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中央アジア各国の旅行記が完成したので、西アジアのイラン旅行をまとめています。
その中で気になるものについては、忘れへんうちにに記事を載せていきます。

2017年8月15日火曜日

チョガ・ザンビール(Tchoga-Zanbil)1 中壁東隅の神殿群

アフワーズに一泊し、今日も遺跡を巡る。

この日も朝散歩に出掛けたが、ホテル近辺は商店の並ぶ地域で、
イランイラク戦争で被害がなかった古い建物の残っている所と、新しく立て直された建物の並ぶところがあった。
風の通る通りは涼しく、風がない通りでは昨日の熱気がまだ残って暑い。
太陽も昇ったばかり。
それでも僅かながら店をあけるために来た人もいたので写させてもらった。
散歩の目当てはバザールでナツメヤシの実を見ることだったが、バザールのメイン通りに脇から入ったが、やはり営業時間にはまだ早いのだった。
ちょっと変わったアーケードが面白い。
ホテルに戻るのに別の道を通っていると、他の街では見なかった家屋があった。二階のベランダが一階よりも張り出しているのは他にもあるが、それが珍しく木製だった。
しかも、木の皮か簾のようなもので目隠しをつくり、その下には木をカーブさせた物を繋いで波のような文様にしている。
別の家のベランダも下側が小さなヴォールトを連続させている。軒を支えているのは鉄製の棒のようなもので、それに細かな焼成レンガを並べた凹面が載っている。
別の通りを抜けて広い道路を渡ると、バザールの門が見えた。
その南隣の建物も、二階が昔の気配を残す。焼成レンガの壁面には斜格子文状のものもあり、等間隔に出た垂木はほぼ水平で、陸屋根になっているようだ。
ホテルの近くにも焼成レンガを文様にして組み立てた壁面が残っていた。
ホテルのレストランはタイル画が巡っていて、
本日の朝食は、一番薄いタイプのパン。左の皿の下側は魚の練り天。

さて本日は、チョガ・ザンビール、ハフト・テペ、シューシュ(スーサ)、シューシュタルの水利施設を巡り、デズフールへ。
ショハダー広場
水位が下がっているというカールーン川の水は濁っていたが、魚は棲んでいるとのこと。
大規模の建築現場にフェニックスのような像が設置されている。
ガイドのレザーさんは言う、アフワーズは石油関係の企業が多く、豊かな町です。日本には毎年9月に日本へのツアーを催行していますが、参加者はアフワーズの人が多いです
高速に入ると、対向車線にイラクの原油運搬車が次から次へと現れる。
イラク戦争の時に石油の精製工場を破壊されたので、イランまで原油を運んできて、精製された石油を積んで帰ります。可哀相にねー。
ガソリンスタンドにも。
シラサギはどこにでもいる。

やがて、チョガ・ザンビールに到着。
どうやら駐車場は中壁に近い場所にあるらしい。
説明板は、外壁と中壁には、居住区、広場が町の東門に集まっている。また、様々な神に捧げられた神殿があり、聖域とされた。
この町は前640年、アッシリア王アッシュールナツィルパルによって破壊され、その後消滅したという。
ジッグラトというものの存在を知って以来、いつか見てみたいものだと思っていたらイラク戦争となり、イラクに点在するジッグラトを見ることはできないので、チョガ・ザンビールのものは何としても見ておきたかった。それが今中壁と内壁の奥に見えているのだ。
イラクのジッグラトについてはこちら
右端の2つに割れた低い山のようなものが中壁の南東の門近くに残る城壁。その手前に並んだ5枚のプレートは遺跡の説明板。板が盛り上がって見えるのは居住区跡。
ジッグラトに向かっていると、イラクの湿地帯に古来より現在に至るまで造られてきた葦の家が、こんな乾いたところにあってびっくり。
添乗員金子氏の旅日記によると、イラク南部だけでなく、この地方にも多いアラブ人の伝統家屋なのだそう。
よく風を通しそう。でも、写し方が悪いのか、建物の両端の高さがかなり違って見える。

