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中央アジア各国の旅行記が完成したので、西アジアのイラン旅行をまとめています。
その中で気になるものについては、忘れへんうちにに記事を載せていきます。

2017年2月6日月曜日

ウズベキスタン歴史博物館1 青銅器時代を中心に


タシケント中心部の様子
Google Earthより

歴史博物館は、実は2015年に2度見学している。このツアーではハムザ記念芸術研究所の後に訪れたが、5月のウズベキスタンだけのツアーでも行ったので、二度目となる。
これは5月の写真。中央アジアらしく浮彫で装飾された木の扉の前にいるのはガイドのマリカさん。
玄関の正面には広い階段がある。そのところどころに古い木柱円柱(ヒヴァ、16世紀)などが配置され、間には工芸品や書籍のケースが置かれていた。

旧石器時代から展示は始まり、青銅器時代へと続いていく。

ところが、5月には展示されていたこの蛇の分銅が、10月にはなくなっていた。貸し出し中だったのかな。

蛇文の分銅 バクトリア青銅器文化(前2400-2000年) クロライト 高26.5幅25.0㎝ ウズベキスタンフェルガナ地方、ソチ近郊出土 
『世界美術大全集東洋編15中央アジア』は、半円形の吊り手のついた形の分銅はバクトリア地方でも発見されるが、むしろイランに多く分布し、さらにメソポタミアのウル遺跡やシリアでも発見されている。制作の中心はイラン東南部のテペ・ヤヒヤだった可能性が高い。テペ・ヤヒヤはクロライト石製品の制作が盛んで、製品や素材の石はスーサやメソポタミアに輸出されていたと考えており、前3千年紀後半の中央アジアからシリアに至る広範な地域に共通の性格を示す石製容器や分銅が出土する。
両面に1匹ずつ蛇が対称的に彫刻されており、片面から見ると2匹の蛇が絡み合っているかのように見える。大部分は剥落しているが、鱗には石灰岩を削った小片が象嵌してある。蛇の耳孔はU字を組み合わせた文様で表現されているが、この図文はこの時期のイランやメソポタミアの蛇の図像にほぼ例外なく見受けられる。バクトリアやイランとの交易の過程で、この地域の有力者が手に入れたものと想定されるという。
この分銅は以前から同書で知っていたが、向こうにいるマリカさんは、お守りですと言い、同館の説明もamuletになっていた。お守りにしては大きすぎるのでは。 

鉱夫の道具 前2千年紀 フェルガナ州出土

研磨されて形は非常に整っている。多少は欠けているが、それでも状態の良い道具。
青銅・土・石の印章 前17-15世紀 フェルガナ州出土
花・星・円・四角など形はさまざま

大きなヘアピンと青銅鏡 前19-17世紀
鏡は背面を線刻や浮彫で装飾するというようなことはなかったようだ。

壁面に大きく描かれた遺跡の図と下に人骨が。
それは、スルハンダリヤ州のサパリテパ遺跡と、そこで発掘された前17-15世紀の墓だった。
たくさんの土器と共に埋葬されていたのは女性だったという。
『STATE MUSEUM OF THE HISTORY OF UZBEKISTAN GUIDEBOOK』(以下図録)は、その豊富な副葬品、土器、木製品、獣皮、織物そしてわら細工の器、その一部には様々な食糧が残っていた、石と青銅の女性用装飾品(腕輪、ビーズ、耳飾り、ボタン)、ヘラ、鏡など。轆轤成形の上質の土器は4000年前にこの地の近くに高品質の土器製作が行われていたことを物語っている。
サパリテパで発見された遺物は、ウズベキスタン南部に前2000年頃にオクサス文明と呼ばれてきた青銅器時代の高度に発展した文化があったことを証明しているという。
写真の拡大
サパリテパの出土物。柄に装飾のある青銅鏡など。
山羊と人の飾りのあるピン 前17-15世紀 サパリテパ出土
統治者像の印影 前17-15世紀 サパリテパ出土 

