お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2016年12月19日月曜日

テルメズで朝散歩


昨夜は遅く到着したので、ホテルの外観は見えなかったものの、MERIDIANホテルは、あの系列ではなさそうだということが、建物の中に入った瞬間にわかった。
そして翌朝、ホテルから出てみて、やっぱりと思った。
後に気付いたが、その系列は、MERIDIANではなく、Le Meridian だったのだ。
とりあえずホテル近辺を散歩してみることに。

ホテル前の道路を左方向に歩き始めた。そして道路から路地に入ってみた。
とにかく1軒の区画が広すぎる。
その上人も歩いていない。長々と塀が続くだけで、サマルカンドのような古い民家の間を散策する楽しさはなかった。
表通りに戻って歩き続けていると、おっちゃんたちは挨拶してくれるが、女性たちは警戒の目で見るのだった。

左手の高い所に像が見えた。

それは公園のようなものの中にあるらしい。その入口を見つけた。すると前方に複数のドームのある建物が見えた。
でも、テルメズにそんなモスクがあったかな?時間の許す限り近づいてみよう。

その前にあの銅像も気になる。それに小さな観覧車も。
正面に回ってみると、左手に大きな弓を持ち、右手に鳥をのせた武人のような人物が高いポールに立っていたが、その下にはライオンやペガサスのような翼のある馬に人物像などもあった。
後にわかったことだが、これはアルポミシュという、ウズベキスタンの民話の主人公らしい。
現地の人なら、この巨大なモニュメントの部分を見てはそれぞれのシーンが思い浮かぶのだろう。

水泳をするというよりも、ボートでも浮かべて遊ぶ大きな池のようなものがこの公園の大半を占めているよう。
やっと朝日が昇ってきた。
朝日に照らされた樹木の間からテニスをしている人たちが見えた。近付くとおっちゃんたちが朝から頑張っていた。別のコートでは少年たちが軽やかにボールを弾いていた。
大通りを渡って、
左方向に進むと、遠くから見えたドームが朝日に輝いていた。

それはこの日に見学することになっている考古博物館の建物で、修復中らしく波板で囲いがしてあった。そう言えば、修復中なので1階しか見学できないので、代替として昨日ハルチャヤン遺跡を見学したのだった。

また公園にもどったが、池を回るのは遠回りになると思い、観覧車の方に向かった。
人通りはなくはない。中学生くらいの男の子が私を通り越して行き、まだ舗装もしていない道へと左折していった。同じ方向に行くのも癪なので、私は右折したが、そのために大変な目に遭ってしまった。  
最初は樹木ばかりで全く公園の外が見えなかったが、森の中で作業している人たちがいた。①
その中には入っていかず、時計回りに通路を通っていくと、真っ直ぐな道に行き当たった。向こうの方は舗装してあるようなので、行ってみることに。②
先の方に大通りがありそう。
少し先に三差路があって大通りに出る方を選んだが、後で地図を見ると、左手の道を行った方が早かった。③
大通りの手前に新しい公園があり、その奥にこんな建物があった。④
大通りの向こう側には横長の建物。⑤
そして中央分離帯のこちら側には小さなバスが走っている。
どうもおかしい。ホテル前の通りにも中央分離帯はあったように思うが、こんな柵はなかったのでは・・・ここは何処?私は誰?
どう考えてもホテルは右方向にはないはずだし、道路の向こう側にもないだろう。
通勤通学の人たちがどんどん歩いて行く。時々道路を見つけてはその道を指さして「メリディアン?」と近くを通る人に尋ねるが違う向こうだと大通りの歩道の側を指し示す。⑥
もう行き過ぎてしまったのではと心配になり、また道行く人に尋ねると、やはり歩道をもっと行けと示される。
そしてやっとこの通りだという答えが返ってきた。でもカーブしていてホテルは見えず不安。⑦

しばらく歩いて無事ホテルに帰還、7時37分。
この地域の詳細地図も持たず(テルメズの地図さえホテルにはなかった)に出掛けて、通りは放射状に広がることもあることは念頭になく、ひたすら遠回りをしてしまっい焦ったが、今となっては楽しい思い出である。
出発は9時なので、ゆっくりと朝食を食べる時間もあったし。
スイカとハミウリは控えめに取った。



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