お知らせ

中央アジア各国の旅行記が完成したので、西アジアのイラン旅行をまとめています。
その中で気になるものについては、忘れへんうちにに記事を載せていきます。

2016年1月18日月曜日

イスラム・ホジャ複合体1 メドレセは博物館に

㉑パフラヴァン・マフムド廟の後は㉒イスラム・ホジャのメドレセとミナレットへ。

パフラヴァン・マフムド廟のある通りの東端にはヒヴァで一番高いイスラム・ホジャのミナレットが聳えている。

『旅行人ノート⑥』は、20世紀初めに大宰相を務めたイスラーム・ホジャは、当時ロシアの保護下にあったヒヴァで、イスラム教に拠らない世俗的な学校制度の導入や、西欧式の病院の建設など当時としては急進的な改革を行った。しかしそれが保守派の反発を買い、1913年に暗殺されてしまう。これらの建物は生前の1913-10年の間に建てられたもので、ヒヴァ最後の大建築となったという。
⑲モハメド・ラヒム・ハンのメドレセにあったサイード・イスラム・ホジャの写真。
日本人にもこんな顔の人がいそう。

メドレセ正面とミナレット
ミナレットには外の階段から入るようになっている。
ファサードはモハメド・アミン・ハンのメドレセと似ていて、二階の通路が半ドームの下に造ってある。
半ドームは三面の大きなムカルナスで構成されているが、平たい正方形のタイルを曲面に貼り付けるのは無理で、一段毎に少しずつ傾斜を付けているようだ。

扉は8点星と菱形、五角形の組み合わせで、周囲の文様帯はジュマ・モスクの円柱にも見られるような唐草文。

メドレセは現在ヒヴァの民俗博物館となっている。
どこかの建物を飾っていた木製の扉には渦巻く蔓草がびっしりと繁茂している。
これも生命の樹かな。

扉や木柱、その礎石なども
ジュマ・モスクでは、暗い中で円柱を見たので、このように明るい場所で見られるのは有り難いが、時間がなかった。せめてプレートを写しておけば、製作時期やどこにあったものかくらいはわかったのに。
円柱の柱頭はムカルナスっぽいもので、ジュマ・モスクにもあった。木製の柱礎もジュマ・モスクを入ってすぐの円柱でも見られた。
左の扉には菱形が並んでいるみたい。
右端の円柱は古そう。
木製の柱礎というのは結構あったのだ。

建物の床付近の壁に貼り付けられていたのか、浮彫のある横長の板も。左端がカーブしている。
どうやら、サマルカンドのタイルにあった、一重に渦巻く蔓草文を地文としてその上にアラビア文字の銘文を浮彫にしたものらしい。こんなものが部屋の床付近に飾られるはずがない。もっと高いところにあったものに違いない。

大理石のパネル 1950年 イスリミ(植物文)とパクスタグルの装飾
paxtagul(paxta)が何を示しているのか不明。
大理石のパネル 1944年 マダヒルとイスリミの装飾
madahil(madohil)がわからない。
アラバスターの浮彫 20世紀 ムナッバト装飾
munabbatがわからない。
アラバスターの浮彫 20世紀 ムナッバト装飾
この2点に共通するのは渦巻く蔓草文だ。それをムナッバトというのだろうか。

パフラヴァン・マフムド廟の多彩タイル 19世紀
同廟では見なかったタイルが多い。

そして見つけたパフタ柄のカップ 20世紀
そしてお皿。レストランで出てくる食器のような金彩はなかった。

中庭に出てミナレットを見上げると、手前にひしゃがったドームがあった。
同書は、モスクはメドレセの東南部に位置している。その低くて重いドームはミナレットの垂直面のバランスをとっているという。
博物館の方にあったミフラーブは、このモスクのものかな。それとも、モスクの中も博物館になっていて、そのミフラーブを見ていたのかな。
同書は、モスクのミヒラブはマジョリカと彫られたガンチで飾られているという。
どうやらモスクのミフラーブだったらしい。

                  →イスラム・ホジャ複合体2 ミナレットからの眺め

関連項目
渦巻く蔓草文の絵付けタイルの起源は
イスラム・ホジャ・メドレセのタイル

※参考文献
「UZBEKISTAN The Great Silk Road TOURIST MAP」 Cartographia 2009年
「ウズベキスタンの歴史的な建造物」 A.V.アラポフ 2006年 SANAT
「旅行人ノート⑥ シルクロード 中央アジアの国々」 1999年 旅行人