お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2011年8月22日月曜日

1-22 アヤソフィア8 北階上廊から聖母子像が見えるのは

北階上廊にはあまり見るべきものがないからか、アギア・ソフィアの他の場所に残るモザイク画のパネルが展示されていた。
後陣へと近づいていく。どこから聖母子像がよく見えるだろうか。
⑦北東のエクセドラにはピアと中支柱の間に6本の円柱が並び、その間のアーチにはやっぱり金地に蔓草文様がある。剥落した箇所がフレスコで再現されていて、オリジナルか修復かわかりにくいものもあった。
ここからは横断アーチの大天使ガブリエルが見える程度。
⑧エクセドラの端は葡萄唐草で、曲線も美しく、葉っぱが濃緑と黄緑に半分ずつ色分けされていたりして、3世紀後半のサン・ピエトロ大聖堂地下にある穹窿天井モザイクの葡萄唐草や、4世紀中頃のサンタ・コスタンツァ廟のヴォールト天井の葡萄唐草の葉の表現の系統を継いでいるのかも。
その左側の曲面には、四角い金地の周りを八角形の銀地が囲むようになっていて、銀地の中に2色の葡萄の葉が置かれている。
この二つが同じ時期に造られたモザイクとは思えないが。
ここからも聖母子像は見えなかった。よく見えたのは、地上階にクラゲのように浮かぶランプ。
⑨後陣のモザイクが一番よく見えたのは、横断アーチの下にある開口部。
『天使が描いた』は、1964年にアメリカのビザンティン研究所が観察した結果、聖母子と左右の横断アーチに描かれた大天使、背景の金地、アプシスの手前に記された銘文などすべて連続しており裂け目はないこと、つまり修復された痕跡はなく、すべてが同時に制作され、しかも当初の状態のままであることがわかったという。
横断アーチには大天使ガブリエル。
聖母子像はちょっと傾いて見える。二人はもっと内側に視線を向けている。
どこから撮っても幼子の右目はちよっと変。テッセラが剝がれているのだろうか。
そして聖母子像の下に並んだ窓のモザイク。内側の縁には葉綱文様、窓に接した方はXや赤い菱形がわかる程度だが、幾何学文が並んでいる。その間の壁の厚みの部分にもこまかい金のテッセラが隙間なく並んでいる。
ここのような窓の部分はオリジナルのままだろうか、それともイコノクラスム以降にこの聖母子像と同じ時期に作り直されたものだろうか。
壁面との境の文様帯には、聖母子像の上の小半ドームの縁を飾る文様帯と同じ文様なので、9世紀のものだろう。
窓際のものは文様が異なるが、6世紀のオリジナルがここだけ残されたなどということがあるのだろうか。
※参考文献
「ビザンティン美術への旅」(赤松章・益田朋幸 1995年 平凡社)
「NHK日曜美術館名画への旅3 天使が描いた 中世Ⅱ」(1993年 講談社)