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中央アジア各国の旅行記が完成したので、西アジアのイラン旅行をまとめています。
その中で気になるものについては、忘れへんうちにに記事を載せていきます。

2015年8月5日水曜日

グル・エミール廟1 外観


ティームール朝時代、サマルカンドの街の南端に、9:グル・エミール廟(1404-05年)がある。

『シルクロード建築考』は、”チムールの7年遠征”から帰る途中、孫にあたるムハメド・スルターンは、運悪くイランの戦場で陣没してしまった。時に1403年、サマルカンドに凱旋した1年前のことである。
生前のムハメドは、かねて自宅の屋敷の中に四角形のプランのメドレッセと同じ方形の中庭を挟んで「ハナカ」を建てた。いわば巡礼者用の宿舎である。
彼のメドレッセは、優秀な子弟を人文、軍事を中心とした、政府の人材を養成することを目的とした学校で、規模も29部屋に分かれ、各室は二人用の寄宿舎となった施設が完備していたらしい。
1403年、チムールはムハメド・スルターンの遺骸を戦場からサマルカンドへ葬送したのち、方形になった中庭に丁重な儀式をすませて安置したといわれている。チムールは直ちに、孫の記念のために安置された中庭の南側正面に、壮麗で雄渾な墓廟を建立することを命じた。
のち、この墓廟がチムール一族やその側近たちの墓所となって、王の墓「グル・エミル(王)廟」と呼ばれているのがそれであるという。

現在では、この複合建築の多くは失われ、その基礎を復元するに留めている。
ガイドのマリカさんによると、復元し過ぎないというのが現在のウズベキスタンの方針らしいが、かなり以前にサマルカンドに来た人によると、昔はこんな風にいろいろなかったのだそうだ。
ということは、この門の前の大理石を敷き詰めた通路もなかったわけね。
手前(写真に写っていない)の階段を下りたところでチケットやカメラなどの撮影代を払う。カメラ代は段々なくなる方向にあるという。


タイルやムカルナスで飾られているが、修復も多いという。

上部は修復のものと思われる絵付けタイルだった。
後日まとめるつもりだが、イーワーンの上左右の三角状の壁面には大きなロゼット文と渦巻く蔓草が描かれている。この蔓草は白と水色の2本の蔓草が渦巻いている。
イーワーンのムカルナスも古くはなさそう。
ムカルナスを下から見上げる。
ムカルナスの下のアラビア文字の文様帯は、地文の蔓草が一重の渦巻で、モザイク・タイルで表されており、オリジナルではないだろうか。

その下の尖頭アーチの左部分は、白と水色の2本の蔓草が渦巻いているが、緑や青のモザイク片の色が様々で、オリジナルらしい。二重に渦巻く蔓草は15世紀初頭にはすでにあったのだ。

門をくぐると、現在はすっきりとした中庭として整備されている。ここにかつての自らの屋敷の中庭に、ティムールの孫ムハメド・スルタンの遺骸が安置されたのだった。
そして、彼のためにティムールが立てさせたのがその南側の墓廟。
そのイーワーン
 イーワーンのムカルナスはフレスコ画で装飾されている。
イーワーン上の左右の三角壁面には絵付けタイル。

廟内へは一つ左の入口から。
このリュネットのタイル装飾は絵付けかと思ったが、モザイクだった。
6点星を構成する組紐が複雑に交差して、その周囲に五角形他の幾何学文様をつくり出している。内部はロゼット文ではあるが、かなり幾何学的な花文となっている。
シャーヒ・ズィンダ廟群のトマン・アガ・モスクの装飾も、幾何学的な組紐文だが、大柄な文様だった。この入口上のモザイク・タイルは、それよりも時代が下がり、緑色タイルが多く使われていることから、門の尖頭アーチの開口部すぐ上の小壁面をモザイク・タイルで装飾したのと同じ頃につくられたのではないだろうか。

日の出頃のグル・エミール廟
ライトアップされたグル・エミール廟
青いタイルの色が変わってしまった。

                            →グル・エミール廟2 内部

関連項目
ウズベキスタンのイーワーンの変遷
イーワーンの変遷
イーワーンの上では2本の蔓が渦巻く
ドームを際立たせるための二重殻ドーム
グル・エミール廟3 南及び西側

※参考文献
「中央アジアの傑作 サマルカンド」 アラポフ A.V. 2008年 SMI・アジア出版社
「東京美術選書32 シルクロード建築考」 岡野忠幸 1983年 東京美術