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中央アジア各国の旅行記が完成したので、西アジアのイラン旅行をまとめています。
その中で気になるものについては、忘れへんうちにに記事を載せていきます。

2017年4月27日木曜日

セイード・アリー・ミナレットを探して


マスジェデ・ジャーメの見学が終わった。これからいよいよ私がリクエストした、セイード・アリー・ミナレット(メナーレ・マスジェデ・アリー)とサレバン・ミナレットに連れて行ってもらえる時がきた。私の夢はかない続けている。
Google Earthより

まずはセイード・アリー・ミナレットから。東門を出てすぐに右折し、イマーム広場まで、1.8㎞続いているという小ドームの連なるアーケード商店街を通っていく。
Google Earthより

最初は衣類の店舗が続く。
古いドーミカル・ヴォールトが残っているところもあり、このアーケードのや商店街の歴史を実感できる。
男性のマネキンがそれぞれ顔や髪型が違っていて面白い。特に髪型がすごい。
浅いイーワーンに絵付けタイル。商店街の人たち用のモスク?
このドーミカル・ヴォールトは古そう。
深見奈緒子氏のヴォールティングの諸形態では斜行積とされているもので、レンガの短手を上下で逆方向に斜めにして積んであるので、杉綾文(ヘリンボーン)のように見える。
マスジェデ・ジャーメの北翼東礼拝室では、セルジューク朝期のドーミカル・ヴォールト(12世紀)や、イル・ハーン朝(14世紀前半)のものが残っているが、どちらも輪積。
これはいつの時代のものだろう。
でも、やっぱり新しいアーケードの方が多い。
小さいながら立派なイーワーンもあった。サファヴィー朝期のものかな。
その下はインスクリプションもあるし、浮彫のある木の扉もあるし、中にはモスクのイーワーンで見かける水盤も。ここも小さな祈祷所だったのだろう。
まだまだ歩き続ける。
サブゼ広場の回廊に出てきた。
Google Earthで見ると、あの広大なマスジェデ・アリーよりも大きな広場をこんな回廊が巡っている。「過去のイメージ」でこの場所の再開発の様子が辿れて面白い。
西の回廊。
ガイドのレザーさんは金物の修理屋のおじさんにセイード・アリー・ミナーレ(メナーレ・マスジェデ・アリー)の場所を確認している。
回廊の南西角にやってきた。このまま真っ直ぐ歩くのかと思いきや、
ここで右折。
すると、アーケードはないが、やはり商店街が続いていて、その上の方にメナーレ・マスジェデ・アリーが聳えていた。
メナーレ・マスジェデ・アリーとは、アリー・モスクに所属するミナレットということになる。正統カリフのアリーの名を冠したモスクのミナレットのはず。
私がセイード・アリーと呼ぶのは、Google Earthにそう記された写真があるからだ。
『地球の歩き方E06』は、ギヤーム広場から南西に狭い路地に入ると、このそびえ立つ巨大なメナーレに目を奪われる。エスファハーンで最も高いといわれるエスファハーンで最も高いといわれるメナーレ・マスジェデ・アリーだ。
メナーレは通常、礼拝の呼びかけに使われるものだが、かつては砂漠の中の道しるべとしての役割を果たしていたという。
また、このメナーレは、狩りの最中に誤って子供を射ってしまったセルジューク朝スルタンのマレク・シャーが、その慰霊の意味を込めて造ったともいわれているという。
マリク・シャーは在位は1073-92年なので、11世紀後半に建立されたものと思って良いのかな。
この時代のミナレットは細身なので、より高く感じる。いったい何mあるのだろう。

ミナレットは素焼きレンガの配置による凹凸で文様を構成している。
上は長手を上下交互に積んでいる。
次はインスクリプション。大きな文字だが高くて読める人はいなかったのでは。
その下は斜格子文。
Google Earthでは、この広くなったところに出て撮った360°のパノラマ写真があった。もし時間が十分にあり、そしてこのミナレットに登ることが許可されているとしたら、登っていただろうか?
その下のオーバーハングした曲面と続く円筒部には青タイルでインスクリプションが巡っている。このタイルの色は独特だ。大帝は空色(トルコブルー)なのだが、藍色っぽい。その下も素焼きレンガのインスクリプションみたい。
更に下の文様と、この2種類のインスクリプションは造られた時代が違うのでは。
斜格子文の下は、斜め十字、6点星、8点星などを複雑に組み合わせた幾何学文様。
細い明かり取りが等間隔で並んでいる。

