お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2015年9月14日月曜日

シャフリサブス3 ハズレディ・イマーム・モスク


ドルサオダット建築群は少し東にある③④⑤を指す。

ドルティラワット建築群から見ると、低いドームと崩壊した壁だけのように見える。

『ウズベキスタンの歴史的な建造物』は、1376年にアミール・チムールの長男のジャハングルが亡くなり、チムール王朝のメンバーに相応しい大墓地の創製が目の前に現れた。そのためにシャフリサブスのドルス・ティリャヴァットの近くに25年間で巨大なドルス・シアダット「権力の容器」とか「威力のハウス」という大墓地が建てられた。アミール・チムールの2番目の息子もここで埋葬されている。しかし、現在まで大墓地コンプレックスの一つの方形ドームつきの廟しか残らなかった。この廟は巨大なアーチ型の表玄関の両側にあった廟の北部のもので、南部の廟は今まで残らなかった。ドルス・シアダットのアーチ型の表玄関はアク・サライ宮殿の入り口表玄関と比べられるぐらいの大きさであった。廟とモスクは市民の習慣でハズレディ・イマムという名で呼ばれていたという。

近づき過ぎずに見ると、正方形、八角形、円形のドームへと移行する様子が見て取れる。

大きな門の左から入る。

中庭から右側を向くと、新しそうなモスク。このモスクのドームが外から見えていたのだった。

3 ハズレディ・イマーム・モスク 19-20世紀
同書は、19-20世紀の初めにドルス・シアダット廟に冬用のドームつきのホールと夏用の木柱つきのアイワンがあるモスクがくっ付け建てられた。それに、昔、ここではドルス・シアダットコンプレックスのメドレセもあったと考えられているという。
同書ではドームをキューポラとしているが、ドームの方が慣れているので換えた。
内部が冬のモスク、外の柱廊(アイワン)が夏のモスク。
世界の時刻がわかるのかと思ったら、1日5回のお祈りの時刻を示しているのだった。
西端にミンバル(説教壇)がある。おそらく傍のミンバルに隠れた壁龕がミフラーブなのだろう。
ところでこの大木、1370年にアムール・ティムールが植えたという桑の木だそう。
根元にはキノコが。乾いたウズベキスタンでこんなものを見ようとは。
柱廊の天井の木組みが良いなあ。
柱頭はムカルナスを木で組み上げている。
柱礎には植物文の浮彫。
右に折れるとジャハン・ギール廟が見えてきた。

ところで、この敷地には新しいトイレがある。その建物に入ると、まずあるのがこれ。
お祈り前に身を清めるところである。

          シャフリサブス2 アク・サライ宮殿
                           →シャフリサブス4 ジャハンギール廟

関連項目
シャフリサブス6 コク・グンバズ・モスク
シャフリサブス5 ティムールの棺
シャフリサブス1 アク・サライ宮殿の門へ

参考文献
「旅行人ノート⑥ シルクロード 中央アジアの国々」 1999年 旅行人
「ウズベキスタンの歴史的な建造物」 アレクセイ・アラポフ 2010年