同じスルハンダリヤ州のジャルクタン(Jarkutan)にあった拝火神殿(前1500-1400年)の復元図
描かれている人物の大きさから、かなりの規模の神殿が造られたことがわかる。
図録は、青銅器時代後期の遺跡であるジャルクタンは要塞と墓地のある居留地である。考古学的発掘は、宮殿構造、神殿、陶工の工房区そして多くの集合墓地を発見したという。
その出土物
人物像 粘土 前15-12世紀 ジャルクタン出土
両手を胸に当てて祈りを献げているのだろうか。

サマルカンド、アフラシアブで発掘された防護壁(前6-5世紀)の写真。
やはり矢狭間は上向きの矢印状だ。これが現在も丘に残っているアケメネス朝期の城壁だ。
それを再現したものだろうか。
城壁の横に置かれているのは、前1000年ころの女性戦士の想像復元像

サカ族のアキナケス剣 前5-4世紀 石膏による複製
サカ族の戦士の兜 前6世紀 サマルカンド出土 複製

アムダリヤ遺宝というものがあった。
図録は、アムダリヤ河畔にあるタフティ・クバド(Takhti-Kubad)の古代都市遺跡で発見された。200点ほどの金や銀の製品を含んでいる。その中には小像、器、腕輪、首飾り、指輪、銘板、そして人、動物を象ったもの、ギリシア、小アジアそしてペルシアで鋳造された500個以上のコインである。これらは前600-300年前のものである。バクトリア文化が高水準であることを証明するもので、それらは、アムダリヤの両岸、アフガニスタンのヒンドゥークシュから、ウズベキスタンとタジキスタンのヒッサール山脈まで広がっている。
遺宝はヘレニズム、古代の東方の伝統そしてユーラシア・ステップの遊牧民社会により近いモデルや題材である。
遺宝は、1877年にロンドンの大英博物館に保管されているという。 訳工夫!
ということで、当博物館には、その複製が展示されている。

祭司の小像 前5-4世紀 アムダリヤ遺宝 複製
銀に部分的に鍍金されている。
腕輪 前5-4世紀 金 アムダリヤ遺宝 複製
鳥グリフィンが向かい合う。貴石の象嵌があったようで、凹みがある。
山羊型壺の把手 前5-4世紀 銀に金鍍金 アムダリヤ遺宝 複製
前肢を折り曲げて跳躍する瞬間を表している。

そしてアムダリヤ遺宝と混じって鍑が置かれている。この博物館は鍑の宝庫だった。
ここにも。鍑はゾロアスター教とも関係があったのかな。
鍑についてはこちら

オッスアリ断片 前3-1世紀 テラコッタ  カラカクパクスタン自治国ブルリカラ出土
オッスアリで紀元前のものは少ない。しかもその頃は人物の形に作られていたようだ。上の画像にも人物形のオッスアリがある。
オッスアリについても後日

また、別のケースには鍑や土器と一緒に中国の鏡が展示されていた。
高貴な女性の墓の副葬品 康居(前2-1世紀) サマルカンド州コクテパ出土
図録は、前3-2世紀、半遊牧民の康居(アヴェスタにはKANGKHA)には、従属する5つの小さな勢力があった。スース(キッシュ・シャフリサブス)、フム(ザラフシャン流域)、ユニ(シャーシュ・タシケント)、ギ(ブハラ)そしてイェガン(ウルゲンチ・ホレズム)という。
前2-1世紀といえば中国の前漢時代、青銅鏡には見えない色に写ってしまった。
半球型の鈕の周囲に列点が12、外の文様帯には四乳が現れ、その間には蔓草が浅く表されている。

ハムザ記念芸術研究所2 ダルヴェルジン・テパの出土品
              →ウズベキスタン歴史博物館2 仏教美術など

関連項目
再び鍑 ウズベキスタン歴史博物館より
ウズベキスタン歴史博物館4 イスラーム時代
ウズベキスタン歴史博物館3 ソグドの美術
ワラフシャ宮殿の出土物 ウズベキスタン歴史博物館と国立美術館より


参考文献
「STATE MUSEUM OF THE HISTORY OF UZBEKISTAN」 ウズベキスタン歴史博物館図録 2013年 PREMIER PRINT