お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2016年2月22日月曜日

メルヴ6 アスカブス廟

メルヴ遺跡スルタン・カラの城壁の外、ムスリム墓地と記されたあたりに、アスカブス廟がある。
スルタン・カラの城壁を出てバスは走る。
城壁の隙間からスルタン・サンジャル廟が見えたりしながら走って行くと、
墓地に入り込んで行った。
その中に時代を経た霊廟のようなものがあった。

アスカブス廟 Architectural complex of askhab's 15世紀
パネルには、この2つの建造物は、アスカブスと預言者ムハンマドの主唱者の廟である。アル・ハキム・イブン・アムル・アルジファリとブライダ・イブン・アルフセイブ・アルアスラミ(7世紀の人物)のもの。2つの廟の背後にあるのは、ティムール朝(15世紀)に建てられた2つのイーワーンであるという。
1890年の写真には左のイーワーン内の装飾タイルは剥落しているようで、2つの廟のドームはなくなっている。

右側のイーワーンは修復中だが、バンナーイの色タイル装飾が垣間見える。
上の写真にはイーワーン内部にバンナーイが見えているので、これは15世紀のオリジナルかも。
廟の方も立入禁止。

もう一つのイーワーンは新しいものだ。

『イスラーム建築の見かた』は、このような四角い部屋にドームを戴く建築が最も世界中に普及した形で、キャノピー・トゥーム(天蓋墓)と呼ばれる。10世紀初頭以来今日まで、マグリブから中国、インドまで広まったという。
南窓から中を覗いてみる。
ドームは19世紀末か20世紀の修復だが、四隅から立ち上がった尖頭アーチと、その間の尖頭アーチとでドームを支えている。
写真では壁体はのこっているので、この尖頭アーチも元からあったのだろう。
北窓から覗くと、小さな廟の割りに大きな墓石が安置されている。
半円アーチの左右にレンガの列がありそう。
南壁だけは半円アーチの肩辺りから壁が薄くなっていて、その両端から尖頭アーチが出ているのだった。
写真では窓は尖頭アーチ。かなり修復の時に変わってしまったのかも。

バスで移動していると現在の墓地の中に入り込んだ。北の方を見ると、アスカブス廟とスルタン・サンジャル廟が並んでいた。



関連項目
ブハラのサーマーン廟
メルヴ5 ムハンメド・イブン・ザイド廟
メルヴ4 小キズ・カラ
メルヴ3 大キズ・カラ Great Kyz Kalas
メルヴ2 グヤウル・カラ Guya Ulk-Kalaに最西端の仏教遺跡
メルヴ1 エルク・カラ Erk-gala


※参考文献
「週刊シルクロード紀行14 メルヴ・アシガバード」 2006年 朝日新聞社
「イスラーム建築の見かた-聖なる意匠の歴史」 深見奈緒子 2003年 東京堂出版