お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2018年2月5日月曜日

イラン国立博物館2 エラム時代


エラム人の築いた国は、原エラム時代(前3200-2600年頃)、トランス・エラムから古王国時代(前2600-1500年頃)、中王国時代(前1500-1000年頃)、新王国時代(前1500-800年頃)に分けられている(『ペルシャ文明展図録』の分類による)。

原エラム時代から古王国時代(前3千年紀)

円筒印章 前3千年紀 石製 スーサ出土
スタンプ印章・円筒印章 前3千年紀(9は中期、2・8は後半) 石製、8のみ石膏 スーサ出土
スタンプ印章 前3千年紀 石製 スーサ出土
彩色土器 前3千年紀 フーゼスターン州トッレ・ゲゼル(ラームホルモズ)出土
目立たないが小さな耳がついている。細い紐でも通して持ち運びに使ったのだろうか。
頸部には二段に小円文が並び、その下には大きな三角がめぐる。胴部は幅の異なる横縞が6本。

古王国時代から中王国時代(前2千年紀)

円筒印章 前2千年紀 石製(5はビチューメン=瀝青) スーサ出土
円筒印章 前2千年紀 ファイアンス製(5はヘマタイト=赤鉄鉱) 1はスーサ出土、2-4はチョガ・ザンビール出土、5はルリスターン出土
円筒印章やスタンプ印章は、何が表されているか一つ一つじっくり見たいものだが、とても時間がなかった。見たものとは異なるものもあるが、『ペルシャ文明展図録』に幾つか載っているので、こちら

ライオン像 前2千年紀 テラコッタ スーサ出土
説明には目は施釉となっているが、釉薬がかかったようには見えない。
座ったライオンは日本の狛犬を思わせる。
獅子座の起源についてはこちら
一対のライオンを遡ったものはこちら

チョガ・ザンビールの出土品(前2千年紀後半)は、これまでばらばらに記事にしてきたので、ここでまとめておくと、

青銅製箍のある車輪 復元品 
箍と軸受に青銅製の補強板を付けた12本のスポークのある車輪。こんな大きな車輪を付けた車は何に使われたのだろう。
コブウシ像 前2千年紀後半 チョガ・ザンビール、ジッグラト北東面の階段入口の前から出土
肢が長くコブが小さい。
説明板には牡牛の出土場所、出土状況の写真と共に、牡牛に刻まれた銘文が記されていた。我はフンバン・ヌメラの息子、アンシャンとスーサの王ウンタシュ・ガル、施釉のテラコッタ製のこの牡牛は、昔の王たちが創り得なかったもので、この聖なる地を尊厳を持って祝福したインシュシナク神のために、我が造り守護獣としてこの聖域に安置した。我は長寿と建康を願って捧げた・・・我の子孫たちに伝える・・・。

釘頭状壁面装飾(ジガティ) 前2千年紀後半
その出土状況
ガラス
その出土状況
ドアのかんぬき
ジッグラトの南東面でこの部屋に入ったが、右上のものは今でも残っていた。
それについてはこちら

山羊頭装飾小鉢 前2千年紀前半 瀝青 高8.2長20.8㎝ スーサ出土
器体には羊の毛並みが刻まれてる。
羊頭は持ち手だったのか、口に穴があって液体を注ぐ容器だったのかは確かめていない。
『ペルシャ文明展図録』は、材料の瀝青とは天然のアスファルトのことで、フーゼスターン州でも産出する。古来より接着剤やレンガ建築の目地、籠や土器の防水加工など、幅広い目的に利用された。紀元前2千年紀前半の古エラム期には、装飾性に富んだ瀝青容器が数多く製作されたという。
容器 前2千年紀前半 瀝青 スーサ出土
持ち手が羊の頭になっている。
容器 前2千年紀前半 スーサ出土
口縁部には白い石の象嵌がある。カウナケスを着た2人の人物には少し間隔があるのは、両手でこの容器を持つためかな。
ルーヴル美術館の子山羊を象った三足付鉢の説明、チョガー・ミシュ遺跡出土の山羊形把手付き筒形杯について、スーサ以外で発見された瀝青に彫刻された唯一の容器という。
このような彫刻のある瀝青容器は、スーサの特産品だったのだ。

ところで『メソポタミア文明展図録』は、カッシート王朝の終末、前1150年頃、エラムの王シュトルク・ナフンテ1世のメソポタミア侵入によって、各都市が破壊され、多くの神像やモニュメント等の戦利品がスーサに持ち去られた。その中にハンムラビ法典、ナラム・シンの戦勝碑などもあった。これがその後の1901-02年フランスのJ・ド・モルガン等のスーサの発掘調査によって再び発見されたという。
その時の出土品は現在ではルーヴル美術館が所蔵しているが、イラン国立博物館に展示されていたものは、

サルゴン2世のステラ 前716年 ハマダーン州アサダバード出土
説明には、第6次遠征、特にメディアとしか記されていない。メディアがアッシリアから奪ってきたこの像を第6次遠征でエラムが奪ったということを言っているのだろう。
新アッシリア王国のサルゴン2世(在位722-05年)が神に恭順の意を表している場面のよう。
挙げた右手の上に表されているものは不明。

イラン国立博物館1 青銅器から鉄器時代← →イラン国立博物館3 アケメネス朝時代

関連項目
獅子から狛犬へ
エラム中王国のライオン像
獅子座を遡る
イラン国立博物館 チョガー・ミシュという遺跡
イラン国立博物館 印章
スーサの出土品2 エラム時代の略奪品
チョガ・ザンビール2 ジッグラト南東から北東面
ギーラーン1 コブウシ
イラン国立博物館5 サーサーン朝時代
イラン国立博物館4 パルティア時代

参考サイト
ルーヴル美術館の子山羊を象った三足付鉢

参考文献
「ペルシャ文明 煌めく7000年の至宝 図録」 2006年 朝日新聞社・東映