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中央アジア各国の旅行記が完成したので、西アジアのイラン旅行をまとめています。
その中で気になるものについては、忘れへんうちにに記事を載せていきます。

2016年10月24日月曜日

ペンジケントからムグ山へ


ペンジケントからタジキスタンの首都ドゥシャンベへ。昨日通ったA377を引き返した。昨日との違いは天候で、朝は雨、ペンジケント遺跡の見学では曇天、そして車でペンジケントを離れる頃には、雲がとれてきた。
Google Earthより

小さな集落を抜けて、
北側にトルキスタン山脈、その麓を流れるゼラフシャン川に沿って上流へ。まだ低い雲も残っている。
昨日車窓から眺めた広大な河床。
今日は写真ストップとなった。
緩やかな流れで上流は広い河床に土砂が堆積しているが、手前の橋の下は崖になっていて、その地点からはしばらく狭い川幅となるが、また広くなって、細い蛇行した流れがペンジケントやウズベキスタンとの国境を過ぎるまで続く。
ここで現地ガイドの3名と運転手の3名の記念撮影となった。
右端が今日乗っている2号車の運転手ヌルロさん。続いてガイドのジャムシェットさん。
次は2日間お世話になったサフディーンさんだが、何故か皆さんから「4号車」と呼ばれるのだった。実はこの外見から、私と変わらない歳だと思っていたのだが、お母さんが私より1歳下だと分かりショックだった。
次はガイドのロマさんとサイードさん。左端は3号車の運転手ナザルさん。
車4台に運転手3名だが、一番前を走る赤い乗用車はジャムシェットさんのもので、運転手も兼ねている。
タジキスタンはイラン系(東方アーリア人)のタジク族が多く住む国と聞いていたが、ガイド(本業は学者)さんたちの話では、いろんな民族と混血しているので、自分たちでも何系かわからないのだそう。
歴史的に見ても、知っているだけで、ギリシア系、アラブ系のDNAも入っているだろう。

その後は橋は渡らずに、ゼラフシャンに沿って移動を続けた。
やがて黄葉が始まったばかりのポプラの並木の間を快適に走り、
収穫したブドウやトマトを道端で売っていたのでストップ。
お昼のデザートにブドウを買ってもらった。レトロな秤がいい思い出に。
そして女性たちを記念撮影。

また古代テティス海の海底に堆積した地層が褶曲した鮮やかな山並みが現れた。
Google Earthで見ると、この地層の山並みは、細い帯のように東西に伸びていて、西はウズベキスタンとの国境あたりで消えている。

再び建築中のKshtutdak橋を見ながら、古い橋を渡って右岸へ。
壁は日干しレンガでも、屋根はトタンが一般的。そんな集落を幾つか通過していく。
マルジェルダル橋は新しい方を渡って再び左岸へ。

いつの間にか古代テティス海で堆積した鮮やかな色の地層の上を走っていた。
雪の残る高い山脈が見えてきた。果樹の柔らかな紅葉が、木のない殺風景な山の風景を和らげてくれる。


トイレ休憩で川の向こうにポプラの淡い黄葉を見つけた。
そこはゼラフシャン川が蛇行して膨らんだ側にできた町。
一集落としては大きな方。

崩落しそうな崖が迫ってきて、左カーブで川を渡る。
牛の放牧地を抜け、
果樹がかなり上の方まで段々に栽培されているのを眺めながら谷間に入っていく。

ここで写真ストップ。
この先の山がムグ山だという。あの奥の山?いや手前のごつごつした山らしい。
人によっては羊飼いがいるのを見かけたということだが、私は気付かなかった。
『ソグド人の美術と言語』はイスラームの侵攻について、サマルカンド王グーラク(烏勒伽)は抵抗を試みるが成功しなかった。
グーラクがサマルカンドを放棄したとき、一部のサマルカンド住民はペンジケント王デーワシュティーチュを王に戴いたらしい。グーラクの前のサマルカンド王突昏(タルフン)の息子たちをデーワシュティーチュが保護していたことも関係があったろう。イスラム側もそれを承認したのか、ペンジケントの東のムグ山で発見された「ムグ文書」の中の彼宛の手紙では、彼を「ソグドの王にしてサマルカンドの領主」と呼んでいる。彼の即位は721年であったらしい。
この中でいっきに緊張が高まったのは、対ソグド対策で軟弱路線を取っていたホラーサーン総督のフダイナに代わって、酷烈で有名なアル=ハラシーが就任した722年の初夏だった。
一部のサマルカンド住民はデーワシュティーチュについた。しかし頼みの彼もムグ山の砦で籠城した後722年の8月には捕らえられ最後には磔の刑に処された。この刑は追いはぎに対する処刑方法であった一国の王に対するものではなかったという。デーワシュティーチュ軍が敗北したとき、ペンジケントは炎上したようで、遺跡には火災の跡があるという。 

『文明の道3 陸と海のシルクロード』は2003年の発行のためか、マーイムルグとペンジケントは別の町になっているが、現在ではペンジケントが中国では米国と呼ばれたマーイムルグであるとされている。
ソグド人が籠城したムグ山、そしてその時生き残った人々が逃げて隠れ住んだヤグノブの位置も記されている。


   ペンジケント ルダーキー博物館2 イスラームから現代
                              →再び絶景ポイント、そしてドゥシャンベへ

※参考文献
「ソグド人の美術と言語」 曽布川寬・吉田豊 2011年 臨川書店
NHKスペシャル「文明の道3 陸と海のシルクロード」 NHK「文明の道」プロジェクト 2003年 日本放送協会