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中央アジア各国の旅行記が完成したので、西アジアのイラン旅行をまとめています。
その中で気になるものについては、忘れへんうちにに記事を載せていきます。

2015年6月3日水曜日

サマルカンド歴史博物館2 サーマーン朝の建築装飾


博物館に入って正面の壁には装飾的なテラコッタの板が飾られている。興味深かったが、外から入ってくる光や照明で、よくは見えなかった。

『中央アジアの傑作サマルカンド』は、サーマーン朝の建築について、10世紀には、アフラシアブの丘に、最初の大きな⑧ドームのある建物が現れたという。
⑧ドームのある建物はこちら
同書は、装飾では、粘土に彫刻した「アラベスク」という様式が一般的になった。精密で幾何学的な文様から、当時のイスラム数学が高いレベルにあったことがうかがえる。サマルカンドの民家の内装として用いられたという。
また、カラハン朝とセルジュク朝については、10-11世紀において、テュルク族のカラハン朝とガズナ朝の攻撃により、サーマーン朝が崩壊した。11世紀の中頃には、西のカラハン朝はサマルカンドを首都として自立した国家を創った。当時はサマルカンドの最盛期であった。10万人が住んでいた。
シャフリスタンだけでなく、外の都市も城壁で囲まれていた。城壁には宮殿が建設された。
11世紀末には、カラハン朝は自らを西のイスラム世界を征服したテュルク族のセルジュク朝の臣下として認めた。1141年にスルタン・サンジャルとカラハン朝のマフムド・ハンの軍隊は、契丹人(西遼、カラ・キタイ)に撃滅された。カラハン朝はサマルカンドの支配権を守ったが、契丹人の臣下となったという。

10-12世紀のものというくらいしかわからない。
左:葡萄唐草文
中央:葡萄唐草文だが、上の方に別の植物が入り込んでる
右:菱形の区画に五葉の葉がある

細長い葉の間に花か蕾がある。植物文には違いいなが、何を表しているのか不明。

植物文らしいが、何を表しているのだろう。それが左右対称になって、一対で扉口か部屋の出入口を飾っていたのかも知れない。

かなり大きなテラコッタのパネルだったらしい。文様の線が細い。
中央:生命の樹のような植物の周囲を蔓草文が巡る
左右:葉細い線の蔓草文と、木の幹を表したような半円柱が並ぶ

上中央:鋸壁文
上左右:葡萄唐草文のあるパネル
下:多弁形アーチ状のリュネットに植物文、生命の樹だろうか


上左・上中央:葡萄唐草文
上右:広い葉の植物文
下左:八弁の花と組紐文を交互に配した文様帯に、葡萄唐草文や六弁・八弁のロゼット文が入り込んでいる
下右:葉びっしり生えた蔓が弧を描いて一周し、その中に七弁の花が咲いている

2階にはフレスコ画の断片が展示されていた。

壁画断片 カラハーン朝(10-12世紀) 宮殿出土 
疎らに小さな葉を付けた蔓草文は、蔓が細く優美。
それを背景に、左向きに犬が駆けている。赤い方は尾が長く、後ろの方は耳が垂れている。どちらも首輪を付けた猟犬のよう。

壁画断片 カラハーン朝(11-12世紀) 宮殿出土
連珠文の上の青いものは、おそらくアラビア文字だろう。
その下には細い蔓草文を背景に、白い犬が駆けている。首の辺りの毛が長いので、首輪は見えない。
その下には別の植物文と、様々な帯文様を何段か重ねている。

壁画断片
植物文の地文様の中に、三つ葉型などの枠が配され、その中に植物文が描かれている。

壁画の出土時の写真 カラハーン朝 サマルカンドの要塞出土
おそらく三つ葉型アーチに表された女性の顔という説明がある。

出土した壁画断片のデッサン
ヒゲのある男性の顔

出土した壁画断片 やや斜めを向いた顔。やはりヒゲがあるので男性だろう。

壁画のデッサン
体にぴったりとした衣裳を身に着けているので、おそらく男性を描いたのだろう。
その布地には人面を持つ鳥が表されている。

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                 →サマルカンド歴史博物館3 宮殿の壁画1

関連項目
一重に渦巻く蔓草文の起源はソグド?
アフラシアブの丘を歩く
アフラシアブの丘が遺跡になるまで
サマルカンド歴史博物館4 宮殿の壁画2
サマルカンド歴史博物館5 宮殿の壁画3

※参考文献
「AFROSIAB」  2014年 Zarafshon