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中央アジア各国の旅行記が完成したので、西アジアのイラン旅行をまとめています。
その中で気になるものについては、忘れへんうちにに記事を載せていきます。

2017年7月13日木曜日

ペルセポリス(Persepolis)4 アパダーナ東階段から百柱の間


遺跡全体図(『Persepolis Recreated』より)
①入口大階段 ②万国の門 ③アパダーナ(謁見の間) ④ダリウスの宮殿 ⑤H宮殿 ⑥G宮殿 ⑦クセルクセスの宮殿(ハディシュ) ⑧クセルクセスの宮殿東階段 ⑨トリピュロン ⑩屋根の架かったアパダーナ東階段 ⑪未完の門 ⑫百柱の間 ⑬ハレム ⑭宝物庫 ⑮アルタクセルクセス3世の墓 ⑯アルタクセルクセス2世の墓 ⑰城塞
屋根の架かったアパダーナの東階段
左にはトリピュロンの北階段近くから階段が始まっている。

アパダーナからはこの階段から⑨トリピュロンへと向かったのだろう。
階段の壁面に沿って見ていく。矢狭間の下には朝貢者の列が浮彫され、階段が近くなるに従って、途中から場面は斜め上方へと向かい、その下には植物文が表される。
階段が終わるところで朝貢者の列も終わり、その下には牡牛を襲うライオンが表される。その先には楔形文字の碑文がある。
碑文の次に3段の浮彫が、同じ方向へ行進する朝貢者の列を表している。樹木と樹木の間の列がそれぞれの国から来た使節団で、それぞれに頭部に被るもの、髪型、服装などが異なっていて、どこから来た人々かがわかる。馬やロバ、。
フタコブラクダにコブウシも登場する。動物も献上品だったのだろう。
他の動物は1頭ずつなのに、羊は2頭。
フタコブラクダに牛に馬、なんとライオンまで。
最下段では壺を持った使節団の先で斜めの区画があって、その先は箙を背負い槍を持った兵士の列となっている。
上方に入口に従って壁面は狭くなっていく。牡ライオンの背後には2頭の子ライオンが抱きかかえられている。その下には馬。
その先では一番上の段だけに使節団の行列が表されている。この国の人々は様々な工芸品を持っている。
やがて槍を持つ兵士の列だけになって、アパダーナのレベルに達する。それぞれの使節団については後日。
階段の反対壁面

3段にわたって、階段上へと向かう槍を持った兵士の行進が表されるが、兵士たちは箙は背負っていないし、同じ髪型だ。
その先では、上段に二頭立ての戦車の行進、中段には振り向いたり、おしゃべりしたり、酒杯を手にしている者もいる、和やかな貴族たちの行進場面。下段
似たような場面だが、酒杯を持っている者はいない。
こんな風にアパダーナの東柱廊玄関へ行く中央の階段を登って降りたため、肝心のファサードを見ていなかった。ファサードについては後日

⑩屋根の架かったアパダーナの東階段からふと遠くに目を向けると、ラマッスのいる門のようなものが見えた。
しかし、壁の基礎部分が邪魔しているので、遠回りしなくてはならない。
壁を過ぎてラフマット山側を眺める。ペルセポリスはこの山と続いているために、山からの水を利用できたのだ。

⑪未完の門
THE AUTHORITATIVE GUIDE TO Persepolis』(以下『GUIDE』)は、「未完の門」または「公文書保管庫」とみなされている。前者は万国の門よりも大きなコピーで、それは軍隊道路を通って百柱の間へと向かわせる建物だったとする。おそらくマケドニア人の侵略によって完成なかった。未完の門の北でテラスの北側の壁近くに、王家の公文書保管庫の構造物だった。テラスの北東隅で、エラム語の楔形文字で記された3万点にも及ぶ小さな粘土板が発見されたという。
『Persepolis Recreated』は、この未完成の構造物は、ペルセポリスの石を切る順序を見せてくれる。まず、立方体と円筒の巨石が現場に運ばれ、木製の足場と滑車そして綱で持ち上げられ、各部に積まれる。主な削りは上から下へと行われたという。
粗彫りの段階でアレクサンドロスが侵略してきた。

