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中央アジア各国の旅行記が完成したので、西アジアのイラン旅行をまとめています。
その中で気になるものについては、忘れへんうちにに記事を載せていきます。

2016年12月8日木曜日

ヒッサール遺跡2 城壁の中


ヒッサールという言葉は、ペルシア語で「城壁に囲まれた町」あるいは「砦」という意味という。
ヒッサール遺跡は平地に各時代の遺跡が重なった遺丘(テパ、テペ)である。現在残っているのはその最後の時代の遺跡ということになる。その時代はブハラ・ハン国で19世紀にロシアが侵攻してくるまで続いていた。

南門から入って行く。
入ると城門自体に登って、
先ほどの建物遺構を眺めた。
新しいメドレセは、中庭に面したフジュラ(学生寮)の小ドームの突出があまり見られない。 
古いメドレセと身を浄める場所
ムスリムは身を浄めてからモスクに入って神に祈るので、モスクの中庭や外側に身を浄める場所があるのだが、ここではモスクはどこにあるのか分かっていないようだ。
そしてキャラバンサライ跡
フジュラよりも狭そうな店舗。

次に見張り塔に入って窓の外を覗くともう一つの見張り塔だった。
そしてシタデル。登る時間があれば、是非行って見たい。
正門通りには商店街があったのかな。その向こうにはもう一つ門がある。
入口の門から下りると、左側には古い城壁跡が残っていた。
おそらく土産物屋になるだろう商店街の真新しい建物の間を歩いていると、ハージなのか、顎鬚を蓄えたおじさんたちがやってきたので写させてもらった。
左手にウシュクホラン(王のラクダを飼う場所)
右手にシタデル
そして2つ目の門。

その先に広がっているのはアスカルホラン(兵士が常駐する場所)と、今は緑公園になったかつてのため池。
博物館の壁にかかった地図にはため池の手前の斜面に何かがある。

分かれ道で左へ進むと、何故かローマ劇場が。地図にあったものがローマ劇場とは思えないが。遺跡を忠実に復元するのではなく、あったはずのないローマ劇場まで造ったりするために、世界遺産には認定されないのだそう。
遺跡の西門から出て行く。
そこには、最近発掘されたばかりの遺構があった。平たい焼成レンガを重ねた箇所と、丸い石を積みあげた部分がある。その下には深い穴。
別の角度から眺めてみる。
焼成レンガの丸いところは井戸かなと思ったが、
近づいてみると、深くはなかった。
焼成レンガがあるのに丸い石も使うとは。時代が違うのかな。

戻っていくと、ローマ劇場を造っている人たちの向こうに城壁跡とシタデルが見えた。

自由時間になったので、シタデルに登っていった。城壁の残骸の隙間から入り込む。
途中で景色を眺める。ウシュクホラン、王のラクダを飼う場所というのは、城壁に囲まれたあの高台の平たいところなのだろう。
上の方に残っている城壁はこの程度。
背後の景色。城壁があった頃には見られなかった。

しばらく進むと遺構らしきものが現れた。
焼成レンガが積み重なっている。
Google Earthではもっと遺構があるはずだが、
埋め戻されてしまったのか、よく分からなかった。
メドレセとヒッサールの町。


シタデルを下りてバスに向かうとツアーの人たちがこの老人に群がっていた。聖職者なのか、今まで見たことのない服装と頭巾?
何をしゃべるわけでも、写真を拒むわけでもない。
出発すると小さな店の傍らに大きな木が立っていて、その木陰に老人が3人座っていた。
スズカケかな、根元から分かれてそれぞれ立派に育った木。


         ヒッサール遺跡1 メドレセ 
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