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イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2017年7月24日月曜日

ナクシェ・ラジャブ(Naqsh-e Rajab) サーサーン朝の浮彫


ナクシェ・ロスタムの近くにナクシェ・ラジャブの遺跡はある。
Google Earth より
車の通る道路のすぐ脇に入口があり、その先(矢印)にあるのだが、近寄るまではただのの岩にしか見えない。
ガイドのレザーさんではなく、何故か添乗員の金子氏が先導。
この先の奥まったところの岩壁にサーサーン朝期の浮彫が残っている。ガラス板の柵があって、近寄って見ることはできない。
金子氏が写している説明板は、ラフマット山の麓に、アルダシール1世(224-39年)とその息子シャープール1世(239-70年)時代の4つの浮彫があるという。
サーサーン朝の初代と第2代の王だけが、この地に浮彫を残した。
一つ目は、庇のような薄い岩ののった左壁の別の面。
説明板は、馬に乗ったシャープール1世と、徒歩の家族や高官たち。お供の人たちは、帽子にある標でしか見分けられないという。
おそらくシャープール1世もなのだろうが、胸板が厚くがっしりとした体型の者が並ぶ。最後の2人が胸部だけなのは、未完成だから?
馬には三カ国語の碑文があって、シャープール1世と確認されているという。
シャープール1世は馬にまたがっているのではなく、横坐りしているのだ。
碑文は四角く色の違うところ。
ガイドのレザーさんは、顔がないでしょう。馬にも顔がないのは、アラブ人がやって来た時に顔を壊したのですという。
3人は長剣を杖のように地面に立てている。
前の2人は高官で帽子にしるしがあります。後ろの4人は王子ですという。

これが正面に見えていた浮彫で、アルダシール1世の王権神授の場面。その左側の胸部だけの浮彫はその続きではなく、別に彫られたものなので、ここには2つの浮彫があることになる。
説明板は、双方とも立ち姿で表される。王はアフラ・マズダ神から統治の権限のディアデム環を授与されているという。
レザーさんは、真ん中の王冠を被っているのがアルデシール1世でサーサーン朝を設立した人。頭の上の大きなものは王冠ではなく、王冠から髪を出すのが習慣だった。その髪を大げさに表現しています。右側の人の持つ長い棒はザクロの枝です。ザクロは聖なる樹で、持っているのも神、アフラマズダです。アルデシールはアケメネス朝の王とは違う手の形をとっています。
王様の左にいるは家来です。ハエが多かったので、ハエ除けを持って、ずっと振っています。その左は王様の息子、次の偉大な王シャープール1世になる王子ですという。
確かにアケメネス朝期は神と王が離れて表されていたが、サーサーン朝になると神と同じ高さにいて、直接神からディアデムを両手で受け取っている。
2人の間に小さく2人表されている。一人は孫のバフラーム王子で、もう一人はイザド・バフラーム、イランの戦いの神で、ヘレニズム風のヘラクレスの姿で表されているという。
彩色の片鱗が残っている。
レザーさんは、王の孫は神様に対して手を挙げて尊敬を表していますという。
ヘラクレスの姿というのは棍棒を持っているからだろう。
王様の左にいるのは位の高いペルシア人家来で、帽子にしるしが付いています。アーリア人であることを主張しています。帽子が身分証明書ですという。
家来の被るトサカのような突起のある帽子には卵形のようなマークがある。シャープール皇太子の帽子には十字形があるようにも見えるが違うのかな。
アフラマズダ神の後ろ、右端にいるのは王様の奥さんです。召使いといますという。
何故この二人はアフラマズダではなく背後を向いているのだろう。背後に別の神の顔が表されているような気もするが、それにしては浮彫ではなく、描いただけりように平たい。王妃の右手は恭順の仕草にみえるのだが・・・

その左側には、サーサーン朝初期の偉大な神官カルティールの胸像がある。その中期ペルシア語の長い銘文で、バフラーム1世期(274-94年)に力を付けた神官について記しているという。
残酷で評判の悪い人、カルティールが右手で持っているのは、自分の出自を書いた紙です。80歳まで生きた当時としてはものすごく長生きの人です。3人の王に仕え、ゾロアスター教を国教にしようといった人ですという。

説明板は、アルダシール1世の王権神授図の右には、シャープール1世の王権神授図が表されている。どちらも馬に乗り、王はアフラマズダから王を表すディアデムを授けられたという。
シャープール1世もアフラマズダ神も馬も顔がつぶされている。
アフラマズダに認められて、布でできた聖なる輪を授けられているところですという。
ディアデムは金属で、長い布のリボンが風に靡いているのだと思っていたが、全部布製だったのだ。
何故ここにこんな浮彫があるかというと、ペルセポリスが近いでしょう。アケメネス朝時代の王様の地が我々にも流れている。自分たちもアーリア人だということを表す為ですという。


ナクシェ・ロスタム アケメネス朝の摩崖墓とサーサーン朝の浮彫
                    →シーラーズ ハムゼ廟とバザール


関連項目
銀製皿に動物を狩る王の図
サーサーン朝の王たちの冠
サーサーン朝の王たちの浮彫