お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2017年2月2日木曜日

ハムザ記念芸術研究所2 ダルヴェルジン・テパの出土品


ダルヴェルジン・テパは広大な遺跡だった。日没前ということもあり、南のシタデルからシャフリスタン(居住区)を眺めるにとどまった。
Google Earthより
この城壁の中、中央部の仏教寺院は第1寺院で、城壁の北の方に第2寺院がある。
Google Earthより

ハムザ記念芸術学研究所のダルヴェルジン・テパ出土品の展示されている部屋では、壁に沿ってガラスケースが並んでいた。その中には小品や断片がぎっしり収められていた。

ある程度復元されたものや人物の頭部などは別に展示されていた。

第2仏教寺院址:DT-1の出土品
仏教寺院なので、俗人は供養者として奉納されたのだろう。

支配者の立像の下部 1-2世紀 塑造
『南ウズベキスタンの遺宝』は、骨組の上に泥を塗り、布を張った上に石膏。顔料の痕跡という。
斜めにひだのはいったズボンは、貴石を模した数列の貼付小円で覆われ、足先は損傷している。上衣は膝までひだのある服で、ひだは庇のように横にでっぱっている。左手は優雅に指を折り曲げ、小さい花の束を持っているという。
斜めに襞のはいったズボンというのは、縫製に技術が要るように思う。支配者層だけの衣装だったのかも。上衣の側面には、規則的に折り畳まれた、ジグザグの衣端がある。
これは、以前にも書いたようにアルカイック期に始まるもので、後1世紀、仏陀がまだ人間の姿として表されず、円輪光として表され、その傍に立つ梵天の裙にも見られる。
貼付小円というのは、円の上部に出た小さな突起を布に縫い付けた歩揺ではないだろうか。歩揺は、金属製で、文字通り歩く(動く)と揺れて音がするもので、日本の古墳時代でも、飾履などに取り付けられたほか、衣類の飾りにも使われていたようで、大量に出土することもあった。また、北朝鮮黄海南道安岳郡五菊里にある安岳3号墳の壁画(4世紀後半)には、墓主の冬壽夫人の衣服や天蓋にも歩揺がたくさんついている。

クシャン朝王子頭部 1-2世紀 塑造 49.5X21X15㎝
同書は、整った顔立ちの若者の顔。口もとはかすかに微笑みも耳たぶは長く垂れている。円錐形のとんがり帽子は円形の貼付装飾で覆われ、下縁は真珠で縁どられているという。
小円形の飾りは下部が浮いたように表現されている。やはり歩揺だろう。

貴族の像 1-2世紀 塑造 73X24X10~13㎝
同書は、髪は短く、弧状に分けられている。正面を向き、左手は曲げて胸のところにおかれ、右手は欠損している。ぴったりとした膝までの上衣を着て、編んだ帯を締め、斜めにひだのはいったズボンをはいているという。

天部頭部 1-2世紀 17X16X12㎝
『南ウズベキスタンの遺宝』は、顔は手捏ねで、巻毛、耳、耳飾りは型づくり。髪に彩色の痕。
古典的な整った顔立ち。眉がでっぱり、鼻はギリシア風で、少し損傷した口はかすかに微笑み、豪華な作りの鉢巻きを締め・・・という。

女神頭部 19X15X12.5㎝ 丸彫り風塑造 白地にバラ色・赤・黒で彩色
『南ウズベキスタンの遺宝』は、ふくよかな顔の中年の女性。あごはふっくらとして、のどにはしわが見える。目は小さくて細く、鈎鼻で口は小さい。ウェーブした髪を後ろに撫で付けて編み、額の上で鉢巻を締めているという。
奥に横にして置かれていたので、見上げるように写ってしまった。見る角度によって感じはだいぶ違う。写した時は目は見開いていた。でも、共通するのは若くない女性ということだが、中年の女神って誰?

壁画断片 1世紀 27X26㎝ 
『南ウズベキスタンの遺宝』は、土に漆喰を塗り、膠質絵具で彩色。
描かれているのは男性で、おそらく神官であろう。ふくよかな顔に濃く黒い髭を生やし、波うつ髪を額の上に白い鉢巻きを締めて縛っている。
彼は両手で頭の上に赤ん坊をさし上げている。おそらくこの場面は大女神(家庭のかまどと母親・出産の守護神)崇拝と関係する儀礼行為を表しているのであろう。女神に使える神官たちは、女神の祝福と恵みを小さい子供たちに求めるかのように、子供たちをさし上げているという。
あまり写実的な絵画には見えないが、腕には暈を施して立体感を出している。

