お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2017年6月1日木曜日

ヤズド 街と隊商宿ホテル


ヤズドのマスジェデ・ジャーメ見学後は、北門から出て少し散策した。
北壁に沿って歩いていくと、
突き当たりに貯水池の取水口があった。現在では涸れているが、かつては周辺で暮らす人々に欠かせない水場だった。
道は左に続く。
曲がって振り返る。
このドームは電柱よりも後に架けられたのか、穴を開けてある。
モスクの木製の扉

不規則な四つ角。右は広い。
そこまで行くと、ちょっとした広場と、塀の向こうにはバードギール。棒が出ているのは耐震性を持たせるためだという。この向こうに空色嵌め込みタイルの組紐で、5点星や六角形を描くドームがあった。
それはおそらく左のドーム。中央は見えなかったマスジェデ・ジャーメのドーム。

こんな迷路のような街をさまよってみたかったが、引き返す。
壁が傾かない補強だろう、奥行のないアーチがところどころに架かっている。
マスジェデ・ジャーメの北門を通り過ぎて、
商店街は暑い日中は閉まっている店が多い。
アーチで補強されているだけでなく、突っ支い棒だけのところもある。
ここを右折して炎天を避けることができた。
カフェもあります。ピザ・パスタ・前菜・伝統食・コーヒーとデザート・冷たいジュース、手工芸品と何でもあるみたい。
アーケードは、イスファハーンのマスジェデ・ジャーメ北礼拝室でみたドーミカル・ヴォールトに似ている。
もう一つは明かり取り窓がある。こんなアーケードは趣きがある。
でも、すぐに補修されたものになってしまった。
楽器店
別のお店では大きな松ぼっくりに色を塗った置物があった。イランでは背の高い松を見上げると、松ぼっくりが付いていたりしたが、落ちているものは見なかった。きっと日本のものよりも大きいだろうなとは思っていたが、やっぱり。
アーケードを抜けたらマスジェデ・ジャーメへの参道だった。

その後バスで移動し、アミール・チャクマク(Chaghmagh)のターキエへ。
Google Earthより
マスジェデ・ジャーメと同じように2つのミナレット(ドゥ・ミナール)の不思議な形。この幅の広い建物はアミール・チャクマク・モスクだと思っていた。

その後、この広場の正面にあるキィアム通りに入り、マレク・オ・トジャール(Malek-o-Tojjar)ホテルへ。
ホテルはこのアーケードから。
どんどん奥へ。
ここで左に折れる。
小さな中庭を過ぎて建物に入り、
廊下はまだ続く。
まだまだ続く。
細い通路の奥には木の扉。
その上のレンガ壁が古そう。
直進したところが受付だった。
また狭い廊下を通って出たのがこんな広間。
ヤズドでは伝統的な大邸宅を改装したホテルがあるらしいが、ここはキャラバンサライだったという。ということは中庭に天幕を掛けてあるのだ。どこまでが改装かわからないが、木材を多用した雰囲気の良い
細かな木組みの装飾だけでなく、縦横の枠に細いもの、太いものなどを組み合わせて凝っている。
四方それぞれが工夫されている。下階の支柱には古いものもありそう。
部屋はいろんなタイプがあるのでくじ引きとなった。翌日の朝食では、どんな部屋に泊まったかで盛り上がった。中には、この上の階がに泊まった人がいて、そこは通しで1室になっていたという。別の人は広い部屋で浴室にはジャグジーがあったという。メゾネットタイプで、バス・トイレが部屋の縁についた階段をぐるぐる下りた階にあったので、夜中に行くのが恐かったという人。女中部屋のように狭かったという人もいた。
で、私が泊まったのは、上写真左から狭い階段を上がったところのこんな部屋。
奥に低いヴォールト天井にツインベッド、
入口を入ったところにはエキストラ・ベッドになるソファ。
細長いバスルームは仕切りのない床で、奥にシャワー。
イランのホテルでは、どこでも分厚い底の穴あきサンダルが備え付けられていて、それを履いてシャワーを浴びるようになっていた。
反対側にトイレ。
この日もよく汗をかいたので、全部洗濯。壁のウォーマーが役に立った。
ま、中の下といった部屋かな。中庭の食堂に近くて幸いだった。ホテルを出る時は必ず中庭を経由しないといけない仕組みになっているので。

ヤズド マスジェデ・ジャーメ(金曜モスク)← →ヤズドで朝散歩

関連項目
ヤズド ゾロアスター教神殿(アータシュキャデ)
ヤズド 沈黙の塔(ダフマ)