お知らせ

中央アジア各国の旅行記が完成したので、西アジアのイラン旅行をまとめています。
その中で気になるものについては、忘れへんうちにに記事を載せていきます。

2017年8月10日木曜日

ビーシャープール(Bishapur)2 謁見の間



『世界の大遺跡4』はシャープール1世について、ヴァレリアヌス(P.L.Valerianus、252-268年在位)を西暦260年来たメソポタミアのエデッサ(Edesse)に破り、皇帝自身と多くのローマ兵を捕虜にする戦勝を収め、以後の西アジアでのササン朝ペルシアの優位を確立した。この戦闘と前後して、皇帝はフィルザバードの北方のファールスの地に都を定め、6年の歳月をかけて王都を建設した。新たな都市は、パルティアの堅固な城壁でかこまれた円形軍事都市と趣きを異にし、近くの山に要塞設備を置き、ここを防禦の固めとし、都市は山を背にし、川に臨む美しい町作りを目指し、碁盤の目に街路を走らせたギリシア的な方形プランであった。ここを「美しいシャー(皇帝)の町」の意味をこめてビシャプールと名づけたという。
ハレムへ。
ガイドのレザーさんは言う。
これがアナーヒーター神殿の壁の上にのっていた2X2、4体あった牡牛像の一つで、アラブ軍がここに運びました。
ローマ人の彫刻にしてはいかがなものか・・・
建物の南側は屋根が架かって修復中。
壁は石とモルタルでできていて、その表面は縦溝で装飾した漆喰仕上げていて、わずかに赤い色が残っている。
こちらの壁も漆喰の表面に赤や白の色が認められる。

ハレムを出て、謁見の間へ。
南側の開口部から入る。

『ペルシア建築』は、大宮殿は、いっそう複雑なイーワーン形式の建物である。謁見の広間は方22mほどの大きさを持ち、高さ24mほどのドームでおおわれていた。広間の四面はそれぞれ三連イーワーンの形をとる。構造体は石と煉瓦片をモルタルで固めて作られているが、この宮殿の随所に見られるスタッコ装飾は、ササン朝時代における宮殿の室内装飾として、遺存する最も優れた実例である。装飾のモティーフはグレコ・ローマの原型から借りたものが多いけれども-シャープールはローマ人捕虜を幾千人も擁していた-ギルシュマン氏が指摘した通り、ここでは、それらがペルシアの嗜好や伝統とほどよく調和しているのであるという。
謁見の間の四面にあるという三連イーワーンとは、正方形平面に、各面の中央に矩形の張り出し部のついた複雑なプランとなり、それぞれの天井部分がその奥行の幅のヴォールト天井となったもので、
『ペルシア建築』にその推定復原模型図が示されている。
どのようにドームを架構していたのかについては後日
中は広大で写真に収めるのは大変だった。
南面-東面南部
南面西半分-西面
西面北半分-北面-東面北半分
北面東イーワーン下部
その東端壁龕には漆喰が残っていて、
卍繋文が浮き出しの文様帯になっていた。
この部屋の正門は東面の扉口。
内部を振り返る。西面中央は4つの小壁龕と大壁龕があり、両側には3つの小壁龕の壁面となっているが、視界に入るのは2つずつ。
日陰の通路を通って北側へ
そこには開口部のたくさんある建物の遺構が。
その西側面には扶壁(バットレス)のようなものが3つ。

レザーさんがどこにいるのかと見回すと、東方のかなり先で説明を始めていた。
向こうの地層の傾いた山の続きには、サーサーン朝の要塞設備が残っている。向こう側にも残っていたが、こちらの方が建物跡がたくさんある。
そして皆さんが説明を聞いているところは、捕虜となったローマ皇帝ヴァレリアヌスの住んでいた宮殿。
というよりも、その北側に宮殿の外壁があるのだった。
宮殿で残っているものはこの切石積みだけです。鉄の楔で留めてありましが、アラブ軍が盗りました
石にマークがある。石工の数だけマークがあるという。自分のマークの数で賃金が決まったのだろう。
ということで、ビーシャープールの見学終了。
先ほどの遺構の外観を左手に見て、
続いてアナーヒーター神殿も遠望。
これが牡牛像とはね。

その後アフワーズまでバスで疾走。
ヌーラバードで昼食。
サラダ、ヨーグルト、アイランの次に肉と豆の煮込み、軽いイランの米にかけて食べる。
中央アジアといい、イランといい、私の好みに合った料理で毎回食が進む。
デザートはサーラブという牛乳と澱粉で作ったアイスクリーム。トルコのドンドルマのように伸びないが、生クリームではなく、植物の根から採った澱粉で作ってあるのでヘルシー。トッピングの小さな砂利のようなものが不揃いでいい。

海に近付いたとはいえ、まだまだザクロス山中なので、山の形や色を眺めながらの旅。
遠くにテーブルマウンテン?手前に広がるのは河床。
またしても褶曲しまくりの山並み。
道路の拡張で削られた崖。地質や鉱物に無知なのが残念。
薄く硬い岩の層と脆い地層の積み重なり。
かと思えば天然ガスを燃やしていたり、
パイプラインが通っていたり。
やがて水の流れる川も出現。
中央アジアでは地面に並べられていたスイカやメロンは、イランではトラックの荷台に積まれている。トラックの間には布を張って日陰を作り、のんびりと客を待っている。
これが色のついた地肌の山の見納めとなった。

そして待ちに待ったナツメヤシ林。エジプト以来だ。
道路と小麦畑の間の街路樹(柳っぽい)の木陰で憩う羊たちと羊飼い。牧羊犬も。
葦の生い茂る小川
初めて見た牛の放牧。イランの牛は瘤牛ではないのだ。牛飼いには民族衣装を着ていてほしかった。

ガソリンスタンドで給油を兼ねてトイレ休憩。
冷たいものには手が伸びる。バスの中は冷房が効いているが、外は48℃もあるのだ。
塩が地表に出た景色も新疆ウイグル自治区やウズベキスタンで見てきた。
石油関連の工場なども現れ始め、
太陽が傾き始めた頃にアフワーズへ。
街自体は高い建物もほとんどない。

すぐにレストランへ。写真には残っていないが、蒸し暑い街をあちこち歩き回ったような記憶が。
具沢山のスープ
焼き魚とライス
そして、デザートはアイスクリームの次にシーラーズのバザールにあったマージュンが出た。こういう取り分け方をするものなのだ。



   ビーシャープール1 アナーヒーター神殿
                    →チョガ・ザンビール1 中壁東隅の神殿群

関連項目
ビーシャープールの謁見の間にドームはあったのか?
ササン朝は正方形にスキンチでドームを架構する
イーワーンの変遷
タンゲ・チョウガーン サーサーン朝の浮彫

※参考サイト
大阪大学 イラン祭祀信仰プロジェクトビーシャープール都市遺跡

※参考文献
SD選書169「ペルシア建築」 A.U.ポープ 石井昭訳 1981年 鹿島出版会
「季刊文化遺産13 古代イラン世界2」 長澤和俊監修 2002年 財団法人島根県並河萬里写真財団
「世界の大遺跡4 メソポタミアとペルシア」(編集増田精一 監修江上波夫 1988年 講談社)