第1仏教寺院:DT-25区の出土品

菩薩立像 2-3世紀初 218X89㎝ 3号室出土
同書は、菩薩の顔は型に泥を押し付けて作られ、その上に石膏を塗っている。その下塗の上に、型押しされた浮彫風の巻毛や花冠がそれぞれ付けられている。彩色の痕跡が残っている(顔はバラ色、花冠は赤と黒、髪は黒)という。
2005年に「偉大なるシルクロードの遺産展」で初めて見た時には、貼り付けられた装飾品の多さに違和感を覚えたが、10年ぶりに見ると、懐かしさと、収蔵されていた所で見ることができて嬉しい思いがあった。
左肩から腕にかかる布の織り目がかなり深く表されている。分厚い布であったことを思わせる。
ここまで飾り立てる

菩薩像 2-3世紀初 96X95㎝ 塑造彩色型 3号室出土
同書は、顔は押しで、身体と衣服は手で微調整されているという。
『偉大なるシルクロードの遺産展図録』(以下『遺産展図録』)は、ターバンを巻き、首飾りや胸飾りを付けた王侯貴族の姿であらわされた菩薩像という。
左肩にかけた布は衣褶が多い。

如来立像2-3世紀初 3号室出土 96X75㎝
『南ウズベキスタンの遺宝』は、立った姿勢の仏像が、日干し煉瓦造りの壁ぎわの台の上にすえられていた。塑像は正面と一部側面が作られ、体の前面4分の3が前に出ていた。衣服には多数のひだがはいり、上にまとったショールは明赤色に彩色されていたという。
上の菩薩像と同じく、衣褶線が煩雑すぎる。

菩薩立像
顔はよく残っていないらしい。
裙は二色で、花文や円文の文様がある。

菩薩立像
左肩から斜めに着けた布が、僧衣のように右下へと襞を広げていく。

仏立像の足

釈迦如来頭部 2-3世紀初 38X25㎝ 3号室出土
『遺産展図録』は、表面を化粧漆喰で仕上げられ全体に彩色のあとが残る。螺髪がつけられた頭部に特徴がある。全体に丸い顔や、目・鼻・口が顔の中央に集まる顔の造作などから、中央アジアの特色が見られるという。
そう言われると、螺髪のものはあまり見なかった。

塑像断片 2-3世紀初 23X34X18㎝
『南ウズベキスタンの遺宝』は、左上腕は斜めのひだのはいったショールで覆われ、右腕きむき出しで、前腕には多弁のロゼット文様で装飾されている。両手を胸の前で合わせ、先のとがった小さな花々の形をした奉納用宝飾品ともまた大きな花輪ともつかぬ物を持っているという。 
これは女性像とみて良いだろう。

化粧皿 1世紀 8X0.7㎝ 大理石風石灰岩 浮彫 DT-9発掘区、寺院出土
『南ウズベキスタンの遺宝』は、仕切りより上野半分に、ふたまたの尾を少し持ち上げた左向きのヒッポカンポスがいる。その背中には横向きで胸より上の男性(鼻と唇は大きく、ふっくらとし、髪の毛を紐で縛っている)が見えるという。
ピントもいまいちだが、この作品の造りも精密とはいえない。
化粧皿に表された様々なモティーフの中には、仏教美術に採り入れられたものもあると、何で読んだような・・・ それについてはこちら

シャフリスタンのある家から、36㎏もの金の装身具が収められた壺が出土してことを示すポスターも。

見学後、部屋を出ると、風変わりな柱頭が置かれていた。

そしてガラスケースには、ウズベキスタンの遺跡や出土品についての出版物が並んでいた。
右上は2005年に日本で開催された『偉大なるシルクロードの遺産展図録』。現地で見ると懐かしかった。そう言えば、5月に訪れたサマルカンド歴史博物館でも最後の一冊があった。
左下には『南ウズベキスタンの遺宝』。もちろん購入。

ハムザ記念芸術研究所1 ハルチャヤン宮殿遺跡の出土品
                         →ウズベキスタン歴史博物館1 青銅器時代から

関連項目
化粧皿は仏教美術?
「加藤の家」そしてダルヴェルジン・テパ遺跡

参考文献
「偉大なるシルクロードの遺産展図録」 2005年 株式会社キュレイターズ
(創価大学創立20周年記念)「南ウズベキスタンの遺宝 中央アジア・シルクロード」 編集主幹G.A.プガチェンコワ 責任編集加藤九祚 1991年 創価大学出版会・ハムザ記念芸術研究所
「平山郁夫コレクション ガンダーラとシルクロードの美術展図録」 2002年 朝日新聞社