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中央アジア各国の旅行記が完成したので、西アジアのイラン旅行をまとめています。
その中で気になるものについては、忘れへんうちにに記事を載せていきます。

2015年8月13日木曜日

レギスタン広場2 シルドル・メドレッセ


レギスタン広場で、ウルグベク・メドレセと石塁の広場を挟んで向かい側にあるのがシルドル・メドレセである。

『シルクロード建築考』は、ウルグ・ベクのメドレッセの向かいは、1636年にウズベク人である領主ヤラングトゥシュの命によって、建築家ウスト・ジャボルが手がけたヤラングトゥシュのメドレッセであるという。
同書は、玄関の左右にあるドラムの上は、見事な溝条の付いたドームも丁寧な施工がされて、かぶされた美しい帽子が日照によって変化を見せていたって華やかであるという。
畝の盛り上がった一対の二重殻ドームが特徴的な建物だが、もっと目立つのは玄関の門構えに表された人の顔と動物である。どちらもイスラームでは禁止されているのに。
同書は、 玄関の大きな半ドームになったイワンの壁面にデザインされた黄鹿を追うライオンの模様は、このメドレッセを寄進したヤラングトゥシュが、ペルシャで生まれて育ったという意味にちなんで、別名を獅子を持った学林「シル・ドル」のメドレッセと呼ばれているという。
反対側
『中央アジアの傑作サマルカンド』は、人間のような太陽を背景として、ライオンの鬣とトラが描かれている。それは、この印が動物界の王と天体の王とが一つに合体したことを表現しているからである。このような絵は、アシュタルハーン族の特別な印であった。スペイン大使のクラビホは、この印をシャフリサブスにあるアク・サライの宮殿でも見た。アムール・チムールの部屋の戸の上にも、太陽を背景としてライオンの鬣とトラが描かれていた。
8世紀末まではサマルカンドの郊外にライオンがいた。トラは、20世紀の初めまでザラフシャン盆地にいた。イスラム教が普及されていないときにおけるサマルカンドの王の動物信仰は、アリーの信仰に関係がある。墓石に書かれているチムール族の系図によるともチムール族の身元はアラーのライオン、勝利者のアリーの子孫であるという。
ライオンを見たことがないので、トラっぽくなってしまったのかと思っていた。
体全体に散らされた白い斑点、鬣や太陽の顔の細い線など、かなり細かくタイルを削って作っている。17世紀になっても、モザイク・タイルの伝統は続いていたのだ。

しかし、ドームは絵付けタイル

玄関の小イーワーンにもモザイク・タイルはあるかな。
縦にタイルの境目が目立つが、モザイク・タイルだった。
イーワーンの側壁は幾何学文のモザイク・タイル
ムカルナスも植物文のモザイク・タイル
蔓の渦巻のないアラビア文字の銘文まで、すべてモザイク・タイル

左の扉口から入る。
あまり古くはなさそうだが、木製の扉はどれも細かな浮彫が施されていて、ついついカメラに収めたくなる。
入って左手にはミナレットの階段が。ちょっと怖そうなので、上るのはやめておく。

中庭から見たファサード裏
同書は、前面に建っているウルグ・ベクのメドレッセを典型として、4つのイワンを持った中庭に向かい、54の学生室が2層になって並んでいるという。
その反対側(東)
南側のイーワーンは修復中
養生の中にはアーチ・ネットの半ドーム
ここもモザイク・タイルによる植物文で埋め尽くされている。
もう一つの扉口から出て振り返る。
六角形の透彫のような窓は、残っているタイル片からモザイク・タイルみたい。
バンナーイは幾何学的な組紐で仕切られている。


         レギスタン広場1 ウルグベク・メドレセ

                          →レギスタン広場3 ティリャカリ・メドレセ

関連項目
ウズベキスタンのイーワーンの変遷
イーワーンの変遷 
ドームを際立たせるための二重殻ドーム
サマルカンドで街歩き1 レギスタン広場からシアブ・バザールへ

※参考文献
「中央アジアの傑作 サマルカンド」 アラポフ A.V. 2008年 SMI・アジア出版社
「東京美術選書32 シルクロード建築考」 岡野忠幸 1983年 東京美術