お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2015年7月20日月曜日

シャーヒ・ズィンダ廟群13 クサム・イブン・アバス廟


シャーヒ・ズィンダ廟群で最も古いのがクサム・イブン・アバス廟である。

サマルカンドの古い街は、チンギス・ハーンによって破壊された。その街は現在ではアフラシアブの丘の遺跡として残っている。
それについてはこちら
破壊される前のサマルカンドはこのような街で、すでにクサム・イブン・アバス廟は建立されていた。
その後たくさんの墓廟やモスクが建てられ、ティムール一族の廟群が造立されてシャーヒ・ズィンダ廟群と呼ばれるようになった。

28:第3のチョルタックのドーム下右にその扉口がある。
古くはなさそうだが、木製の扉には整然とした植物文やアラビア文字の銘文が浮彫されている。
扉の上にはアラビア文字の銘文があり、「性格や外見において誰よりも私に似ているのは、アル・クサム・イブン・アル・アパスである」とイスラム教の預言者は言ったと書かれているという(『中央アジアの傑作サマルカンド』より)。

クサム・イブン・アバス廟
『中央アジアの傑作サマルカンド』は、預言者ムハンマドのいとこであるクサム・イブン・アバスの廟は、サマルカンドで最も尊敬されている神聖な場所である。彼の一団が祈りを捧げている最中に攻撃された際、クサム・イブン・アバスはサマルカンドの壁近くで死んだと言われる。
1つの説によると、クサム・イブン・アバスは傷つき、地面に開いたひび割れの間に消えたという。また別の説によると、彼の頭部が切られたが、彼はそれを拾い、井戸に消えていったそうである。二つの伝説の共通点は、クサム・イブン・アバスは今でも生きていて、地下にいるという点である。そういったことから、この場所は「シャヒ・ジンダ」(生ける王)と名づけられた。10-11世紀には、クサム・イブン・アバスはイスラム教の聖人、そしてサマルカンドの守護者として尊敬されるようになった。
11世紀のカラハーン朝のころ、シャヒ・ジンダには、墓石を置いてグルハナ、ミフラブがある礼拝のための部屋、そして地下には40日間のお祈り用の部屋が造られた。
シャヒ・ジンダ廟の入り口にミナレットも造られて、そしてカラハーン朝のタムガチ・ボグラ・ハンによって、クサム・イブン・アバス廟の隣に中央アジアで最古とされているメドレセとモスクが建設されたという。
グルハナとは墓廟のこと。

入口から入ってすぐ右側にミナレットがある。

29:ミナレット 11世紀 焼成レンガ
まだ施釉タイルのない頃は、同じ大きさの焼成レンガの並べ方などで文様を作っていた。
上部の縦に1、横に2つという並べ方や、入口脇り交差する文様(これも組紐文というのかな)など。入口上部の亀甲繋文は、三角形の小さな焼成レンガを組み合わせてつくっている。
入ってすぐの天井は、焼成レンガによる尖頭ヴォールト。
この細長く白い空間を、突き当たりを右に進んでいく。

30:クサム・イブン・アバス・モスク付属の建物 15-19世紀
この通路のことだろう。ここにもモスクへの入口があるが入れない。上の照明の透彫がいい。
角を曲がると、右手の窪みに、浮彫のある木製の梁や上部構造が少しだけ残っている。
そしてまた同じ文様の照明が別のアーチ・ネットのドームにあった。

その右手には白い壁とタイルの広間。

31:クサム・イブン・アバス・モスク 1460年代
立入禁止のロープが張られているので、遠くからの撮影となる。
『世界美術大全集東洋編17イスラーム』は、15世紀のティムール朝に発達したタイ ルの技法の例は、すべてシャーヒ・ズィンデ墓廟群に見ることができる。イランと中央アジアで完成を見たタイルの技法としては、ティームール朝以前から使わ れてきたラスター彩と上絵付のラージュヴァルディーナ彩、14世紀後半から15世紀初期に中央アジアで発達したクエルダ・セカなどが継続して使われた。新 たに発達したモザイク・タイルは、多様な形のタイル小片を組み合わせて装飾文様を表す技法で、諸技法のなかで最も手間がかかるが、完成度の高いものの美し さは格別である。このほかに無釉レンガと組み合わせて使う施釉レンガ(バンナーイ)などがあるというので、これまで注意しながら見学してきた。他の技法のタイルはほぼ判明したが、ラスター彩だけは探し出せていない。
ラスター彩はその時最も力のある王朝が、首都に工人を呼び寄せて作らせたほどの貴重なものなので、使っているとしたらミフラーブあたりではないかと眼を凝らすのだが、遠すぎる。
ミフラーブ上のアラビア文字の銘文にはトルコ・ブルーの一重の渦巻く蔓草地文に表されているのは分かる。しかしラスター彩ではない。
ミフラーブの壁龕内もラスター彩ではなさそう。

