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中央アジア各国の旅行記が完成したので、西アジアのイラン旅行をまとめています。
その中で気になるものについては、忘れへんうちにに記事を載せていきます。

2017年4月6日木曜日

チェヘル・ソトゥーン宮殿(Chehel Sotun)


イマーム広場から少し離れたところ、D:アリー・カプー宮殿の背後にE:チェヘル・ソトゥーン宮殿がある。チェヘル・ソトゥーンとは40本の柱という意味。

『ペルシア建築』は、イスファハンの宮殿に関しては、現在、2つの建物だけが残っているが、ササン朝時代やイル・ハーン時代の王朝施設に比べれば、まことに慎ましやかなものである。その一つたる「チェヘル・ソトゥーン」(1647年)は、伝統的なターラール、すなわち、古代以来ひきつづき宮殿、神殿、モスク、住宅、等々に使われてきた列柱式のポーチを採用している。構成は単純明快で、建物本体の正面に、それと同じ高さのポーチが付くのであるという。
40本の柱とは、ターラールの20本の柱が、前の池に映ると40本に見えるからという。残念ながらこの日は風が強く、水面が波立って柱はよく映っていない。
ブハラのボロ・ハウズ・モスク(1712年)も多柱式の柱廊をもつが、左右端に壁があるので、ターラールではない。
4階建てくらいはありそうで、その前の陸屋根を長い柱で支えている。『神秘の形象イスファハン』は、前廊の柱は高さ14.6mもある細い木柱という。材はスズカケの木で、スズカケは街路樹として各地で植えられているし、何よりもこの建物を囲む広大な森にもたくさんある。



こうしたターラールは、宮殿建築に用いられる場合、広々とした戸外のレセプション・ホールとなるのが通例であり、贅沢な装飾が施されることも多い。チェヘル・ソトゥーンの場合、鏡を貼り詰めた柱、小壁、スタラクタイトや、極彩色の寄木細工による天井などが見られるという。
ターラールより池を眺める。
レザーさんによると、アッバース1世が迎賓館として建立、アッバース2世が建物を拡張したという。

玉座は建物の中ではなく、ここターラールにある。
柱はアリー・カプー宮殿のものと同じように、八角形で柱頭にムカルナス(スタラクタイト)があるほかは、浮彫などの装飾が全くない。
『神秘の形象イスファハン』は、スタラクタイト状の柱頭をもつ20本の柱は、かつて鏡張りであったという。円柱よりも八角柱の方が鏡は張りやすかっただろう。
側面を見ても宮殿としては簡素。規模としては、樹木に囲まれ、前に長い池のある離宮といったところ。
前半は大きな窓に組子が嵌め込まれている。どんなガラスを張った窓だったのだろう。そう言えば、トルコのモスクでよく見たロンデル窓だが、イランではあったかな?
陸屋根の側面には小窓が並ぶ。外開きの扉が組子なのは、換気のため?
天井の幾何学的な文様は彩色だと思っていたが、寄木細工という。アリー・カプー宮殿のターラールの天井にも極彩色の幾何学文が描かれていたと思ったが、それも寄木細工だったのだろうか。
玉座の天井は一段高くなっている。
寄木細工と分かるかな。

『イスラーム建築の見かた』は、ターラールとは現在のペルシア語では、大きな空間を意味するが、建築史上で使う場合は、近世イラン・サファヴィー朝期の宮殿建築にあるような、「列柱開放広間」を指す。柱をグリッド(格子)状に林立させ、平天井を架け、三方を開放する空間である。
こうしたターラールは、17世紀半ば以後のイラン宮殿特有の造形で、カスピ海岸の木造建築をルーツとすると述べる学者もいるという。


中央寄りの柱礎はライオン。その平面は矩形で、側面から見ると2頭のライオンがそれぞれ外側を向き、角を見ると前向きの1頭のライオンに見える。尾の先が葉っぱのようになっている。

玄関廊は天井もイーワーンも鏡張り。
ムカルナスの中も細かい区画にそれぞれに合わせた鏡が張られている。
ムカルナスとアーチ・ネットの組み合わせに、蔓草が巻き付いて不思議な文様を編み出している。小さな曲面には幾何学文もある。
この枠の素材は何だろう。木の組子?色でいうと真鍮?

