お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2017年9月25日月曜日

シューシュタル(Shushtar)の水利施設


スーサからシューシュタルの町へ移動。
気がつくとバスは線路に沿って走っていた。道路と線路の間を移動する羊の群れ。
川を越え、
いつの間にかシューシュタルの町に入っていた。
Google Earthより

カールーン川にはサーサーン朝時代の橋が残っている。
橋の続き。
サーサーン朝のシャープール1世が、ローマ帝国との戦いに勝って、ローマ軍を捕虜として連れてきました。ビーシャープールの宮殿や王の浮彫を造らせましたが、シューシュタルのこの橋と水利施設も造らせました。川の上の橋がなくなっているは、イラン国内の戦争で破壊されました。
半円アーチはローマ人捕虜が造ったもの。尖頭アーチはその後の補修では?
修復されたものだが、まだ続いている。
やっとここで終わった。川を渡るための橋というよりは、ローマの水道橋みたい。
ロータリーを直進。
その先の円形の広場でバスは停まった。日は傾いても暑い。
Google Earthより
円形のギャルギャル広場でバスを降りる。太い円柱と半円アーチのアーケードになっていた。古くはなさそう。
南側に入口がある。

下に降りていくと、石臼が置かれていたりする。
水門を開いて実演してくれた。
水はすぐ先で下に勢いよく流れ落ち、渦を巻いて見えなくなったが、写真には撮れなかった。
その力で石臼が回るという仕掛けになっている。
その図解
3:水門 4・5:石臼が回る仕組み
説明板は、精米や小麦の製粉、ごまの製油などに使われた。1970年に近代的な製粉技術が導入されたため、古い製法は忘れられたという。

尖頭ヴォールト天井の通路を通って、アーチを抜けると水利施設がある。
残念なことに、日の当たる左岸と日陰の右岸のコントラストが強烈で、補正してやっとこの程度。両岸から川に水が流れ込んでいる。
その続き
階段の登り口には、臼挽きの仕事をする人たちのための休憩所(チャハール・タキ)がある。カジャール朝期に建てられたもの。

説明板(英語でない単語が並び、わかりにくい)
先ほどの円形広場はギャルギャル門広場というらしい。
1:入口 3:取水口 4:取水口 5:取水口 6:水のトンネル 7:ポンプ場 8:発電所 9:休憩所(チャハール・タキ) 10:階段 11:橋 13:発電所 15:粉挽き場
低い所からの眺め

階段を登って(いつものように強引なパノラマ合成)
階段の上から
ガルガル橋は一見ダムのよう。
様々な仕事場
その先
チャハール・タキ
休憩所はカジャール朝時代のものらしいが、昔からこの場所に同じようなものがあって、再建されたのだろう。
ガルガル橋から写す。
橋を渡って左岸から
この辺りが古そう。
つづき
橋から上流を眺める。
ガルガル広場のパン屋と客。

シューシュタルを19時に出発し、デズフルへ。
居眠りしていたのか、その間の写真といえば、流れのない川だけ。
デズフルには20時着。どの町もロータリーにはモニュメントがあるが、ここのは現代的。
イランに着て10日目、少しずつ満ちてきた月は、この夜満月に。
ガイドのレザーさんは、デズ河畔を見せてくれた。
向こう岸には穴がたくさん空いているが、人が住むのではなく、倉庫などに利用しているのだとか。
川辺は涼しいので、日が暮れ始めるとどんどん人が増えてきた。

川の近くのレストランへ。
前菜はブッフェ式なので好みで。スープは運ばれた。珍しい缶入りの炭酸入りドゥーフがあった。
メインは魚のグリル
デザートはイラン風のものが3品。空いている4番目は・・・
アイスクリームが取り放題!
この地方のおじさんたちの演奏付き。歌も。

食後、真っ暗な川辺には、もっと沢山の人々が涼みにやって来ていた。 家族単位で大挙して押し寄せるので、郊外の宿泊地に行くまでが渋滞して大変だった。

  スーサ(Susa)3 博物館←    →デズフール(Dezful)の水利施設