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中央アジア各国の旅行記が完成したので、西アジアのイラン旅行をまとめています。
その中で気になるものについては、忘れへんうちにに記事を載せていきます。

2016年8月15日月曜日

アク・ベシム遺跡


アク・ベシム遺跡について『シルクロード紀行12』は、天山山脈から北に流れ出る川の中でも、イリ川と並んで大きいのがチュー川である。そのチュー川が平原に出たばかりのところに、アク・ベシム遺跡がある。その中心部分をなすのは厚い城壁で囲まれたほぼ四角形の主市街区(ペルシア系の言語ではシャフリスタンという)で、面積は約35万㎡に達する。城内の西南隅に砦跡がある。主市街区の東側に接して面積60万㎡以上の隣接市域(ラバトという)が広がっているが、ここは建築址が散在するだけで、密集した住居区画はない。遺跡全体の形は、中世初期の中央アジア西部の都市とほぼ同じであるという。

アク・ベシム遺跡は現在では農地の中に残っている。ラバドはほぼ農地になっていて、小さな池は現在では干上がっている。
Google earthより
その池跡あたりでバスを降り、門から入場した。

これが門。車の轍が残っているが、観光客は徒歩で入る。シャフリスタンの城壁の残骸が内部の展望を拒んでいる。
観光客とはいえ、この遺跡にやって来るのは、『西遊記』で砕葉城を知っている日本人くらいだそうで、この時も我々以外に人は見かけなかった。
城壁跡へ左側から上がっていった。
歩きよい土手の道を南へ進む。

シャフリスタン南東隅の遺構が現れてきた。ポプラがまばらに並んでいて、その手前に続く盛り上がりがシャフリスタンの南壁。
盛り上がっているのは当時の建物の壁の跡。

南側には細長い建物跡。遠くには幾つかの土の盛り上がり、そしてやはりポプラが並んでいるところはシャフリスタンの西壁だろう。

もう一つ南の建物遺構。
現在の家屋もそうであるように、当時も日干レンガが積まれて壁が築かれた。その日干レンガの痕跡が現在でも残る壁面。

その南側には細長い建物跡が2つ密接している。ひょっとすると、この二続きで一つの大きな建物だったのかも。
これがその南側。部屋を割り付ける壁が縦横に残っている。
その仕切り壁は薄い。
回り込んで撮影。
その西側の外壁。この一連の建物群は、『PARADIGM OF EARLY MIDDDLE AGE TURKIC CULTURE:AK-BESHIM SETTLEMENT』で、1996-98年に発掘が開始されたキリスト教会であることが分かった。
詳しくはこちら

その北側には南北方向に凹みがあった。

土器片などが地面に散在する。


こんな広大な遺跡はとても短時間では巡ることができない。


栗本慎一郎氏が2006年にアク・ベシムで発掘調査を行い、『PARADIGM OF EARLY MIDDDLE AGE TURKIC CULTURE:AK-BESHIM SETTLEMENT』という書が刊行された。その後も日本人の研究者による発掘調査は続いている。
しかし、それらの遺構はこんな風には露出していない。それは、遺構が風雨にさらされて崩れてしまうのを防ぐため、発掘調査後は埋め戻すようになったからという。


                      →バラサグン遺跡1 ブラナのミナレット

関連項目
アク・ベシム遺跡


※参考文献
「シルクロード紀行12 キルギス イシク・クル湖 ビシケク」 2006年 朝日新聞社
「PARADIGM OF EARLY MIDDDLE AGE TURKIC CULTURE:AK-BESHIM SETTLEMENT」 L.M.VEDUTOVA SHINICHIRO KURIMOTO 2014 ALTYNTAMGA