お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2016年12月26日月曜日

ファヤズ・テパ遺跡1 ストゥーパ


ズルマラストゥーパの次に向かったのはファヤズ・テパ遺跡だった。
Google Earthより

アムダリヤ川がテルメズの町を囲んで大きく右に曲がり、北西方向へ流れを変えたところにファヤズ・テパとカラ・テパの遺跡はある。
Google Earthより

カラ・テパは仏教遺跡で、軍事施設内にあるため見学はできない。当時は加藤九祚氏が毎年6月に発掘調査をするので、見学したかったら6月に来て下さいと言われた。その加藤氏は2016年9月に逝去された。今後遺跡の発掘と保護はどうなるのだろう。
カラ・テパ遺跡についてはこちら
Google Earthより
15年10月に行った我々は遠くから遠望するにとどまった。
露出している発掘現場の遺構が少しでも傷まないようにと、加藤氏が自費で屋根を架けられたのだそう。
数年前から立正大学ウズベキスタン学術調査隊が加藤氏と共に発掘を続けていることを、そのホームページで知った。加藤氏の遺志を引き継いで、今後も調査を続けてほしいものだ。

同じ地点からファヤズ・テパを眺めると、新しそうなストゥーパが。ズルマラ・ストゥーパと比べると、かなり小さい。

ファヤズ・テパ遺跡の方も仏教遺跡である。Google Earthの画像はあまり良くないが、正方形に近い区画が3つ並んでいたようで、似たような区画が2つ並び、その一つの中庭にストゥーパが築かれていたアジナ・テパ遺跡との違いは、そのストゥーパが、ファヤズ・テパでは中央の区画の外側に置かれていることだ。
Google Earthより
ユネスコの銘板には後1世紀の仏教遺跡群とされている。

『ウズベキスタン考古学新発見』は、カラ・テパの北東約1㎞にあるファヤーズ・テペは、内庭と列柱廊のある大きな僧院・講堂・食堂の3つの連続した正方形建物と、傍らにストゥーパが発掘された。ストゥーパは増広されており、寺院は改修を経ている。僧院西側の祠堂には供養者などの壁画断片も発見された。ヘレニスティックな陰影法とこの地の特徴的な線描法とが融合している。この祠堂内から有名な石灰岩製の仏坐像が出土したという。
どこまで見学できるか。近付くほど何も見えなくなる遺跡へ。
いつもながらひどいパノラマ画像

そしてこれがストゥーパ。
近付いたと思ったら、いきなりそのストゥーパの基壇を登るセルゲイさん。

この階段は勾配が緩やかで、段差は少ないが、一段一段の奥行があった。
基壇から遠くにカラ・テパ遺跡。ファヤズ・テパ遺跡の左(南)の部屋、食堂。
続いて中庭の四方に等間隔で柱礎が巡る講堂。
右(北)端の僧院。

さすがにストゥーパは外観だけだろうと思っていたのに、小さな開口部から入ることができた。
中には日干しレンガでつくられた小さなストゥーパがあった。
下部はちょっとすぼまっている。
このストゥーパを保護するために、カバーとしてこのドームを付けた。
ストゥーパの頂部に菩提樹が置かれていたという。

講堂とストゥーパの間は狭いので、全体の写真を撮るのは大変。

講堂へ。
ここも全体を一枚に撮るのは無理。列柱廊のある中庭かと思っていたら、セルゲイさんは池だったという。そして丸く凹んだ辺りからライオン像が出土したのだそう。
広い中庭と列柱廊のある講堂から南の食堂へ。
壁画でもあったような白いものが付着している。壁の下には日干レンガで細かい区切りをしたような跡が。台所か、貯蔵の壺でも置いていたのか。
食堂とされている区画に入って東側の壁。
西側へ。
入って北側。奥の部屋に何かありそう。
行ってみたがわからなかった。壁面にはかなり凹凸がある。
戻って南側へ。カラ・テパ遺跡が見えた。
南側の部屋。真ん中のものは仕切り壁の跡のかな。
その北続きの部屋。



   ズルマラ・ストゥーパ←      →ファヤズ・テパ遺跡2 講堂

関連項目
カラ・テパ遺跡1 洞窟寺院
アジナ・テパは仏教遺跡

※参考サイト
立正大学ウズベキスタン学術調査隊の2016年の活動

※参考文献
「ウズベキスタン考古学新発見」 編著 加藤九祚・Sh.ピダエフ 2002年 東方出版