お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2011年9月14日水曜日

1-37 イスタンブール考古学博物館7 古代オリエント館2

何故かアッシリア美術も多かった。きっとオスマン帝国時代に領土だったところから都のイスタンブールまで運んできたのだろう。

ラガシュの神官王グデアとウル第3王国(前2141-2004年)のコーナー。
奥に角の多重冠を付けた神官王を表したステラ。
手前に粘土板文書を重ねた様子が再現されている。
右端の黒っぽい棒状のものは、神殿の定礎時に埋納されたブロンズ像。
これについては後日。
北メソポタミアのコーナーに来た。
トゥクルティ・ニヌルタ1世の祭壇 前13世紀後半 アッシュル出土 石灰岩 高103㎝
『世界美術大全集東洋編16西アジア』は、シャマシュに礼拝しようとしているトゥクルティ・ニヌルタを表している。ここでも神はその姿を現さず、王の左右に立つ精霊らしき人物が持つポールの頂部のシンボルで象徴的に表現されているにすぎない。神の姿を直接描出せず、高い位置にシンボルで表現することは、つぎの前1千年紀のアッシリアの浮彫において一般的な事象であるが、この現象はすでに前13世紀に定着していたという。
竿の上にあるのは同じ神の象徴だが、太陽円盤だろうか、それとも星辰/ロゼット紋/円盤星 戦の女神イシュタル(シュメルのイナンナ)だろうか。
木製の扉に青銅製の帯がつけられている。戦車や人物が行進する様子が打ち出しで表現されている。
壁面装飾板 彩釉テラコッタ 
中央の丸い突起に目玉のような同心円文、平たい部分には2種類の植物文様。
似たものを日本の博物館で見たことがある。こんな大きなものを壁に並べて掛けるというのが室内装飾としてイメージしにくかったが、イスタンブールでそれを見ることになろうとは。
いわゆるアッシリア・レリーフもあった。この博物館は何というところだろう。

『アッシリア大文明展図録』でニムルド宮殿とニネヴェ宮殿の浮彫を比較すると、ニムルド宮殿のアシュールナツィルパルⅡ(前883-859年)が建造した北西宮殿の浮彫(前875-860年頃)に近い。その違いは脚や腕の筋肉表現によく現れるものだ。
同書は、アッシュールナシルパルⅡ世の治世に、雪花石膏の特質がはじめて注目され、宮殿装飾に大規模に採り入れられるようになった。トルコ南部やシリア北部において観察する機会のあったヒッタイトの建築様式から、直接的な影響を受けているものと考えられるという。
オルトスタットはヒッタイト起源だったのだ。
もう一方の壁にもアッシリアのレリーフがある。どちらにも有翼の守護精霊が登場する。
同書は、腰のベルトに短剣を2本と砥石を差している。右手に持つ円錐形のものは、アッシリアの文献によれば浄めの儀式に使うためのものであるり、左手に持つバケツの中の液体に浸して浸かったものと考えられる。この形は雄のナツメヤシの仏炎苞に由来し、それは雌のナツメヤシに授粉する時に使われたという。
守護精霊の前後にはアシュールナツィルパルⅡらしき人物が同じようにナツメヤシの雄花を持っているが、残念ながら聖樹あるいは生命の樹と呼ばれたナツメヤシの浮彫が欠けている。
シャルマネセルⅢ像 新アッシリア帝国時代 前858-824年 アシュール、カラート・シャルカト出土 玄武岩
同展に出品されていた父アシュールナツィルパルⅡ像によく似ている。
ここでは王は王冠を戴くことなく表現されている。王の髪は当時のアッシリア宮廷の流行に従って長く、豊かにたくわえられた顎鬚はどの廷臣のものよりも立派に表現されている。
王が右手に持っている儀式用の鎌は、神が怪物と戦う場面でも時々用いられる武器である。王が左手に持つ棍棒は、王の権威と最高神の代行者であることを象徴するという。 
棍棒の丸い頭は、ラガシュの神官王グデアとウル第3王国(前2141-2004年)のコーナーの手前中央にも置かれているので、メソポタミアではかなり古くからの王の持物だったのだろう。
儀式用の鎌の形が違うくらい。
後期アッシリアのオルトスタットも並んでいる。

城門のオルトスタット 王の戦車と護衛兵 後期アッシリア ティグラトピレセルⅢ期(前774-727年) アスランタシュ、ハダトゥ出土 高100㎝
アスランタシュはフリュギアの地域だと思っていたが、後期アッシリア時代の都市があったようだ。
馬車の後ろに子馬に乗っているのは護衛兵というよりも皇子だろう。
その後ろ。
同書は、アッシリア彫刻の初期の叙事的な場面では、王の業績をようやくないしは象徴する傾向があり、 ・・略・・ 壁面装飾用の浮き彫り板はその各々で一つの場面が完結するように意図された。ところが、前7世紀の末頃までには、そのような画面の分割は事実上殆ど無視されるようになり、構図が部屋の壁面全体にまで拡大されて描かれるに至ったという。
なるほどアッシリアの兵士たちが王の戦車の後ろに続いている。
アッシリアの兵士の列の後ろには尖ったヘルメットを被った兵士が続く。これもアッシリアの兵士たちで、その後ろに戦利品を運ぶ列が続いている。
浮彫と銘文のあるステラ 神々の象徴の前で祈るセンナケリブ王 前705-681年 ニネヴェ、クユンジク出土 石灰岩
神々の象徴について(『古代メソポタミアの神々』より)。
①台座の上の多重冠 同型のものを3つ並べて、天空神アヌ(シュメルのアン)、大気神エンリル、水神エア(シュメルのエンキ)を意味する。台座は神殿または祭壇。
②上弦の月/三日月 月神シン(シュメルのナンナ)
③有翼日輪
④稲妻/二叉フォーク 天候神アダド
⑤太陽円盤 太陽神シャマシュ(シュメルのウトゥ)
⑥不明 
センナケリブ王は右手の人差し指で神々をさすような仕草をしているが、それが当時の祈りの姿勢。

※参考文献
「イスタンブール考古学博物館図録」(1989年 イスタンブール考古学博物館)
「古代メソポタミアの神々」(岡田明子・小林登志子 2000年 集英社)
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」(2000年 小学館)
「大英博物館アッシリア大文明展-芸術と帝国 図録」(1996年 朝日新聞社)