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中央アジア各国の旅行記が完成したので、西アジアのイラン旅行をまとめています。
その中で気になるものについては、忘れへんうちにに記事を載せていきます。

2017年5月15日月曜日

ジョルジール・モスクのムカルナスを探して


イマーム広場北側のカイサリーエ・バザールの見学を終えたらもういい時刻になっていた。これで今日の日程は終わりかと思っていたら、思わぬ言葉がガイドのレザーさんから出た。
ジョルジール・モスクが見つかりました。ハーキム・モスクという名前に変わっていたので、なかなか分かりませんでした。これから見に行きましょう。
Google Earthより

広場を出てセパ通りを西へ、ハーキム通りを北へ。
この門のようなものは、大バザールと呼ばれる東西に長いアーケードが道路と交差しているところ。
この古びた壁も大バザールのものらしい。広くはない道路の半分は、バイクのパーキングと化している。
大きなモスクが見えてきたが、ジョルジール・モスクは古いはず。
通りの向かいの果物屋。5月でも毎日美味しいスイカを食べられる旅行です😋
え、これがジョルジール・モスク改めマスジェデ・ハーキム?
レザーさんはさっさと入って行ったが・・・
中に入ると古くはなさそう。
半信半疑ながら、レザーさんの後を付いていく。

私が見たかったジョルジール・モスクのムカルナスを知ったのは、『イスラーム建築の見かた』という本だった。
同書は、サーマーン廟と同じ頃、ドームの移行部だけでなくイーワーンにも同じような曲面が現れる。イランのイスファハーンにあるジョルジール・モスクのイーワーン(前面開放広間)を見ると、サーマーン廟のスクインチ・アーチの内部と同様な構成が見られるという。

10世紀に遡るムカルナスが残っているジョルジール・モスクだということで、また皆さんに長々と付き合って頂いたあげくにやって来たマスジェデ・ハーキムは、修復されてしまったばかりのよう。どこを探せばよいのだろう。
北東イーワーンの上の小屋は、シーア派のアザーン(礼拝への呼びかけ)を行うところで、ゴルダステと呼ばれる。
それについてはこちら

レザーさんは、古い物は残っていなさそうな南西イーワーンの脇の礼拝室へと入って行った。
そして左の主礼拝室へ。やはりドームも新しく、
ミフラーブのムカルナスも古くはなさそう。
もうこの辺りで、自分が何を見たかったのかさえ分からなくなってきた。撮り続けて隣室へ向かう。
その小ドーム周辺にもなく、
その下の壁面にもない。
どこかに古い物が残っていないかと探してみたが見つからない。

中庭に出て北に向かう。そして、左手のアーチをくぐって小さな柱廊へ。ここも古いものは見当たらない。
ある部屋の前でレザーさんは言った。
マスジェデ・ハーキムで一番古いところです。
覗いてみても古いものはなかった。やっぱりもうなくなってしまったのだ。

残念なことだが仕方がない。左向こうのヴォールト天井から外へ。
扉口でふと見上げると、マスジェデ・ハーキムで見てきたものとは違う装飾が。
出てから振り返ると、
なんと、こんな目立たない、おそらく私一人で来たら、ここまで来なかったというような場所にそのムカルナスはあった。しかも一対で。
レザーさんは、私の驚きの表情に満足気のようだった。ちゃんと知っていて、或いは調べてくれて連れてきてくれたのだ。でも、レザーさんボケっぷり、関西人の私でも腰が抜けそうだった。
ジョルジール・モスクのイーワーンというのは、こんなに小さなものだった。
ムカルナスには左右対称の植物文が高浮彫されている。土にこのような浮彫を施して焼成したもの?それとも浮彫漆喰かな。

その下に平レンガの破片を差し込んで、壁から出ているムカルナスが落ちないように工夫している。
このムカルナスについては、後日まとめます。
それにしても、この扉口全体の写真が1枚もないのは何故?自分のことながら、1枚でも縦に撮っておけば良かったものを・・・
『ペルシア建築』は、ブワイフ朝期(935-1055年)、シーラーズやイスファハンでは、一つの建築様式が成立しつつあった。イスファハンのジョルジール・モスクは、門だけ残しているが-また、仕上げ材料に専らプラスターを使っていたため、今ではゴールデン・アイボリー一色となり、他の色彩は認められないが-記録によれば甚だ華麗な建築だった。ただ、あまりにも脆くて耐久力が乏しかったらしいという。
プラスターは石膏を使ったものということかな。創建当初は彩色されていたということらしい。
しかし、部分的にはあちこち撮っています。

イーワーンの側壁
エリンギ茸のような形の小壁龕の下に付柱が2本、平レンガを積み上げて建てられているが、円柱に見えるように漆喰を上塗りして成形していたのが剥がれたのだろうか。
「中」字形の凹みは平レンガを重ねてつくってあるが、茸形の壁龕内は壁面を刻んで文様に仕上げている。これは浮彫漆喰なのだろうか。
その上にはインスクリプション帯が残っている。これも浮彫漆喰らしい。

その両外側は、付柱が2本ある小さなタンパン。
ここの柱もその外側の柱も、平レンガの重ね方に工夫は見られるが、ガタガタやはり漆喰の上塗りが剥がれたのだろう。
反対側の頂部
タンパンの上の壁面、そして付柱の上部などは、おそらく漆喰の仕上げを修復したのだろうが、技術がなかったという風に見える。

イーワーンは小さいものの、その外側には3列の出っ張りのある壁面が。
右側も3列の出っ張りがある。
現在では、平レンガによる幾何学的な文様は残っているが、浮彫漆喰は残っておらず、あるのは修復されたものだけだった。
こんな部分的な写真だが、10世紀の創建当初は、きつと緻密な浮彫漆喰と素焼きレンガによる文様の、素晴らしい壁面だったことだろう。

せっかく連れてきてもらいながら、こんな写真しかないことをレザーさんが知ったら、私以上に驚くだろう。

帰国後写真に撮っていたマスジェデ・ハーキムの説明板には、サフィとアッバース2世の治世の1641-62年に建立された。10世紀のジョルジールの扉口部分が、北西方向に残っているとあった。
ジョルジール・モスクのイーワーンは印のところにありました。
Google Earthより

添乗員金子貴一氏の旅日記にはちゃんと全体の写真があり、それがせめてもの救いである。
また、captainfutureさんのIRAN 4 Esfahan バザール迷いながらモスク巡り、マスジェデ・アリー、ジャーメにもこの前を通りかかった写真があります。

イマーム広場2 カイセリーヤ・バザール← →メイボド(Meybod)

関連項目
サーマーン廟のスキンチはイーワーンに
ムカルナスの起源
シーア派はミナレットからアザーンを唱えない

※参考サイト
captainfutureさんのIRAN 4 Esfahan バザール迷いながらモスク巡り、マスジェデ・アリー、ジャーメ

参考文献
「イスラーム建築のみかた 聖なる意匠の歴史」深見奈緒子 2003年 東京堂出版
添乗員金子貴一氏の旅日記