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中央アジア各国の旅行記が完成したので、西アジアのイラン旅行をまとめています。
その中で気になるものについては、忘れへんうちにに記事を載せていきます。

2016年11月10日木曜日

タジキスタン国立古代博物館1 サラズムの王女


ドゥシャンベに戻るとタジキスタン民族考古博物館に直行。
今日は特別に写真撮影が許可された。
タジキスタンの遺跡図を写したら、しっかりとペンジケントやサラズムを外していた(ありがち)。

最初の部屋はサラズム遺跡の出土品。
遺跡の説明板は、サラズムは新石器と青銅器時代(前4千年紀半ば-前3千年紀末)に交易や記念建造物を発展させた原始都市の中心である。居住地はゼラフシャン川左岸、タジキスタンのソグド州にあるペンジケントの15㎞西に位置する。約100haの広さ。主な経済は農業と牛を売ることからなっていた。手工業経済は、冶金術、宝石細工、土器の生産、織物、籠づくり、皮革工芸、石の薄切り、貴石ず発達していた。「サラズム人」は、ユーラシアの原始都市では物質文化が高度に発達した人々だった。
サラズムの遺物は、パキスタン、イラン、アフガニスタン、トルクメニスタン、更に遠くの「錫の道」に沿った遠くの東や西の同時代のものと類似が見られる。この類似は「サラズム人」の交易網がいかに広大なものであったかを教えてくれる。という。

まずは新石器時代から。前6000-3000年頃の石器と、どのように使っていたかがイラストで示されている。
竹中大工道具館では石斧と青銅の斧で、実際に木を切り倒して展示されていた。サラズムで使用されていた石斧でも、木を伐るのは大変だっただろう。
今秋竹中大工道具館を再び訪れ、解説員の話を聞きながら見学した。石斧で木を切り倒すのは、テレビ番組で見たビーバーよりも時間がかかるのだなあと思ったのを思い出した。

そしてサラズムの王妃(王女だったりプリンセスとも)。
この小さな無数の玉は模造だが、脚の線に沿うように並んでいたり、広い範囲にばらまいたようなものは、衣装に縫い付けられていたものだろう。ペンジケントのルダーキー博物館では首飾りのようにまとめて展示されていたが、実際はこんな風だったのだ。
これほどたくさんの宝飾品と共に埋葬されていた女性は、かなりの権力者一族だったに違いない。その足下に2人が殉葬されていた図はルダーキー博物館にあった。
遺跡の説明板は、サラズムが階層社会構造であることは、「サラズムの王女」の墓によって示された。上流階級に典型的な、殉死者と豪華な副葬品を伴う大きな環状列石の中に埋葬されていたという。
身長が170㎝もあったという。
頭の上にも色々な玉が並んでいた。後頭部から背中にかけては、細長い金のビーズも。

青銅鏡も。大きな玉は貴石?

展示品はサラズムの幾つかの居住地から出土したもの。概ね前3千年紀のもの。

貴石、ラピスラズリと共に置かれているのは青銅製のバックル?大きすぎて重すぎるのでは・・・
石製品
ナイフの刃や、美しい縞のある容器など。右端の穴のあいた平たいものは糸紡ぎの重り。
紡錘の重りは平たいものだけでなく、嵩の高いものも。
乳牛を刻んだ円筒印章も。
上画像の下端にある小さな写真は、ホジャンドのソグド州立博物館で見た写真パネルと同じ場所。ホジャンドでは太陽の神殿とされていたが、ここでは記念建造物とだけ。これがサラズムの遺構の一つとは。
そう言えば、Google Earthで見ると、屋根は架かっていないが、建物遺構は幾つかある。或いはこの記念建造物は、すでに埋め戻されているのかも知れない。

彩文土器 前4千年紀後期-前3千年紀中葉 サラズム出土 
イランの彩文土器にも類似の文様がある。それについてはこちら

片刃、双刃、鏃 前3千年紀 青銅製 サラズム第3居留地出土
遺跡の説明板は、発掘調査で、複合建造物の中に特化された部屋や、壺、武器、宝飾品などの製作のための作業所があることがわかったという。

             →タジキスタン民族考古博物館2 タフティ・サンギン出土品

関連項目
サラズム遺跡
土器に格子文を探すと
タジキスタン民族考古博物館6 イスラーム時代
タジキスタン民族考古博物館5 仏教美術
タジキスタン民族考古博物館4 ペンジケントの壁画
タジキスタン民族考古博物館3 ソグド時代の彫刻など