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中央アジア各国の旅行記が完成したので、西アジアのイラン旅行をまとめています。
その中で気になるものについては、忘れへんうちにに記事を載せていきます。

2016年1月25日月曜日

ヒヴァの夕日絶景ポイント


ヒヴァのイチャンカラ(内城)の地図

早朝は閉まっていた⑮アク・マスジド(17世紀中頃創建、1838-42年再建)に、午後の遅い時刻に行ってみた。
外側は土産物屋が店を広げていたり、モスクの白壁に掛けていたりするが、扉が開いていた。
中も土産物屋とは。
それにしても、モスクの中で最も重要なミフラーブの前に置かなくてもよいと思うが・・・
いつものようにドームを見上げる。
正方形から四隅にスキンチをつくって八角形に、各角に三角形のギザギザの窪みをつけて、その上にドームを載せている。
四隅のスキンチでは、2枚のムカルナスの途中からサイコロを逆に積んだように出っ張って、小さなムカルナスを反対にしたような壁面がスキンチの頂部へと続いている。いろんな工夫があるものだ。

夕刻が近づいて、土産物屋は台を持ち帰っている。このようにしてまた通りは何もなくなり、静かな状態に戻って行く。

㉔まだ行っていない北門(ボグチャ・ダルワザ)に向かう。
もう日が差さない通りに放置された鉄輪。何に使っていたのだろう。

しばらく歩くと、東西に広い道路があった。
右の高い壁がユスプ・ヤスルボシのメドレセだが、正面に見えているモスクか墓廟は地図に載っていない。その向こうに行けばクニャ・アルク、背後に行けば東壁の切れているところで、その前に⑬タシュ・ハウリ宮殿がある。

アミール・トラのメドレセは1870年の建立。
立ち止まって眺めていたら、路地から子供が駆けてきた。

住宅街を北へ。

やがて北門(バフチャ・ダルワザ)へ。かなり外に出っ張った門だ。

門の外に出てみたが、
小学校のようなものがあるだけ。

イチャン・カラに戻ると、夕日の絶景ポイントに行くといって、城壁に登っていく人たちがいたので、着いていくことに。
北壁東側には夕日が当たって城壁がきれいに見える。

遠くにイスラム・ホジャ・メドレセとジュマ・モスクの2本のミナレットが並んでいる。
③カルタ・ミナーレや、⑥クニャ・アルクのアクシェイフ・ババの見張り台に近づいてきた。
わかった。アク・シェイフ・ババの高台に行くのに違いない。

城壁には穴があって気をつけないと危ない。その上通路は内側に傾斜してるし。
日干レンガはこんな風に雨水で侵食されていく。
見張り台にもあちこちに穴があいていて危険。
矢狭間から外を覗くと、日の入りも間近。アク・シェイフ・ババに行くまでに日が落ちてしまうのでは?

さっき見た時はくっつくように並んでいた2つのミナレットはだいぶ離れてきたがもー、なかなか到着しない。
そのうちに、2つのミナレットの間に、⑲モハメド・ラヒム・ハンのメドレセが入ってきた。
㉑パフラヴァン・マフムド廟に続いて⑥クニャ・アルクの夏のモスクが間近に。そろそろ到着かな。

その時、聞こえて来たのは、信じられない言葉だった。
それでは、皆さんお待たせしました。それぞれ矢狭間を選んで、夕日を楽しんで下さ~い!
なんと、アク・シェイフ・ババの見張り台ではなく、城壁の銃眼から夕日を覗くというものだった。
え~!こんな小さな穴から雄大な日の入りが見られる?
それに、この穴は先約済み。夕日はもう沈みかけている。着いて来るのではなかった。
取り敢えず、人のいない矢狭間で夕日を見ることに。
こんな小さな絶景なんて・・・
カメラを矢狭間に近づけると、夕日が端の方になってしまう。
それにしても、ヒヴァは360度地平線の見える町だった。
夕日がどんどん沈んでいく。
あー、もう落ちてしまいそう。
それを引いて見るとこんな風でした。

さすがに暗くなってきたので、帰りは城壁からクニャ・アルクの近くに下りられるのかと思っていたのに、また長々と城壁を歩いて、北門のところまで戻っていった。
宿泊している①モハメド・アミン・ハンのメドレセまでの道のりの長かったこと。

         南門(タシュ・ダルワザ)と古い城壁

※参考文献
「UZBEKISTAN The Great Silk Road TOURIST MAP」 Cartographia 2009年
「ウズベキスタンの歴史的な建造物」 A.V.アラポフ 2006年 SANAT
「旅行人ノート⑥ シルクロード 中央アジアの国々」 1999年 旅行人