説明板にあった遺跡地図
1ジッグラト 2内壁の南東の門 3内壁の南側の門 4内壁の北東の門 5内壁の北方の門 6ナピリシャ神殿 7キリリシャ神殿 8イシュニカラブ神殿 9西方の門 10神殿群 11ピニキル神殿 12アダドとシャラの神殿 13シムトとベレトアリの神殿 14ナプラテプの神々の神殿 15ヒシュミティクとルフラティルの神殿 16中壁の北東の門 17中壁の南東の門 18ヌルキブラト塔 19閉じられた門 20南東の複合建物 21中壁の南西の門 22複合住居 23水利施設 24ヌスクの神殿 25墓室のある宮殿 26第2宮殿 27第3宮殿 28外壁の東方の門
町を護るための外側の城壁は厚さ6m、高さ9mありました。
手前の中壁、ジッグラトに密接したような内壁の向こうに、ジッグラトのアーチ門のようなものが見えている。
ジッグラトについて『ペルシア建築』は、古代の中東地域には、山を讃美し崇拝する傾向があまねく存在した。メソポタミア平原の単調な景観を救っていたのは堂々たるジッグラトであるが、これはイラン高原をとりまく山々、馴染み深い聖なる山々の、宗教的な模造品に他ならない。要するに、こうした巨大建築の目覚ましい発展は、それ自体、たとえメソポタミア的なものであったにせよ(ジッグラトはシュメールの地で前2200年頃までに成立した)、その発想や解釈は明らかにペルシア的なものであったと言える。東方から低地へ移住した人々は、自分たちの山々を一緒に運んでくることはできなかったので、みずから「聖なる丘」「万国の山」を築いたのであるという。
その想像復元図(『ペルシア建築』より)
ジッグラトについて説明板は、メソポタミアとエラムで使われていたアッカド語で、巨大な複数の層で構成された神殿を指す。チョガ・ザンビールのジッグラトは、約105mの正方形平面。
ジッグラトは、表面には焼成レンガが用いられているが、核は日干レンガである。第1層の各面に合計4つの通路がある。
一番高い所に登るには南西の通路が使われた。このジッグラトは最も重要なエラムの神々の2柱に捧げられている。その名はインシュシナクとナピリシャで、どちらも頂部に神殿があるという。
説明板は、
同書は、イランとシュメールとの間を結ぶ役割を演じたのは、前3千年紀に早くも王国を形成するに至ったエラム人である。全ジッグラト中、最も大規模な例といえば、おそらくエラムのチョガ・ザンビルが挙げられよう。偉容と特質の点でエジプトのピラミッドと並ぶこのイラン最古のモニュメントは、スーサからほど遠からぬドゥル・ウンタシに、エラム王ウンタシュ・ガルによって、前1250年頃に造営されている。このジッグラトは神殿であると同時に墓廟でもあった全体の形を見るとね同心的に配置され、かつ別個に建設された、高さの異なる5つの塔から成り立っており、中心に位置する最も高い塔はね底辺が方約35.0m、高さが約48.8mという値を持つ。一方、内部を見ると、一群の部屋をはじめ、墳墓、トンネル、アーチ、階段、排水路などが備わっており、いくつかの部屋は一辺の長さが15mを超える。神殿そのものは平坦な頂上部に載せてあった。ジッグラトの壁面は、金属光沢を伴う青や緑の施釉焼成煉瓦で徹底的に装われていた。また一部には象嵌技法による象牙モザイクも用いられたが、木製の扉は不透明なガラス・モザイクで飾られ、飛びはねる動物などを表していた。他方、建築的なディテールの造形には施釉のテラコッタが使われていたという。
水平に4層の壇を積み上げたのだと思っていたが、中央の塔を、高さの異なる3つの厚い壁体が垂直に囲んでいたのだった。

17南東の門から中壁内に入る。
説明板は、中壁には4つの門があり、その2つが南東に、あとの2つは北東と南西にある。南東の2つの門のうち一つ(19)は町の建造の後に閉じられ、もう一つ(17)は神殿群近くにあり、宗教儀式の間王族が使っていたようだという。


門の部分が凹んでいるのではなく、門の両側が壁面から出っ張っているのだ。日干しレンガの城壁が残っていて、当初は高さ9mあったという。
門の内側には狭い階段。
この高くなっている部分が壁の厚み。
その反対側には中壁へと登るための階段。

東の神殿群
説明板は、中壁の東隅に西を向いて並んで建てられた。焼成レンガの銘文により神々の名が判明しているという。
11から13は、祀られている神が1柱か2柱かの違いくらいで、参拝路が斜めになっている点や、神像の安置された部屋の背後にも別室が設けられている点が共通する。
巡礼に来た人々が造った神殿です。ゾロアスター教よりも前の信仰です。
近づき過ぎて4つ並んでいるのを1枚に写せなかった。
11ピニキルの神殿
他の神殿の同じプランだが、これだけが1柱の神に捧げられている。エラムで最も重要な女神という。
12アダドとシャラの神殿
アダドは風の神、シャラはその妻で雨の女神です
床は当時のままで、矩形の塼のようなものが残っている。その奥に小さな部屋があり、そこから神殿中央の入口まで斜めに舗装された参道が付けられているのが見える。これには意味があるのだろうか。
13シムトとベレトアリの神殿
丸く盛り上がっているところに神さまの偶像がありました。その前に鷲と牛の像もありました。鷲は近衛兵、牛は富の象徴です。
もう一つの神像基壇は隠れている。そして、その背後の壇に塑造の坐像のようなものが4対ほど並んでいるように見えるが、これは建物の装飾だったのかも。
14ナプラテプの神々の神殿
2柱ずつ安置した4つの祠が横に並んでいる。
生活が良くなるように恵みをくれる神さまたちです。


    ビーシャープール2 謁見の間


関連項目
ジッグラトがイラン高原の山だったとは

参考文献 
「ペルシア建築」SD選書169 A.U.ポープ著 石井昭訳 1981年 鹿島出版会
「古代オリエント事典」 古代オリエント学会編 2004年 岩波書店
「季刊文化遺産8 古代イラン世界」 1999年 財団法人並河萬里写真財団
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」 2000年 小学館