかな。それにしては教室が小さすぎるのでは。
エユップ ソコルルメフメトパシャ廟・メドレセ平面図 THE ARCHITECT AND HIS WORKS より

④ 墓廟
八角形だが、平面図ほど凹凸は感じられない。


この墓廟は通路で講堂と繋がっている。

② 講堂
石材とレンガの層を積み重ねたアルマシュクで、正方形平面から八角形、円という移行が外側に見える形で設計されている。周囲にはソコルルメフメトパシャを慕う人たちの墓標が並ぶ。
『イスタンブール歴史散歩』は、ガラタメヴレヴィハネシ Galata Mevlevihanesi というイスラム神秘主義教団館の説明に、庭の一隅にあるデルヴィッシュ(修行僧)たちの墓の写真を掲載しているが、その墓標とよく似ている。カドゥルガのソコルルメフメトパシャジャーミイの境内に、修道院とセマハネ(儀式の踊りに使用されるホール)がある(『トルコ・イスラム建築紀行』より)というので、ソコルルメフメトパシャが神秘主義者のデルヴィッシュたちとも親交があったのだろう。

③ コーラン学校
左のちょっとだけ見えている建物
丈の低いナツメヤシが小さな実をたくさん付けているが、トルコは産地ではないので鑑賞用で食べても美味しくないだろう。

メドレセの中庭への入口
メドレセ一階の窓と補強アーチが並んでいる。


①メドレセ
細長い中庭を柱廊が囲み、長辺の両側に教室の小さな扉が並ぶ。一人の婦人が植物の手入れをしていた。

静かな空間の向こうに白い小さな家まようなものがあるので、

気になって近付くと、これがシャドルヴァン(清めの泉亭)だった。



講堂側の入口上の柱廊だけは小円のドームではなく、楕円のようなドームになっている。
その上扉が閉まっていたので、先ほどの婦人に声を掛けると快く開けてもらえた。


講堂は礼拝室ではないので、柵がなく、ドームの真下にも立つことができた。モスクランプを見上げると卵が浮かんでいるみたい。部屋が小さいのでランプの数も少なく、全体を捉えることができる。細い金具が多弁の花のように造られている。
外側は正方形から八角形のドラムが立ち上がっていた。内部はというと、円形のドームは八つのペンデンティブで導かれているように思うが、

ペンデンティブの末端は何にも支持されていない。わずかに八角形の角が見える程度で、

そして四隅にはスキンチの代わりに五段のムカルナスがある。ムカルナス最下段の中央は正方形の角の一つに置かれているが、上部のペンデンティブとは繋がっていない。
ここが外から見た正方形の上部部分どちらもドームを架構するために必要な部品ではなくなり、どちらかというと装飾として扱われているような。
カーテンの奥は墓廟に繋がる通路があるが、扉が閉まっているだけでなく、全く開けないようだった。


別の壁面にもよく似たステンドグラスと、一風変わったアーチの扉口があり、扉の片側が開いていた。

そしてステンドグラス
白い部分には小さな点々が無数にあいている。この細かさは同時代のどのステンドグラスよりも小さいのでは。


また別の入口。両脇の棚には、壺なのか装飾なのか、左右対称に並べられている。


この扉口から出て③コーラン学校を見上げ、

次のシアヴパシャ廟へ向かったが、その前に窓の鉄格子の間から廟内を覗いてみると、

すると美しいステンドグラスがあるではないか。外のガラスに反射する木々が邪魔だけれど。
白または無色のガラスが円形だったり、組紐文のように六角形を囲んでいたりして、その中や周囲に小さな丸い色ガラスが集まって文様を構成している。

中央の丸いガラスが二列並んだ上はハートに近い形。その外側には緑の斜格子文

緑の蔓に小さな六弁花があったり、簡素なパルメット文は並のように茎がうねっていたりする。






参考文献
「THE ARCHITECT AND HIS WORKS SINAN」 REHA GÜNAY 1998年 YEM Publication 
「トルコ・イスラム建築紀行」 飯島英夫 2013年 彩流社