ミナレット手前の扉から中へ。
そこは修復中で、神学校だったのか、モスクだったのかよく分からなかった。ミナレットが11世紀後半建造なのに、この中庭を囲む建物は、チャハール・イーワーン形式で、そんなに古くなさそう。
マリク・シャーはセルジューク朝のスルタン。
モスクは建て替えられているにしても、ミナレット再建中はどのようになっていたのだろう。

通りに出ると、西隣にマスジェデ・アリーの表門があった。
『ペルシア建築』は、サファヴィー朝の統治は颯爽たるシャー・イスマーイール1世(1499-1524年)の登場とともに始まった。彼はみずからこの新王朝を溢れんばかりの活力をもって創始したのである。彼の宮廷には当時の一流の芸術家たちが群れ集まり、そして数々の建築を産み出した。しかし現在では、そのほとんどがすでに消滅してしまった。後世の修復部分も多いとはいえ、現存するサファヴィー朝時代のモニュメントとして最も古いのは、マスジェデ・アリーで、規模は大きくないが、装飾の面で甚だ高い理想を追究したモスクであるという。
こう記されたマスジェデ・アリーというモスクが、イスファハーンで最も高いというミナレットと同じ位置にあるとは、事前に調べてはいたものの気付かなかった。
イスマーイール1世はセルジューク朝期のモスクを建て替えたのだろうか。それとも、マリク・シャーはミナレットだけを建て、それを取り込んでモスクを創建したのがイスマーイール1世なのだろうか。
ここもまた修復中。

イーワーン上部構造
両隅のムカルナスから出たアーチ・ネットと、タイル装飾
タイルは創建当時のものだろうか。
頂部はモザイクタイルで、植物文様、幾何学文、文字を表している。
この三角形は微妙な曲面となっている。その両側の菱形状の部分は、中心に向かって凹ませている。
中央の8点星のなかも、やっぱりモザイクタイル。このあたりは創建時のものかも。
インスクリプション帯もモザイクタイル。
壁龕のトルコブルーの飾り綱のようなものはよくわからない。
白地の部分は絵付けタイルで、おそらく補修後のもの。
側壁もモザイクタイル。
COLOUR AND SYMBOLISM IN ISLAMIC ARCHITECTURE』にこのタイル装飾が載っていて、1521年という。イスマーイール1世創建当初のものだ。

中はやはりチャハル・イーワーン形式で、
中庭の中央には身を清める泉水。
通りに面した側は尖頭アーチが透かしになっている。

その右手にミナレット。
今まで見たミナレットは、ウズベキスタンでは神学校やモスクの外側の地上にあって、二階から出入りするようになっていたし、クトゥルグ・ティムールのミナレット(トルクメニスタン、クニャ・ウルゲンチ、1320年代)も、今はミナレット(残存部分が67m)しか残っていないが、本来は金曜モスクに付属するもので、地上に立っている。
しかし、こんな風に建物の二階に立っているのは見せかけで、実際には地上に建てられて、建物の壁で隠れているのだろう。

通りに出て向かい側の青いドームのある建物は、ハルーン・ヴェラヤト(Harun Velayat)廟でイスマイール1世期に建立されたものらしい。ここもマスジェデ・アリーと同じく、サファヴィー朝初期の建造物ということになるが、修復部分も多そう。
曲がり角には味わいのある商店街が。
しかし、この先には行かない。サレバン・ミナレットはずっと東の方にあるからだ。


私一人のリクエストに応えるために奔走し続けるガイドのレザーさん、そして、何を見に行くのかも分からないままに、延々歩き続けて付き合って下さった皆さんには感謝!感謝!

  マスジェデ・ジャーメ4 東翼←    →サレバン・ミナレットを探して

関連項目
ミナレットの空色嵌め込みタイル
クニャ・ウルゲンチ4 クトゥルグ・ティムールのミナレット

参考サイト
金沢大学学術情報リポジトリより 深見奈緒子氏のヴォールティングの諸形態 1998年
captainfutureさんのIRAN 4 Esfahan バザール迷いながらモスク巡り、マスジェデ・アリー、ジャーメ

※参考文献
「地球の歩き方E06 イラン ペルシアの旅」 ’12-’13 ダイヤモンド社
SD選書169「ペルシア建築」 A.U.ポープ 石井昭訳 1981年 鹿島出版会
「COLOUR AND SYMBOLISM IN ISLAMIC ARCHITECTURE」 1996年 Thames and Hudson Ltd.London