宮殿の中は、中央に小さなドーム、
前後にもドームという巨大な吹き抜け空間になっている。

入って左手、南東の画面
館内の説明は、アッバース1世とトルキスタンの統治者ヴァリ・ムハンマド・ハーン王との謁見饗宴図。1621年、ヴァリ・ムハンマド・ハーンは、に自分の失った力を取り戻すために、サファヴィー朝の宮廷に救いを求めて、避難してきたという。
wikipediaによると、ヒヴァ・ハーン国のアラブ・ムハンマド王が息子たちに廃位されてサファヴィー朝に逃れてきた事件らしい。
場面は、その後アッバース1世の暖かいもてなしのお陰で、イランとトルキスタンとの関係が、新たな章に入ったことを描いているという。
赤い服の人物がアッバース1世。
北東『神秘の形象イスファハン』は、アッバス2世の謁見饗宴図。男女の貴人たちが葡萄酒を飲み、楽器を奏でる情景図が並べられ、また謁見する王を中心にした饗宴図では左手に楽師たち、手前に踊り子、その周囲で人々が酒を飲み楽しんでいる。この絵はアッバス2世がトルキスタンの王と謁見し、饗宴しているという。
ペルシアでは正座する習慣があるのだ。
興味を惹かれるのは、その背後の壁面。小さな尖頭の壁龕の中に長首の瓶が2つ置かれていて、アリー・カプー宮殿最上階の陶磁器の間を思わせる。

中央ドームから続く南壁面には、サファヴィー朝の建国者イスマイール1世(同1501-24年)とオスマントルコのセリム1世(在位1512-20年)とのチャルドランの戦い(1514年)が描かれている。現在のトルコ、イランとの国境近くで、銃を持たないペルシア側が敗れたという。
画面中央の白い馬に乗り、刀を振り回しているのがアッバース1世。その右上方に、やはり白い馬に乗っているのがセリム1世。その頭上には、遠くで大砲を撃つオスマン軍が描かれている。
それにしても、外国の要人や使節団を招く部屋に、敗戦の絵を飾るとは。
中央北側。『神秘の形象イスファハン』は、黄金を求めてアッバス大帝軍はインドへ渡り、東洋の真珠をくまなく探すための戦いをおこなったという。
そしてどんな戦いか忘れたが、こんな絵も。松の木の近くで剣を敵の首に突き付けているのはアッバース2世だったと思う。
ガイドのレザーさんは言った。この国はずーっと戦いばかり続いていました。そして、今やっと平和が続いています。今のイランを囲む国、イラク、アフガニスタン、パキスタンは戦いをしています。そしてそこから逃れてきた多くの難民を受けて入れています。

大画面の壁画の下側には、小さな区画にこのような小さな風俗画か物語絵が描かれていた。ピクニックにしては、食器が豪華。さすがに王族。

博物館になっている部屋も、壁面には植物文のフレスコ画、窓には組子で装飾されている。
壁龕には物語の場面

宮殿は、現在では博物館になっている。
9世紀のコーラン

扉 サファヴィー朝期 象嵌 高さ179㎝ 1枚の幅55㎝ 厚さ4㎝
館内の説明は、アッバース1世の時代にシェイフ・サフィエデーン・アルダビルの墓廟からイスファハーンに運ばれた。鉛や真鍮、黒檀や骨などがたくさんの素材が使われている。裏面は絵画で、片側はサファヴィー朝期、他方はカジャール朝期という。
サファヴィー朝の建国者イスマーイール1世がアルダビル出身なので、先祖の墓廟のものかも。
裏は見なかった。

玄関扉 16世紀 木製浮彫
同じ墓廟より運ばれたという。
マスジェデ・シェイフ・ロトフォッラー(王族専用のモスク)の大きな木の扉には全く浮彫がなかったので、ペルシアでは扉に浮彫する伝統がないのだと思っていたら、しっかりありました。しかも16世紀のものが非常に良い状態で。
玄関扉 16世紀 同上
彩色されていたような。

イマームの扉(Imamzadegane-Darbe-Emam) 15世紀 網目状の漆喰、ガラス
館内の説明は、トルキスタンを統治していたカラコユンル(黒羊)朝ジャハンシャーの時。イスラム暦857年(西暦1453年)に完成したイマームの息子たちの墓廟のもので、チェヘル・ソトゥーンに移送された日付は不明。
このストゥッコの傑作は、優美な花と美しい鳥のデザインで、11の枠で仕切られている。無傷の裏側は、大小の色ガラスが嵌め込まれているが、それは上に置かれた型造りの漆喰と遜色ない繊細さであるという。
あまりにも極彩色だったので、そんなに古いものとは思わなかった。  
最も大きなガラス片で径3㎝。ガラス片の色はストゥッコの形になっているので、窓を通して入る光の通路が、色彩の饗宴をなし、それが生き生きとして見えるという。
正確にいうとステンドグラスではないが、ステンドグラスの鉛の枠を漆喰にしたようなものだろうか。イスラーム圏のステンドグラス様のものとしては古い部類に入るのでは。 

浮彫漆喰の暖炉のカバーのようなものと、奥の窓の組子。


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関連項目
サファヴィー朝のムカルナスは超絶技巧

※参考文献
「神秘の形象 イスファハン~砂漠の青い静寂~」 並河萬里 1998年 並河萬里・NHKアート
SD選書169「ペルシア建築」 A.U.ポープ 石井昭訳 1981年 鹿島出版会
「イスラーム建築の見かた」 深見奈緒子 2003年 東京堂出版
添乗員金子貴一氏の旅日記