つづくドームの地下に、32:地下のモスク(11世紀)があるのだろうか。
ここからは階段はなく、葬儀用モスクの通路としか思えなかった。

33:葬儀用モスク 11-15世紀
青いタイルの八角形ドームは、頂部にいくに従って、滑らかな曲面になっていた。
照明の色で不思議な色に見えるが、青・白・紺の三色の小さなタイルで構成された文様が3種類ある。
稜の白い凸線とそれを挟む2本の青線は、頂部の8点星まで伸びて、別の稜へと下りて行くアーチ・ネットになっていると言えるかも知れない。
正方形、八角形のまま八角形ドームを載せている。
四隅のスキンチには6段のムカルナスだが、上からの荷重を支える役目は失っている。
スキンチのムカルナスは浮彫タイルだった。

34:クサム・イブン・アバス廟
入って正面の壁中央には透彫の木製の扉。これがクサム・イブン・アバスの廟へとつながる扉となるが、もちろん入れない。
クサム・イブン・アバスに礼拝に来た敬虔な信者たちではこの小さな部屋を取り囲むようにしてしゃがんでいて、ホジャが短い祈祷をしている間、両掌を顔の前で上を向けて祈りを捧げている。
ホジャの小さな声だけの静謐な時間と空間はとても心地良いものであるし、邪魔はしたくないのだが、観光には時間の制限があるので、観光客はその間に入って、目立たないようにしゃがむことになる。しかし、いつまでもそうしている訳にもいかず、祈祷が終わり、次の巡礼者たちと入れ替わる時を見計らって写真をとることになる。
向こうに何か赤いものがあるようだ。
この透彫も美しい。

同書は、グルハナの中には、14世紀の陶磁器で造られた5段の墓石がある。マジョリカの模様は、植物やコーランの文言の碑文を組み合わせたものである。上段の端に「ここがおじさんの息子であり、アッラーの使者であるクサム・イブン・アバスの墓である」と書かれている。三段目にはコーランから引用文があり、「アッラーを守りながら殺された者を死者と思うなその者は今も生きている」と明記されている。四段目には、「この豪華な宮殿は真の信者の心を照らす天国」と書かれているという。
2段目の滴状の白いタイルを見た限りでは、金彩が鮮やかでラスター彩ではないし、金箔ではないのでラージュヴァルディーナでもない。

第3のチョルタックへ戻っていると、31:モスクの別の方向にある扉が開いていた。
ここにも美しい浮彫の木の扉があった。扉は両開きになっていて、その文様は様々だが、一対の扉の文様は左右対称となっている。
主ドームの下はやはり四隅からでたペンデンティブ風のアーチ・ネットになっていて、その下部の4つのイーワーン状の両端には複雑なムカルナスの曲面となっている。
やはり、ここからでもミフラーブはよく見えない。
南の開口部からは、15:シリング・ベク・アガ廟と16:八面体の廟が見えた。

外からみたクサム・イブン・アバスの廟とモスク

『中央アジアの傑作サマルカンド』は、この墓廟群にはたんにタイル技法の種類が多いだけでなく、その使用法によって、イランや後のティムール朝建築には見られない特殊な雰囲気を醸し出している。
シャーヒ・ズィンダー最古のクーサム・イブン・アッバース廟が建立された1300年頃の中央アジアには、イランを中心としたイル・ハーン朝のタイル文化とは異なるもうひとつのタイル文化の中心が存在したとは考えられないだろうかという。
残念ながら、クサム・イブン・アバス廟が最も古く、入口付近のミナレットや尖頭アーチの天井に焼成レンガが残ってはいるものの、タイル装飾の古いものは残っていないようだ。

         シャーヒ・ズィンダ廟群12 第3のチョルタック
                    →シャーヒ・ズィンダ廟群14 クトゥルグ・アガ廟

関連項目
ウズベキスタンのイーワーンの変遷
イーワーンの変遷
イーワーンの上では2本の蔓が渦巻く
シャーヒ・ズィンダ廟群1 表玄関にオリジナルの一重蔓の渦巻
シャーヒ・ズィンダ廟群2 2つのドームの廟
シャーヒ・ズィンダ廟群3 アミール・ザーデ廟
シャーヒ・ズィンダ廟群4 トグル・テキン廟
シャーヒ・ズィンダ廟群5 シャディ・ムルク・アガ廟
シャーヒ・ズィンダ廟群6 シリング・ベク・アガ廟
シャーヒ・ズィンダ廟群7 八面体の廟
シャーヒ・ズィンダ廟群8 ウスト・アリ・ネセフィ廟
シャーヒ・ズィンダ廟群9 無名の廟2
シャーヒ・ズィンダ廟群10 アミール・ブルンドゥク廟
シャーヒ・ズィンダ廟群11 トマン・アガのモスク
シャーヒ・ズィンダ廟群15 トマン・アガ廟
シャーヒ・ズィンダ廟群16 ホジャ・アフマド廟


※参考文献
「中央アジアの傑作 サマルカンド」 アラポフ A.V. 2008年 SMI・アジア出版社
「世界美術大全集東洋編17 イスラーム」 1999年 小学館