お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2017年9月18日月曜日

スーサ(Susa)3 博物館


スーサ遺跡には、スーサ城と博物館が併設されている。

スーサ城はフランスの発掘隊が発掘時に滞在するために建てた。
遺跡見学後にそのお城へ。
階段を登っていると、これまでは見えなかった南の方が望めた。
今までは平たい土地を見渡すか、凹地を見下ろすだけだったが、小高い遺構が遠くにあった。
この日干レンガで造られたものは何?木道もあるようなので、時間のある人なら間近まで行けるだろう。
博物館の展示品に、スーサのアクロポリス出土物があるので、おそらくこれがアクロポリスなのだろう。
ガイドのレザーさんは言う。
見て下さいこの壁を。全部スーサの遺跡にあったレンガを持って来て造ったんです。色の残っているものもあるでしょう?
よく見ると、焼成レンガに混じって彩釉タイルもちらほら。
ここにも。逆三角形の一部のよう。
いくらでも見つかった。
スーサ城平面図
アーチ門から入り、ヴォールト天井の通路を行く。左にも通路がある。
中庭に角塔が張り出している。
発掘当時の道具類の展示
石像や円柱の残骸が並んでいる。
遺跡では見なかった一体型の2段方形柱礎と玉縁
建物内部は立ち入ることができなかった。

博物館へ。建物の脇に陳列されていたものは墓石。ライオンの形のものがある。カジャール朝期。

博物館にはフーゼスタン州から出土したものが陳列されている。ハフト・テペやチョガ・ザンビールで出土したものは、壁画は別にまとめる予定なので、ここではスーサとその近郊からの出土品を年代順に、

焼成円盤 前5千年紀 北スーサ出土
この地域では「ティリ」と呼ばれる極薄のパンをつくる道具。現在では金属製のものを遊牧民が使っている。

幾何学文様彩絵鉢 前4700-4400年頃 北スーサ出土
焼成後に文様を描いている。まだこの頃に釉薬はない。

幾何学文様彩絵大壺 スーサ第Ⅰ期(前4400-4100年頃) スーサ、アクロポリスの墓地出土
スーサのアクロポリスはネクロポリスだったのか。それとも、場所が近いだけで、アクロポリスとネクロポリスは時代が違うのだろうか。
四耳壺 前4400-4100年頃 スーサ、アクロポリスの墓地出土
一見幾何学文様のようだが、大きな鳥が羽を広げた姿を正面からとらえ、それを6つ積み重ねて横に倒した文様を肩の把手の間に描いている。
円形スタンプ印章と印影 スーサ第Ⅰ期(前4400-4000年頃)
このような印章の出現は、スーサが都市の中心になるための行政上の要素を充たしたことを示すという。
壁面装飾用突起 土器 スーサ第Ⅰ期(前4300-4000年) スーサ出土
このような焼成土製突起アクロポリスの高い基壇の外壁を装飾するために用いられたという。

スタンプ印章 スーサ第1期?、前4400-4000年頃 凍石 北スーサ出土
三角形の印章は初めて見た。穴はおそらく紐を付けて持ち運ぶためだろう。

帆掛け舟 前4200年頃 スーサ出土
説明板は、2014年、スーサ城の保管庫から発見された、イラン唯一のもの。半分に割れていたものを復元。舵と帆は付け加えられた。幸運を祈願して神殿に奉納されたものと思われるという。
それほど舟による物資の運搬が盛んだったのだろう。

絵壺 スーサ第3期、前3千年紀 スーサ?出土
描かれているのはやはり幾何学文様

銘文のある刀 前3千年紀後半 青銅製 スーサ出土
説明板は、このような青銅製の武器は、その持ち主の墓に副葬されたものだが、青銅器時代や鉄器時代の墓から出土したという。
後の時代に盗掘を受けたものが、再び別の墓に副葬されたのだ。
棍棒の頭、投げ槍の先 エラム古王国時代、前2千年紀後半 青銅製 スーサ出土
同上

牡牛形轡 前2千年紀 ルリスタン州出土
ルリスタン青銅器はユニークな動物の意匠が特徴。牡牛を象った鏡板。

装飾的な円盤、衣服を留めるピン 前2-1千年紀 青銅製 スーサ、婦人の墓出土
円盤状のものは鏡だと思って見ていたが、鏡にしては柄が細く、ピンのように尖っている。頭部に付ける装身具だったのだ。
長い角の草食獣が立ち上がって向かい合っている。生命の樹を挟んだこのような図柄は見たことがあるが、ここでは樹木は表されていない。主文を二重の文様帯が囲んでいるが、それぞれ独特。

瘤牛型容器 エラム中王国時代、前1300-1000年頃 スーサ出土
背中からお酒を入れて、儀式などで使ったものだろう。

壺型釘頭状突起 エラム中王国時代(前1300-1000年頃) スーサ出土
説明板は、このような壁面装飾品は、スーサでは前5千年紀後半から後の時代まで続いていたという。
チョガ・ザンビールで出土した釘頭状突起の「タイル」(前1275-40年)とも異なる形状。壺のように中空なのかな。
製作時期にかなりの幅があるため、チョガ・ザンビールのものより古いのか、ずっと後に作られたものなのか特定できないが、スーサ第Ⅰ期にすでに壁面装飾用突起が出土している。

双頭の牡牛形柱頭断片 アケメネス朝期(前521年以降) スーサ出土
その頭部
巻毛の渦巻だけでなく、頭頂部の毛も、波のような様式化された表現をしている。
牡牛の耳 アケメネス朝期 スーサ出土
円柱の方形台座 アケメネス朝期 スーサ、アパダーナ出土
4つの台座には楔形文字によるエラム語・バビロニア語の銘文があるという。

球にすぼまった円柱の根元とそれを巡る連珠文。更に下には大きな珠というよりは卵形の装飾。これがアケメネス朝時代の円柱?

彩釉レンガ アケメネス朝期 スーサ出土
中庭の外壁を飾っていたもの
花文を鏤めた長衣は、袖や裾の後ろ側の襞が、ペルセポリスのものより柔らかい。それは土と石の違いだろう。
こんなに多くの鮮やかな釉薬がその当時あって、しかも現在でもこんなに鮮やかに残っているとは。
有翼日輪と人面有翼スフィンクス。このようなスフィンクスはペルセポリス、アパダーナの北階段中央パネルにもあったが、前を向いている。

彩釉レンガ
壁面を飾っていただろう。色が褪せて残念だが、輪郭を盛り上げて、隣接する異なった色の釉薬が混じらない工夫をしている。
こんなに素晴らしい彩釉レンガの技法は、この時代で途絶え、ずっと後に単色タイルが造られるようになった。文様の色が混じらない工夫としてクエルダ・セカ(スペイン語、ペルシア語ではハフト・ランギー)という技法が生まれるのは、14世紀頃のことである。
城壁の上に並んだ胸壁には上向きの矢印が描かれている。近寄ると矢で射るぞという脅しかな。


植物文のある柱頭 サーサーン朝時代 スーサ、エイワーネ・カルヘー出土
葡萄の葉のようなものが、紐状の浮彫で表されている。


    スーサ2 エラム時代の宮殿まで←   →シューシュタルの水利施設

関連項目
フーゼスタン州のパルティア美術
スーサ1 アケメネス朝の宮殿