そして先ほど見えた門へ。
⑫百柱の間
『GUIDE』は、ペルセポリスで二番目に大きな宮殿は、宝物庫の北、アパダーナの庭園の東にある立派な建物である。アパダーナよりも2m低く、宝物庫よりも2m高い。百柱の間とは、68.50X68.50mの正方形の広間で、東側には衛兵所と貯蔵室が並び、南と西には長く狭い玄関、北側には16本の円柱と8つの堂々とした扉口があった。広間は柱廊によって囲まれていた。基礎にあるバビロニア語による碑文が南東隅で発見された。
アルタクセルクセス王は言う、我が父クセルクセスが、アフラマズダ神のご加護によりこの家の基礎を築いた。王アルタクセルクセスはそれを建築し、完成させた。
建立年は前470-450年、広間の壁は磨かれた黒い石が40㎝の高さに並んでいた。北壁は2つの扉口、5つの窓そして2つの壁龕が開かれているが、他の3つの壁はそれぞれ2つの扉口と9つの壁龕になっていた。全部で8つの扉口は彫刻があった。北扉口の側壁には王が兵士と共に表され、南扉口は玉座を担ぐ人々と共に表された。東西の小さな扉口はそれぞれ野生の動物と王家の英雄が闘う場面が刻まれた。
広間の屋根は100本の円柱(10X10)で支えられていた。それぞれは鐘形の柱礎、玉縁、縦溝のある柱身、花のように凝った細部、そして双頭の牡牛という構成だった。各柱は約14mの高さがある。北柱廊には同じ円柱があったが、柱頭は、トリピュロンの北柱廊と同じ双頭の人面牡牛だったという。
想像復元図(『Persepolis Recreated』より)
『GUIDE』は、北柱廊側柱には、柱廊に入ろうとする人々に顔を向けた牡牛の前半身が高浮彫されているという。
その牡牛はラマッスで、側面も浮彫されていた。
では、北壁西扉口から百柱の間へ。
同書は、北側の2つの扉口は、他とは高さで勝っていて、5段にわたって謁見者たちが衛兵の列のように並んでいるという。その詳細については後日
想像復元図(『Persepolis Recreated』より)

左手には10X7の円柱の柱礎などが残っている。
東壁には壁龕が幾つか並び、扉口には浮彫が。
そして背後にアルタクセルクセス3世の墓。城壁は失われているが、柵がある。
王が牡牛の角を掴み、短剣で腹を刺している。同じものはダリウスの宮殿でもあった。
右手の方は10X3の円柱の柱礎があるはずだが、状態はよくない。
柱礎はアパダーナにあった柱礎と同じだが、上の方の萼のようなものはこちらの方が浅く彫られている。
これは複雑な柱頭の部分だろうか。丸いものと細いもの2つの連続する玉縁に、ギリシアの影響が現れている。きっとイオニア人がもたらしたのだろう。下部は玉縁に縁取られた花弁の中央に円柱のようなものが表されている。その柱頭はイオニア式ではなく、開花した花を表しているみたい。
おっと、小鳥も写っていた。鷲グリフィンに留まってい小鳥と同じ種類みたい。
北扉口の方を振り返る。
この12弁の花を中心に置いた渦巻を十字に彫り出して柱頭にしたものを大階段の登り口で見た。
西壁の南扉口と並んだ壁龕。扉口には浮彫があるが、近づけなかった。
その向こうにはトリピュロン。
南壁西扉口へ。
扉口側壁には別の浮彫が。
ここでは王の座っている玉座を3段に表された人々が支えている。
王は小さく表現されているが、トリピュロン東扉口の浮彫と同じモティーフだ。

アルタクセルクセス3世の墓より眺めた百柱の間。扉口と壁龕が整然と並んでいる。
想像復元図 (『Persepolis Recreated』より)
そんな遺構がこんなだったとは・・・

    ペルセポリス3 トリピュロンまで
             →ペルセポリス5 博物館からアルタクセルクセス3世の墓

関連項目
アケメネス朝の美術は古代西アジア美術の集大成
アパダーナの階段中央パネル
使節団の献上品
アパダーナ東階段の各国使節団
ペルセポリス2 ダリウスの宮殿からハディシュ
ペルセポリス1 正面階段からアパダーナへ

※参考サイト
大阪大学のイラン祭祀信仰プロジェクトクセルクセス宮殿東階段

※参考文献
「Persepolis Recreated」 Farzin Rezaeian 2004年 Sunrise Visual Innovations
SD選書169「ペルシア建築」 A.U.ポープ 石井昭訳 1981年 鹿島出版会
「THE AUTHORITATIVE GUIDE TO Persepolis」 ALIREZA SHAPUR SHAHBAZI 2004年 SAFIRAN-MIRDASHTI PUBLICATION